〔心かよわせて 紙智子参院議員の5年間〕
日本共産党の紙智子参院議員は、来年の参院選挙で二期目に挑戦します。BSE(牛海面状脳症)、農業、漁業、福祉、平和――。2001年の初当選以来の5年間、「懸命に生きる人たちの力になりたい」との思いで活動してきた紙さんの実績を振り返ります。(東北総局=細川豊史)
@食の安全守りBSE追及
もう愛する牛も、かわいい孫、大切な心の宝もみんな国に奪われました。こんな仕打ちに泣き寝入りするだけでは気が狂います――。2002年4月4日の参院予算委員会で紙さんは涙で声を詰まらせながら一通の手紙を紹介しました。
手紙の主は北海道猿払村で酪農をしていた若夫婦の父親。01年12月に国内で2頭目のBSE(牛海綿状脳症)感染牛が見つかり、夫婦は62頭の牛をすべて処分されて酪農をやめ、ふるさとを離れたのです。
同年9月に国内で初めて発見されたBSE。不安にかられる消費者と、大きな損失を被った生産者・業者。混乱の責任は政府にありました。
「一番苦労して頑張っている人たちが犠牲になる政治のあり方が許せない」。質問中の紙さんの目に各地の生産者たちの顔が浮かび、気持ちがこみあげたのでした。
■責任認めた農水相
生産者や業者を支援し、BSE予防の対策を打ち立てるためにも、原因と責任を明らかにすることが決定的――。01年7月の参院選で初当選したばかりの紙さんは、党国会議員団BSE対策委員会の事務局長として論戦の先頭に立ちました。
9月の農水委での初質問では、国際機関が日本でのBSE発生の危険性を警告していたことを指摘し、「日本は安全だ」という立場を取ってきた武部勤農水相(当時)の責任を追及。農水相は「責めは甘んじて受けなければならない」と認めました。
01年10月には同対策委として政府に生産者・業者の被害補償などの対策を提案。02年の通常国会では野党共同でBSE緊急措置法案を提出して政府・与党を動かし、牛の生産履歴を追跡するトレーサビリティ体制などが実現しました。
■米国の違反は常習
「常習的違反行為を行う米企業が日本向け輸出の指定を受けている」。今年3月8日の予算委で紙さんは、机にうず高く積んだ資料を示して政府に迫りました。
BSEの発生で停止していた米国産牛肉の輸入を05年12月に解禁した直後の今年1月、牛肉に危険部位が混入していたことがわかり、輸入は再停止されました。
紙さんは2月にアメリカを訪れて食肉処理場の実態などを調査。積まれた資料はこの時入手した、農務省食品安全検査局のBSE違反記録でした。「牛を解体するのこぎりを洗浄していない」「脊髄(せきずい)が付着したまま」などの違反が繰り返されていたのです。
中川昭一農水相(当事)、川崎二郎厚労相(当事)は違反記録の「概要を見た」だけで、資料の原本を見ていませんでした。「こんな重大なことを概要だけ見て輸入再開を急いだ政府の責任は大きい」。アメリカいいなりの実態を浮き彫りにした紙さんに、聞いていた自民党議員も「時間が短すぎる。もうちょっとやりたいな」とこぼしました。
アメリカのずさんな安全管理が是正された確証もないままに政府は7月に輸入再々開を決定。BSE発生以来30回以上の質問で食の安全のために力を注いできた紙さんにとって休まる時はありません。
北海道厚岸町で夫と酪農を経営する女性は「紙さんのアメリカ調査は学校給食にアメリカ産牛肉を使わないように求める運動をする上でも役立っています。とても優しくて命を大事にする紙さんに、酪農・農業を守るために頑張ってほしい」と期待しています。
A農家の声次々代弁
「何万という鳥を処分しなくてはいけない」。04年1月、国内初の鳥インフルエンザが発生した山口県阿東町では動揺が広がりました。紙智子さんはどの党よりも早く現場にかけつけました。
