<第203回国会 農林水産委員会 2020年11月26日>


◇参考人質疑/農家にとっての育種について/許諾制とすることについて

参考人
有限会社矢祭園芸代表取締役
全国新品種育成者の会前会長   金澤 美浩君

公益社団法人全国愛農会会長
家族農林漁業プラットフォーム・ジャパン代表  村上 真平君

○種苗法の一部を改正する法律案(第二百一回国会内閣提出、第二百三回国会衆議院送付)

○委員長(上月良祐君) ただいまから農林水産委員会を再開いたします。
 休憩前に引き続き、種苗法の一部を改正する法律案を議題といたします。
 本日は、本案の審査のため、二名の参考人から御意見を伺います。
 御出席いただいております参考人は、有限会社矢祭園芸代表取締役・全国新品種育成者の会前会長金澤美浩さん及び公益社団法人全国愛農会会長・家族農林漁業プラットフォーム・ジャパン代表村上真平さんでございます。
 この際、参考人の皆様に一言御挨拶を申し上げます。
 本日は、御多忙のところ御出席をいただき、誠にありがとうございます。
 皆様から忌憚のない御意見を賜りまして、今後の審査の参考にいたしたいと思いますので、よろしくお願いを申し上げます。
 次に、議事の進め方について申し上げます。
 まず、金澤参考人、村上参考人の順にお一人十五分程度で御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
 また、御発言の際は、挙手をしていただき、その都度、委員長の許可を得ることとなっておりますので、御承知おきください。
 なお、御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず金澤参考人からお願いいたします。金澤参考人、どうぞ。

