日本共産党参議院議員 紙智子
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活動日誌

2006131 岩手県紫波町の木造校舎 上平沢小学校で
 去る1月22日、「循環型街づくり」に取り組んでいる岩手県紫波町の木造建築、上平沢小学校を視察


2006131 補正予算が衆議院通過、参議院へ
 30日衆議院補正予算委員会質疑で米国産輸入牛肉に危険部位が混入していた問題をめぐって、審議が中断。採決が翌日31日に持ち越され午後採決。明日2月1日からは、参議院予算委員会に移ります。

 1月22日岩手県の紫波町で木造校舎を見学。上平沢小学校の音楽室の様子です。


2006130 函館道議補選で前川一夫さん二位で当選!
 1月20日告示、29日投票で行われた道議会議員補欠選挙で、自民2,民主1、無所属1、共産1と5人が、定数2議席をめぐって競り合い、共産党の前川一夫さんが見事、2位に食い込み、日高令子さんの議席を受け継ぐことができました。27日応援に入ったとき「道なかばで病気で倒れた日高令子さんに、やったよ!と報告したい」と雪の中で懸命に訴えていただけに前川さんと、前川さん当選のために力を尽くしてくれた皆さんとともに心からバンザイ!を叫びたい。これを力に、今後の一連の政治戦勝利へがんばりましょう!

2006118 農家の人たちと懇談
 真下紀子道議、能登谷旭川市議と一緒に、鷹栖町の農民との懇談がもたれ22人もの地域の人が集まりました。小規模農家が多く、米農家が半数以上です。来年度から始まる「品目横断的経営安定対策」に不満の声が出されました。「こんなに米価が下がってはいくら規模を拡大してもやっていけない」「何を作ればいいのか」など悩みとともに、地域で農業をやりたい人が続けられるように知恵を絞ろうとの声も出されました。出された声に答えられようにがんばらなければ。

2006118 旭川の旭山動物園で園長さんと懇談
 しばらくぶりで雪の旭川市に到着。農家の皆さんとの懇談の前に、以前から気になっていた旭山動物園の小菅園長さんと懇談することができました。ロバとシマウマの間に生まれたドブラという動物が最近亡くなったことを聞くと、「実は悲しい物語があるんです」と語り始めた園長さんの話にすっかり引き込まれてしまいました。子供たちに「命」の大切さを伝えたいという思いを聞き感動。短時間でしたがペンギンの散歩、アザラシの遊泳、シロクマの優雅な水中の動きを見ながら、本当に生き生きしていると感じました。全国から来る人が増えていると言うことに納得。
 えさをめがけて水に飛び込むシロクマの迫力に圧倒され、いたずらっ子のようなアザラシの眼にすっかりうれしくなりました。ペンギンはひょこひょこ集団で歩き、新雪の中に飛び込んでとても気持ちよさそうです。自分の得意なことをやれると言うことは、人間でも動物でも同じなのだと思いました。

2006117 雇用促進住宅住民集会に参加
 札幌市西区の発寒宿舎自治会で雇用促進住宅廃止問題が浮上しており熊谷市議、宮内国会事務所長とともに住民の集まりに参加し要求を聞きました。80世帯ほどが暮らしている住宅ですが、2008年の3月には退去を迫られている中で、不安と怒りの声が出されました。規制改革の一環として雇用促進住宅の事業廃止まで30年かけて・・となっていたものが前倒しではやめることになり、黙っているわけにはいかないともたれた集会ですが、大阪や九州などでも共通の問題になっており、地域と国会との連携した取り組みを強めていかなければならないと感じました。

2006114 3日間の討論を終え、大会決議、報告・結語を採決
 今回は、会場全体が見渡せる一番後ろの二階席に座っていたので、採決の場面全体を、はじめて見ることができました。結語で修正箇所を説明するときは、いっせいに文書の新聞が開かれて「サーッ」と紙の音がひろがり、採決の時には黄色い代議証がそろってあがる状景はとても美しものでした。シャッターチャンスでパチリ!
 今回不破哲三議長が議長職を退かれることになり、最後に発言がされました。書記局長になって以来36年間の日本政治における日本共産党の位置、その組織と活動の発展が日本と世界の政治にどのような役割を果たしてきたのか、あらためてその重みをかみしめました。


2006112 12日、13日と活発な討論、交流が行われる
 宿泊場所は網代から離れたところにあるので、運動のために会場まで歩くことにしました。朝6時に起きて7時前には朝食を終え、7時40分に宿を出発。宿から伊豆多賀駅の山登りの入り口までの徒歩の時間で40分、そこから山登りをして会場まで30分、あわせて1時間10分の朝の運動をして、会場についたときには汗ばむくらいでした。二日間でしたが、気分は爽快。会場では、北海道や東北の代議員の皆さんと一緒にさまざまな組み合わせで写真をとりました。発言は各地の支部や党員の大奮闘の様子が伝わり、日本共産党らしい明るく豊かな討論でした。