■対応リード
紙さんは共産党国会議員団の一員として農家の損失補償や再発防止の対策を矢継ぎ早に出し、対応をリードします。
ただちに被害補償を農水省に要請し、1月29日の農水委員会では「移動制限をかけられると損害を全部かぶってしまう」と農家の窮状を訴え、助成を求めました。亀井善之農水相(当時)は検討を約束します。政府は2月3日に出荷制限農家の損失額の半額助成を決めました。
紙さんが本部長代理を務めた党の対策本部は、感染の届け出義務を農家に課し、同時に農家の損失補償を盛り込む家畜伝染病予防法の改正案を提案。3月16日に政府が発表した総合対策にはこれらが反映しました。紙さんたちのいち早い提案が政府を動かしたのでした。
■与党に詰め寄る
「息子に継がせていいか悩んでいる」(北海道岩見沢市の農家)「主食の米を作る農家を国はどうしてこれほど苦しめるのか」(旭川市の農家)
米、麦といった品目ごとの価格保障を廃止し、大規模農家や集落営農組織に限定して助成金を払う「品目横断的経営安定対策」への不安の声が噴出しています。紙さんは各地で訴えを聞き、「大規模農家でもこんなに苦しいのか」とショックを受けました。
紙さんは「農家の7割を助成の対象からはずす。これでは再生産できない」と、小泉内閣の農政「改革」を批判し、やりたい人をすべて「担い手」として認める農政をと主張。内容のあまりのひどさに「このまま採決できないはずだ」と与党の農水委理事に詰め寄りました。
中川昭一農水相(当時)は委員会採決を前にして「必要な見直しを検討するので承認をお願いしたい」と発言する異例の事態となりました。
富良野市でタマネギなどをつくっている農家は「紙さんの当選間もない時に質問を傍聴しましたが、現場の具体的な状況をよく調べ、農家の立場で足を踏ん張った質問に感銘を受けました。価格保障の拡充を唯一主張する共産党の紙さんに国会で頑張ってほしい」と語ります。
■食料主権を守れ
大規模化、競争力の強化など農政「改革」の前提にあるのは農産物の輸入自由化路線です。WTO(世界貿易機関)協定を改定して食料主権を守れと国会で主張してきたのは紙さんだけでした。
昨年12月にWTO閣僚会議が開かれた香港を訪れた紙さんは、韓国の議員と懇談し、民主労働党議員と食料主権を守る考え方で意気投合しました。
6月末にスイス・ジュネーブで開かれたWTOの閣僚会議でも交渉は決裂。農産物の輸入自由化推進に向けた合意はとん挫しています。香港では世界中から集まった農民、NGOが会議を取り囲んで抗議しました。紙さんが主張する食料主権の考えは今、世界の流れになっています。
B漁民の気持ちにぴったり
札幌市で6月22日に開かれた第44回北海道漁業協同組合長会議は、漁業の振興と危機打開に向けて白熱した集いになりました。出席した各政党の代表の中には、日本共産党参院議員の紙さんの姿もありました。
会議では水産物の輸入割当(IQ)制度の存続もテーマの一つでした。WTO(世界貿易機関)交渉で存廃が議論されているこの制度が万一なくなると、東北・北海道の沿岸漁業は壊滅的な打撃を受けます。
あいさつした紙さんは、沿岸の集落を訪れた時のことにふれて制度の存続のために頑張る決意をのべました。
「前浜ではみなさんがコンブ漁で暮らしをつないでいます。コンブ漁が成り立たなくなったら地域そのものがなくなってしまう。なんとしても守らなければ」
あいさつを終えた紙さんに、複数の組合長が「共産党のあいさつが一番我々の気持ちにぴったりくる」と声をかけました。
■三陸漁業を守る
05年、ノロウイルスによる食中毒が広がり、原因とされた生ガキなどの貝類の養殖漁業者は出荷量が減るなど風評被害を受けました。