○参考人(金澤美浩君) 本日はこういう場にお招きいただきまして、本当にありがとうございます。全国の育種を手掛けている生産農家の代表として、今回の発言をさせていただきます。
 まず私の自己紹介で、私は、福島県の矢祭町というところで、東北の一番最南端で、さらに二十数年前、合併しない宣言をしたあの町だと思えば思い出していただけるかと思います。そこで、私は花の鉢植えの生産をしております。
 高校を卒業後、どうしても花が作りたくて、実際のいわき地区にある花生産農家に一年ほど研修に行き、そして昭和四十九年から鉢花の栽培を始めました。
 周りには、コンニャク、それから水稲、そういう畑作のメーンの町ですので、花など作っているのは誰もおりません。そのために、自分からいろんな市場さん、花屋さんに出向いていっては、情報を集めながら販売をしていたわけでございますが、平成のちょっと前ですけれども、ガーデニングブームと称した花の需要がすごく伸びてきて、それで、花を、やはり注目される作物として、みんなから注目を集めるようになってきました。その中で、今後、やはりこの田舎の米麦、それにコンニャクとかシイタケよりも、4Hクラブの仲間に、この花作りというものを皆さんにお教えしながら、平成元年に矢祭鉢物研究会という鉢物専門の団体をつくりました。
 その中で、自分たちの花作りを地域産業の一つの核にしようということで、八人のメンバーでいろいろと勉強していきながら、さらに私が育種という部分のところを、育種開発、新しい、地元に根付くような新品種を作りながら、その会員のみんなに配りながら、その中での、広いフィールドの中で更に優良な品種を選びまして、更に改良を進めていって、矢祭町の独自のオリジナル商品を多数作出してまいりました。そういう流れもありまして、育種はその時代から少しずつ本格的なものになってきました。
 その後に、そういったものの市場での評価、それから花屋さんからの評価を聞いて種苗メーカーさんもある程度見に来るようになりまして、そういう研究室の人たちとの交流がすごく多くなってきて、そういう中で、余剰の、余った分の種を何とか、種苗会社のカタログに載せて全国販売しないかということも始まりまして、そこから本格的に販売のための育種開発ということ、それに併せて種苗登録と、そういったものもそういう人たちのお力を得て少しずつ登録をしてまいりました。現在、登録数も七十以上の登録数、それ以上に登録を申請していましたけれども、現在五十数種類くらいが今農林省の品種登録としてまた生き続けております。
 そういうことで、その間に自分も、いろいろ研さんも含めまして、当時の全国の生産協会の品評会と称したものも含めて農林大臣賞を三度ほど受賞しております。
 そういったこともありまして、さらに、種苗メーカーさんとの協力も得ていろんなものを手掛けるようになりました。特に育種をしていて、ごく最近ですけれども、ジャパンフラワーセレクションって、自分も委員にはなっていたんですけれども、この度委員を退職しましたけれども、何とかそのジャパンフラワーセレクションの中に何か金澤さんのものを出展してくれないかと言われて、先日出したところ、自分の作ったシクラメンのフルダブルのものが今年のジャパンフラワーセレクションの第一席のフラワー・オブ・イヤーという賞を昨日いただいたということで報告を受けました。
 そういった形でそういったものも含めてメーカーさんと育種をしていきながら、新しい品種を作出しながら、今度はメリクロンという、もうこれ以上種では増やせない部分のところをクローンで何とかできないかということで、再三、昔からメーカーさんとも自分の商品を提供しながらやり取りしまして、今回の賞をいただくことになりました。病気のない心配の苗を安定的に供給できるので、我々にとってみれば大きなメリットがありました。
 この頃からカーネーションも育種を手掛けまして、現在、商品名で国内ではマジカルチュチュと言っていますけれども、近年、許諾先を通してこの品種系統群の一部をアメリカの方でも発売が始まっております。また、アネモネ属の品種の中のシュウメイギクというものも、私がこういう形にできればいいなと思っていろいろと交配した中で、それがヨーロッパの種苗メーカーに見初められまして、それで今アメリカとヨーロッパで向こうのパテントを取りながら、許諾を進めながら今販売しております。どれも結構な数量を海外で売ってもらっております。
 それにつけて、また、自分の所属している会の中でいろいろ海外との研究若しくは視察ということで本格的に行っていて、今海外のミニトマトや、そして米、それからその他の野菜も含めてサンプリングしてまいりまして、日本の風土に合う生産性の高いものをどうやって作ろうかと今改良しております。なかなか、海外から来るものの品種においては日本の風土に合わないものが非常に多くて、非常に生産性が低い、そういったものもございます。やはり農家さんの、日本のこの気候に、風土に合う、そういうものを改良していきながら、今開発しております。
 十五年掛けてやっと国産のラズベリーのめどが立ちました。というのは、ある国内の大手の果物の輸入会社から十五年前に打診がありまして、今、その当時、一千トン、アメリカ、メキシコからラズベリーの冷凍物を輸入していると、そういう中で、国産を何度か、いろんなJAにお願いして苗を配って、生産してくれとお願いしたんですけれども、なかなか商品が上がってこない、みんなやりたがらないということで、そういった部分を、何とか国産のそういう品種を作って、生産性を高めるための品種を作ってくれないかと、そういう依頼を受けましたので、何となく、私は本業が花なので、だけれども、まあ、私の会のメンバーの中にはたくさん果樹やそういったいろんな育種をされている方がいまして、そういう人たちにお話を聞くことができたので、私も面白そうなのでそれを引き受けました。
 それで、十五年の年月でいろいろと、国内に売られている、販売されているラズベリーの苗木集めまして、実際に栽培をして、何が悪いのかということでいろいろ検索をしてきて、種をまいて、交配をしていって、そういったものを恐らく何万本というほど捨てたでしょう。その中の何個体かは優良なものを残していきながら、実際の畑で作って生き残って、非常に丈夫でなおかつ収量が非常に多い品種が、一群が何品種か見付かりました。それを合わせて、海外のものと比べても全然収量が違う。そういったものを今、地域興しとして作り始めているところです。
 今は二千五百トンの輸入で、国産が何と五トン未満なんだそうです。そういう中で、四十億ぐらいの輸入量だと聞き及んでおります。
 何とかこういった部分の、ラズベリー、そのほかの野菜類も、欧米ではポピュラーですけれども日本では全くなじみのないものがたくさんございます。こういった、オリンピックを契機に、こういう地方の在の中に欧米のいそしんだ野菜、果物とかそういったものをできていたら、本当のそれがおもてなしになるのかなという気はします。
 また、こういったものも地域興しの、耕作放棄地を開墾したりして、また、総務省である地域づくり協力隊の隊員が今二人うちに来ております。そういうことで、こういう地方の過疎の地区で、そういう人たちの部分の定住、それに地域の産業として雇用を創出していく、そういったものも含めて、今、町でも一生懸命応援していただいておるところです。
 それから、全国新品種育成者の会についてちょっとお話ししたいと思いますが、我々個人の生産者、育種者は本当に、農業の品種開発に取り組んではいるんですけれども、国の研究所や県の試験場のような組織もない中ではなかなか情報も集まりません。そこで、全国の個人育種家が集まって、全国新品種育成者の会という情報交換を行う組織をつくって、もう三十年以上たっております。私は二十数年前に皆さんから勧誘を受けて組織に参加しております。
 私は花がメーンですけれども、果樹や野菜の育種家さんたちもたくさんいらっしゃいます。例えば、シャインマスカットよりも十年も前に、シャインマスカットと同じ手法で、実は、瀬戸ジャイアンツという、そういう、作られている花澤ぶどう研究所の花澤さんもおられますし、また、その影響力を受けて、同じ地区でいろいろと育種の方法、開発の方法を教わった、今、あの山田元農林大臣さんと対談をウエブサイトでしました岡山の林ぶどう研究所の林君も今副会長をしております。今、林さんはマスカットジパングという品種を開発しまして、農家との直接契約でブランディングに取り組まれております。
 会員を始め我が国の個人の育種家は、公共機関や種苗会社の開発に負けず、いい品種を開発しています。新品種を開発した場合、それぞれお互いに応じて展開を図っていますので、必ずしも権利化せずにオープンに利用してもらう場合もありますが、いいものを持続的に供給できるような権利化をして、きちんと供給を行うという方もいらっしゃいます。

