日本共産党参議院議員 紙智子
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社会進歩へ力をつくす 世代こえ思いは一つ

「しんぶん赤旗」東北版 2001年1月24日

松田解子さんと紙智子参院比例代表候補が対談
秋田・協和町文学記念室の開設を祝って
 日本共産党の紙智子比例代表候補は19日、桃秋田県協和街の大盛館内に完成した「松田解子文学記念室」を見学したあと、同町内で、松田さんにお祝いの花束を手渡し、対談しました。すずき俊夫秋田選挙区候補が同席しました。

松田解子さん
 本当におめでとうございます。きょうの講演会(19日、同町民センター「松田さんを囲む会」)は、中学生がたくさんおいでになったということで。
松田 よく、打ち解けてましたよ。学絞の先生もいらっしゃったし、町内のお母さんたちも。本当にいい座敷でした。もう、秋田弁になっちゃってね。三百人近くいたんだって。
 ことしの選挙は、ちょっとした勝利じゃなくて、大きい前進をしたいですね。
 そのつもりで頑張らなくちゃと思ってます。
 12、3年前、伊東の学習会館に来ていただいたことがあるんです。若い人がいっばい集まって。もう、大感激で。みんな、いやすごいなって。
松田 あぁ、青年の集まりはいったことがある。人様の顔を見るっていうの、大勢なほどうれしいのね。大勢ってことが大好きなの。
 そうですか。
松田 小さい家庭で育たなかったでしょ。飯場っていう集団生活。そこへいけば飯食えるって、貧農、大変な農家の二男、三男が来るところですからね。東京で所帯もってからも、仲間が来て、自分の家みたいにしてね。年中、そういう集団生活。だからね、集まるっていうのは大好きです。

『おりん口伝』迫力に圧倒...

 私たちが二十代のころに、多喜二、百合子の本など勉強しようということがあって、その中に、松田さんの『おりん口伝』も入っていて、読ませていただいたんですけど。理屈じゃなくて、迫力に圧倒されたという印象が残っています。とても力強くて。
松田 ありがとうございます。
 戦争が終わって初めて女性も選挙ができるようになって、戦後二回目の総選挙(47年4月)に出られたんですよね。
松田 そう、「とにかく秋田さ来て立って(立候補して)たんせ」といわれて。
 おいくつのときですか。
松田 41歳。私、ほら、21歳で東京に出たでしょ。20年たって戦争が終わった。40ったらまだ若いものねえ。
 私、45です。
松田 あなたよりも若かったの?
 どうでしたか、そのときの状況は。
松田 そうねえ、夢中でしたからね。絶対当適してやるって思ってましたよ。
 おーっ、すごい。

一歳半の娘をおぶって運動

松田 もう、どこでも、列車の中でも演説したよ。一歳半の娘をおぶって行った。一晩泣かせて、乳離れさせた。
 馬の背中のようなデコポコ道を自転車の荷台にのっかって雪の中、急いだものです。
 へぇー。
松田 (日本共産党の路線が)わかったーっていう声が飛び出すような、喜びの同意の得られるような話っこをしてあるいてほしい。どうか頑張って。
 肝に銘じて。
松田 私も涙が出るみたい。あなたにここで会ってよかった。私も、場数は昔みたいには踏めないけれども、やりますからね。
 きょうは本当にありがとうございました。お大事にして。
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