「出荷量が三割まで減った」。4月に三陸沿岸の岩手県宮古市や山田町を水産問題の調査のために訪れた紙さんは漁業者から実態を聞きました。山田町では三陸のブランドを高めるために漁業者が自主的にウイルスの検査を行い、その費用が一人2万円〜6万円の負担となっていました。
紙さんは参院農水委員会で検査費用の助成をと主張。島村宜伸農水相(当時)は「厚労省と連携して対策に努めていく」とのべ、助成の対象になるとの認識を示しました。
■ロシア漁船規制を
北方領土問題が未解決のために根室湾沿岸の漁民が様々な困難を抱えている問題で奮闘してきたのも紙さんです。
「網がトロール漁船にずたずたに切られた」。ロシア漁船による漁具被害を国会で取り上げ、ロシア側に調査させ、補償機関の設置をと主張。大型トロール漁船の操業で漁業資源が枯渇している問題でもロシア側に規制させるよう求めました。
納沙布岬の目と鼻の先にあり、ロシアが不法占拠している貝殻島では、根室の漁民がロシア側に採取料を払ってコンブ漁をしています。紙さんは政府に採取料の支援を要求。今年6月、ロシア側の事情で出漁許可が遅れた時には政府に「一日も早く出漁できるよう努力を」と申し入れました。
8月16日の根室のカニかご漁船への銃撃・拿捕(だほ)事件では、党国会議員団農水部会長としてロシア側に抗議する談話を発表。同漁協を訪れて漁業者の苦労に応えるために尽力すると約束しました。
根室市のカニかご漁業者は「コンブ漁をしている人たちは採取料を引かれると生活が苦しい。こういう問題をいってもらったのは心強いことです。庶民、漁民の声を国会で訴えてください」と期待の声を寄せています。
C障害者励ます九分の質問
「支援がないと生きていけない。国が生存権として保障してほしい」。障害を持つ人が生きるために必要なサービスに一割の自己負担を強いる障害者自立支援法案に、不安と不満の声が渦巻きました。
同法案が審議されていた05年2月に北海道の障害者団体、DPI北海道ブロック会議が各党国会議員を招いて札幌市で開いたシンポジウム。日本共産党参院議員の紙智子さんが「負担増で必要なサービスを控えたら自立生活はできない。国会は通過させない」と発言すると、会場から大きな拍手が沸きました。
自民党の橋本聖子参院議員は「ご理解をお願いしたい」というだけ。公明党の風間昶参院議員は「一銭も負担できないというなら消費税を上げるしかない」と発言して会場の怒りを買いました。
■首相「改善点ある」
3月10日の予算委員会で紙さんに、障害者の声を小泉首相にぶつける機会が巡ってきました。質問はわずか9分。施設の工賃は7050円で、今までなかった利用料が制度改悪で1万9千円になったという29歳の脳性まひの女性の事例を示して首相に迫りました。
「『これではどこにも出ないで家にいろといわれているようなものだ』。こういう声をどう受け止めますか」
小泉首相は「不十分な点もある。こういう方々の意見を聞きながら改善すべき点は改善していかなきゃならない」と答えました。法案の撤回、修正を求める運動にとって重要な答弁でした。
「自分たちの思いをいってくれてうれしかった」と関係者から紙さんに喜びの声が相次ぎました。障害者から届いたメールには「生きる励みになった」と書いてありました。たった九分間のやりとりでも励みになることができた、質問をしてよかったと、うれしい気持ちがこみ上げました。
きょうされん北海道支部のある役員は、「紙さんは『応益負担』で利用者がサービスを奪われることを早くから理解し、何度も足を運んで私たちの声を聞き、国会に届けてくれました。これからも活躍してほしいと思っています」と話します。
■医療、介護でも
紙さんは、医療や介護の問題でも国民に「痛み」を強いる政府に、現場の怒りを伝えて制度改悪に反対してきました。