○委員長(上月良祐君) お時間ですので、御意見をおまとめください。

○参考人(金澤美浩君) はい。
 私たち個人育種家等の立場としましては、長年いろいろと時間と経費を掛けてきたものを、どうやって自分たちの開発したものの中で、今の現行の中ではその部分の権利をリターンすることができないものもたくさんございます。この辺を何とか、花や野菜のような形で果樹の部分を何とか是正していってもらうことが私たちの長年の果樹育種農家の夢ですので、これを何とかお願いしたいと思っています。
 済みません。ありがとうございました。

○委員長(上月良祐君) ありがとうございました。
 次に、村上参考人、お願いいたします。村上参考人。

○参考人(村上真平君) 済みません、ちょっと椅子が座りづらくて、皆さんの質問には座って答えますが、十五分間は立ってしゃべらせていただきます。
 今紹介にありました村上真平と申します。
 公社全国愛農会という小さな農業団体ですが、戦後、七十五年前にできた農業団体であります。この農業団体は、初めにその創始者が、第二次世界大戦、あの太平洋戦争の自分たちの侵略戦争に入ってしまったということを受けて、まず世界平和、自分たちが、農業団体であるけど、まず世界平和を求める、そして、愛と協同の理想農村の建設をする、そういう祈りの下に発足した団体であります。私は現在その団体の会長を務めさせてもらっています。
 また、もう一つありますが、家族農林漁業プラットフォーム・ジャパンというところの団体の今代表もしております。
 この家族農林漁業というものは、国連が去年より家族農業の十年ということで、SDGs、これを二〇三〇年に達成するためには貧困と飢え、これを解決する以外にはないと。そのためには、この家族農林漁業、まあ家族農業という言葉で言っていますが、簡単に言えば第一次産業ですね。自然の中で自然の恵みとそれを利用して、食べ物、住むところ、そして着るものも含めて作る、こういうものが本当にこの世界平和を、持続可能な社会をつくるのであるのならば、この人々が生きれる世界にならなければならない。そして、この人たちこそが世界の環境と、それから地域の文明を守っていると。そういう意味で、この家族農林漁業の十年を是非多くの方々に知っていただいて、小さい農業であるということが本当に自然を守り、その地域を守るということ、そのことを皆さんにお伝えしたいということで始まった団体であります。
 今回、この種苗法のことに関して話してくれということを数日前に受けまして、最初はいろいろと考えました。というのは、なぜ農業者が種を取っていけない、苗を取っていけない、それを使っていけないのか。農業というものは、現在でこそいろいろな種が、F1とかあって種ができないのもありますが、つい五十年ほど前まで、農業は一万年前に始まりました、九千九百五十年間は、全てのものは農民が種を取り、自分たちで育種し、そしてそれをずっと続けてきたわけです。今使っている様々な種類の、大きな会社が、小さな会社でも、種の基にしているものは全て農民が営々としてつないできたものです。つい五十年ほど前までです。F1というものができたのが、日本ですと五十数年前ですね。そのF1にしても、それまであった様々な種類を使って育種しているわけです。
 農民はなぜ育種するのか、なぜそれを育てるのか、それは自分の生活であり、農民は、この愛農会の第一、急に変えて済みません、愛農会の僕らのミッションステートメント、綱領ですが、その第一はこういうものです。古いですけど、ちょっと言います。一つ、我々は、農こそ人間生活の根底たることを確信し、天地の化育に賛して、衣食住の生産に精進せん。古い言葉ですが、簡単に言えば、私たちは農こそが人間を支えている基盤だということを確信する。これはどういうことか。私たちは、そういうことに関わっているということに誇りを持っているということです。そして、天地の化育、つまり天と地、自然の育てる力、今で言えば生態系、これに賛し、私たちが育てる。それに賛同して、手伝いながら衣食住の生産に精進する。これを私たちの第一の綱領と思っておりますが、自分たちが種を取るということ、そして種を育て、どんどんどんどん作っていく。
 実際に作っていけばいろいろな種類が出てきて、そこからまた変わったものを選んでいってという形で、ずっと今まで育種というのはされてきましたし、F1ということで、交配させてそこから選んで、十年ぐらいかけて固定するということも、今、日本の農業研究所はやっていますよね。
 そういうわけで、種というものは常に、私たちはいろいろなものから種を作りますが、それをまず自分たちが育てて、そして本当にいいものを続けていく。作った人は、自分の種がいろんな人に使われることに喜びを感じる。農民は、同時に種を作る人たちでありました。