2006111 今日から第24回日本共産党大会・・・静岡県熱海市にて
 今日から14日までの日本共産党大24回大会が開会されました。初日の今日は、開会挨拶と海外からの各政党、在日外交団など来賓が紹介された後、志位委員長の大会報告。そして大会代議員の討論が始まりました。歴史的転機の情勢のもと、大会議案を討議し、大運動などでも奮闘してきた全国の代議員があつまり熱気があふれました。休憩時間に海外代表との歓談があり、初日の感想など聞いてみると、インド共産党の代表は「内容はほとんど一致できるものだ」、またチェコ・モラビアの代表は「こんなにすばらしい環境の会場で会議を開いていることに驚いている」と答えてくれました。

2006110 豪雪災害対策で申し入れ
 日本海側を中心に大雪が降り続き住民生活に深刻な被害をもたらしている中で、いち早く内閣府の防災担当に党としての申し入れを行いました。「人命を最優先に」として緊急対策を申し入れました。生活道路の除排雪、犠牲の拡大を防ぐ対策や雪崩危険箇所のの総点検と監視体制を強める対策、必要な財政措置などの申しいれに対して、「申し入れの内容には重要なポイントが含まれているので地元と連絡を密して各省とも連携しとりくんでいきたい」と答えました。

200618 清田区新年恒例会と北区党と後援会の新春のつどいに参加
 昨日福島から東京へ帰り、8日早朝の飛行機で千歳へ。清田区新年恒例会に出席。町内会の皆さんのテーブルをまわると、「紙さん、来年だったよね」「共産党は遠慮しないでがんばれ」と声援が飛びました。ありがたいことです。清田区では昨年「九条の会」ができたと聞き感激。途中で会場を後にし、その足で北区へ。新琴似プラザでの党と後援会の「新春の集い」に参加しました。畠山和也候補も一緒で、坂本きょうこ市会議員とともにテーブルをまわり皆さんと交流しました。北海道合唱団の歌声が今年も美しく響きました。

200617 福島県党と後援会の新年旗開きに参加
 いよいよ来年は一斉地方選挙と参議院選挙の年。福島県でも昨年の暮れに参議院選挙の選挙区候補者を発表。長年福島市議会議員として活躍してきたベテランの宮本しづえさんが選挙区候補となり、比例区で出る私とコンビでたたかうことになりました。またもうひとり、福島市議会議員として活躍してきた藤川議員を福島市区からの県議候補にすることを発表。伊達郡のあべ裕子県議候補を含めそれぞれの候補者の力強い挨拶に身が引き締まるようでした。

200616 新年最初の党国会対策委員会と農水予算のレクチャー
 年明け最初の党国会対策委員会で国会へ。まだ大多数の国会議員がいないので国会は静かですが、20日から始まる2006年度通常国会に向けて動き始めていました。この日農水省から今年度の農林水産予算についての説明を受けました。

200615 党道委員会2006年新年旗開きで挨拶
 札幌北区のサンプラザで北海道委員会主催の新年党旗開きが行われ、新年の挨拶と抱負を語り合いました。幕開けはピアノ演奏ではじまりました。2007年はいよいよ一斉地方選挙と参議院選挙の年。道委員長の挨拶と決意のあと、昨年決まったばかりの北海道選挙区の畠山和也予定候補とともに、各テーブルを回って挨拶と懇談をしました。しばらくぶりで各界の人たちと触れ合うことができました。34歳、新鮮な若い候補者に暖かい励ましの声と、再選を目指す私への期待の声を聞きながら決意新たに会場を後にしました。

200614 初出勤の人々に街頭からの訴え
 仕事始めの朝、8時15分から札幌駅前通りの国際ビル前で、街頭からの新年の挨拶。寒いけれども気持ちのいい朝。党北海道委員会の青山書記長の司会で西野委員長、2007年参議院選挙の畑山和也北海道選挙区予定候補、宮内さとし国会議員団事務所長とそろって訴えました。地下街から次々とわいて出てくるような人々に「2006年、希望のもてる一年に」との思いこめて訴えました。この後、道委員会の皆さんに新年の挨拶。夕方には、居住地である白石区の新年恒例会に行き、区民の皆さんと挨拶を交わしました。

200611 白石神社前で新年の挨拶
 2006年のスタートをきって、白石神社前で、初宣伝。白石区選出の伊藤りちこ市会議員、山根泰子さんから受け継いでこの次の道議候補となる予定の川部竜二さんといっしょに、初詣の人たちに新年の第一声をあげました。朝から雪がちらちらと降っていますが、わりに暖かい朝でした。地域の後援会皆さんと旗を立てて訴えていると、立ち止まって最後まで聞いてくれた人もいて、うれしくなりました。その後は、私の生まれた清田区の宣伝に移動。ここでも後援会の人が数人出てくれ、元気いっぱい訴えました。