「そしゃく能力をなくして栄養補給している人でも医療の必要が低いとみなされる。こんな患者に出て行けとはいえない」。3月に札幌市の勤医協丘珠病院を調査した紙さんに看護師長らが訴えました。
高齢者の患者負担引き上げに加え、長期入院のための療養病床の大幅削減を盛り込んだ医療改悪法案。紙さんは3月24日の予算委員会で、「患者の多くは、病状の変化に対応した医療、看護が必要だ。病院を出ても行き先のない患者が多数出る」と追及しました。
05年6月16日の厚生労働委員会では、介護保険の報酬水準が低過ぎて、ヘルパーの移動や報告書の作成時間に賃金が支払われていない問題を取り上げました。事業者が労働基準法を守って移動時間の賃金を払う場合に「今の介護報酬で経営できるのか、実態調査をしてほしい」と要求。老人保健局長は「調査する」と約束しました。
D平和の思い受け継いで
コンクリートの破片が窓を突き破ってテレビを貫通した。人に当たらなかったのは奇跡だ――。04年8月、沖縄国際大学(沖縄県宜野湾市)に米軍普天間基地のヘリが墜落した事故は住民を恐怖に陥れました。
焼けた木、真っ黒に焦げた校舎の壁、削られたひさし。墜落現場を調査した紙智子さんは息を飲みました。
「こういう破片があちこち飛んでドアを破っている」。紙さんは9月7日の参院予算委員会で、校舎のコンクリート片を手にして市民の不安と恐怖を訴えました。川口順子外相(当時)は「日米安保体制を基軸とする安全保障は重要」と基地撤去の願いに背を向けます。紙さんは「県民の願いは飛行機を飛ばさないこと、基地の閉鎖・撤去だ」と力を込めました。
■辺野古の海で
日米政府はその危険な普天間基地に替わる基地を名護市の辺野古沖に建設しようとしています。紙さんは国会で「県内、国内にたらい回しするのでなく撤退を」と主張してきました。
小石を落とすと、するすると落ちてゆくのが見えるほど透き通った海。「こんなにきれいな海に基地をつくるのか」。05年の11月に紙さんは名護市の辺野古沖をボートの上から調査しました。海岸の一番いいところを占めるキャンプ・シュワブの米兵たちは海にヨットを浮かべていました。
「沖縄の負担軽減」といいながら進められる基地強化をなんとしても阻止しなければ。紙さんは決意を新たにしました。
■日米政府の密約
「米軍は、毎年最大270日間に及ぶ富士演習場区域使用の優先権を有する」。紙さんは05年3月の予算委で、陸上自衛隊東富士演習場(静岡県御殿場市など)の米軍の使用にかかわる日米政府の密約の存在を、米政府の解禁文書を示して追及しました。
同演習場は、日米地位協定で米軍が一定の期間に限って使用できると定められています。年間270日もの使用を認める密約はこの規定と矛盾します。紙さんは、この密約の問題をあいまいにしたままでは「共同使用」の名で全国の自衛隊基地を米軍基地化することになると批判しました。
「静岡新聞」と「沖縄タイムス」は「東富士演習場に秘密協定、米軍に使用優先権」の見出しでこの質問を報道しました。
■平和の原点
紙さんにとって平和への思いの原点は、20代の時に広島を訪れ、被爆の実相を学んだことです。燃える家の下敷きになった姉を助けられなかったという被爆者の男性の「本当はしゃべりたくないが、次の世代に語り継がなくてはいけない」という言葉に、紙さんは「この気持ちを受け止めて頑張らなくては」と強く思いました。
「憲法九条は侵略戦争の反省にとどまらず、戦争のない世界を展望する決意も表明している」。04年11月の憲法調査会で紙さんはこう意見表明しました。憲法改悪や教育基本法改悪など戦争する国づくりを許さないために、参院選で日本共産党の勝利を――。紙さんは訴え続けます。(しんぶん赤旗・『東北のページ』に06年9月21日から5回にわたり掲載されたものを一部修正しました)