 それが今、農民は種作っちゃいけないということを堂々とこの国会の場で話をする。すごいことだと思っています。この背景に何があるのか。それは、僕は、言葉が悪い、ずっと昔からモンサント法案というのがありました。遺伝子組換えの種を作ったときに、遺伝子組換えの種は、これはF1と違って次にまた植えられるんですね。それで、彼らは遺伝子組換えのやつを農家と協議して、自分たちの使うなと言ってもなかなか、みんな使ってしまうということで、彼らはその作った人たちをみんなスー、告訴していって物すごい莫大なお金を取ったということがあります。
 ただ、それは世界的に皆さんに非難されたものですから、その後やったことは、遺伝子組換えで自殺する種を作ったことです。自殺してしまえば、一回目はいいけど、二回目は自殺してしまえば使えない。でも、それは倫理的に問題だということで止められました。
 そうすると、彼らが自分たちが守るためには、種を農民が取らなければいいということです。その力がここへ及んでいるのかどうか分かりませんが、私は今この場で、農民が当たり前のように種を取って、そしてそれを育て、そしていいものをみんなに分け与えながら、そしてそれによって人々を養ってきた、その者、農民に対して、種を作るな。もちろん、種苗されている方、まあ今日は同じ福島県ということであれですが、非常にすばらしいものを作っておられると思います。そして、作った方々が一番うれしいのは、それをいろんな人が使ってくださることですよね。本来は喜びを分かち合えるもので、これによって私だけがもうかるという考えではやっていないと思うんです。
 そういうことを考えたとき、もう一つ、余りそのことを話すと長くなりますので、もう一つは、やはり二〇一八年に国連が小農宣言、小農の権利宣言、これは小農と農村に住む人々の権利に関する宣言です。人権憲章みたいなものですね。これで、国連、大多数で、まあ日本は賛成しませんでしたが、様々なディベートがあった中で、農民たちが守ってきたもの、名も知らない人たちが守ってきたものを、種を取る権利を取るということはあり得ないということで、国連では、農民は種を取る、種苗、それを取り続けることを権利として認めるということが決定されております。これも、つまりSDGsを二〇三〇年に達成させるための一つのステップでもあります。私たちは、ここで皆さんがこれからいろんな法案を作っていただくんですが、世界のこの流れの中で日本も持続可能な社会をつくるための一役を担う、そういうことで皆さんは国会議員になってここにおられると思います。そういう全体の中で私たちが今やろうとしていることが何なのか、そういうことを是非考えてほしいと思います。
 最後に、僕はバングラデシュに六年間海外協力で行っていたことがあるんですが、そこで出会ったある団体が一九九一年からある農業運動を始めました。今では三十万の農家が種を取り、そして種を分け合い、有機農業、自然農業でやるという農業運動になっております。そして、そこの中心的なことをやった女性のグループのメンバーでベグンさんという方が、二〇一五年にFAO、世界農林機構に表彰されました。その理由は、SDGというのは二〇一五年ですね、SDGs、つまり農村の貧困や様々な苦しみ、そういうものを救い、立て直すために、農民として頑張った人に与えた賞です。それは、ノヤクリシーアンドロン、新しい農業運動ということで、そこでやったメンバーであり、僕もよく知っている方でした。
 彼らが言っていることはこういうことです。必ず種は自分たちで取ります。家に行くとすばらしい種の倉庫があります。そして、必ず地域に種の、シードストアがあるんですね。そこからはみんな種はただでもらうんです。欲しい人、ない人は、手で一つ、これだけもらったら返すときに二つ返す。じゃ、その返したものをきれいに掃除してきちっとやるというのは誰かというと、種の委員会が二十人ぐらいおりまして、そこは八百ぐらいの世帯ですが、そういう人たちの種を世話していました。今年一月、そこへ行って彼らとその種のところで話してきたときに、彼らに、なぜ、大変です、きれいにして次に使えるようにする、あなたたちは全然お金ももらわないで、これやっているのはなぜですかと。それは、自分たちにとって誇りなんだと。この種を守ることが自分たちの将来の人たちを守ることなんだと。そういうことに選ばれて、その委員会としてやっていることに誇りを持っていると。
 僕は今、この中で種苗を作っている方が問題だとは言っていないんです。なぜ、いろいろな形で今回、外国へ出るとき、いろんなことを言っていて、今回の法律でそれを阻止できないことが分かっているにもかかわらず、まず段階的に農民の種や種苗を使うということ、この当たり前の行為を止める、それがどういう意味なのかをよく考えて皆さんに審議していただきたいと思っています。
 以上です。

○紙智子君 お二人の参考人のお話、本当にありがとうございます。大変、お二人とも大変な御苦労をされながら一生懸命努力して、それでやっぱり実績つくり出してきているというふうに思って、改めて感銘を受けながら聞いていたところです。
 それで、ちょっと皆さんずっと聞かれてきているので、本当に原点的なことになるんですけど、最初に村上参考人にお聞きします。
 昔から、種子を制する者は世界を制するという言葉があるんですよね。これって、いや、それぐらい大事なものだよということだとは思うんだけど、よくよく考えるとちょっと怖くなってくるというか、種子を制する者は世界を制するということは、種子を支配するということになるとこれはどうなんだろうかというふうにも思ったりもするわけです。
 それで、種もいろいろ、花卉の栽培だったりするんだけど、食料の種ということになると、これ本当にみんなの命の基になるものだというふうに思うんですね。種がなかったらどうなるんだろうというふうに、本当に大変なことだと思うんです。
 それで、二〇一八年に種子法の廃止の法律が出されたときに、多くの人が知らないまま短時間で通ってしまって、後から知ってびっくりしたと、何でこんな大事な法律を廃止したんだということで、その後あちこち回ったときに、もうどこへいってもこういう声がぶつけられたんですよね。それで、本当に慎重にちゃんといろんな角度から深めることが大事だということを私も心して、今回、種苗法ということなんですけれども。
 それで、村上参考人は、この資料の中に書いてありましたけど、やっぱり種子は農民にとっては命なんだと。農家にとって育種ということがやっぱりどういうことなのかというのを、やっぱりやられてきた人でないと実感としてはないと思うんですけど、その辺のところをちょっとまず一言お聞きしたいと思います。

○参考人(村上真平君) 僕の場合には、種子というものは、なるべく種が、もし植えるとしたら、種を取れるものにしています。F1は使わないことにしています。そして、自分で取れるもの、まあ物によっては非常に難しいものもありますから、なるべく種子を取ろうということをしていますが。
 なぜそれをするかというと、やはり種というものは、ずっと長い年月、農民によって守られてきて続いてきて、そして、そういうものが、今はF1とかいろんなもので、きらびやかなものになったり、いろいろしているんですが、やはり具体的に僕ら有機農業とか様々なことをしていくと、自分たちで種を作った場合には成長の仕方が全然違うんですよ。
 これは簡単なことで、基本的にいろんな種というのは農薬や肥料を使っているところで作っていますから、そこのところにどんどんどんどん慣れてくるんですね。そうすると、僕らはリハビリテーションと呼ぶんですけど、そういう種でも、一回、自分たちが一年とか二年作ると、だんだん性質が変わってくる。これは多分遺伝子のあれが変わっているんだと思いますね。変わってくることによって自分たちのところに合ってくる。そういう意味で、種を取るということを非常に大切にしています。
 何といいますか、先ほど、種を制する者は世界を制すというものは、どちらかというとアメリカ的な発想だというふうに思っています。一つのスーパーの種を使って、これで全部の人が使えばいいという考え方ですが、この考え方は、いずれにしても、これから百年、二百年の間にはそういう考え方では駄目になることははっきりしています。それは生態系というのをきちっと見れば分かることなんです。一つのものでスーパーというのはあり得ないんです。物事が滅びていくのは、それがすごく、その種がすごく少なくなるか、そればっかりになるからなんです。つまり単一性、及び、それが完全に続けるだけの個体数はなくなる。
 そういうことを考えると、僕は、種は世界を制すという言い方は、どちらかというと多国籍企業的な、種によって、今、例えば多国籍企業が、世界の幾つか、六つぐらいの会社で世界の六〇か七〇%ぐらいの種の生産、いわゆる販売をしているわけなんですよね。日本の会社はどこまでそれに入っているかどうか分かりませんが、種というものが農民の手を離れて種子会社のものになり、そして種子会社がそれを自分たちの権利だと言い出す。
 先ほど僕ちょっと話しましたけど、僕はすごく不思議だと思うんです。種子会社は、俺たちが作った、苦労して作ったから、これからこれぐらいあなたたちはロイヤリティーを払え、払えと。じゃ、その元の苗、どこから、種、どこから来た。どこかの農家から買った、どこかの人から買った、だからいい。じゃ、なぜ、ここでロイヤリティーを払えと言ったら、これになぜロイヤリティーは払わないの。
 まるで空気や水のように、種子は当たり前のように五十年前まではあったんですよ。ですから、それはある意味ではコモンズ、共有財産みたいなものです。そこから取ってきたもので、育種したもので、自分のもので、ずっと延々これを使う人間はロイヤリティーを払えということは、これは別な意味での倫理に僕は反することだと思っています。
 それは今の社会では受け入れられるかもしれないけど、これからの環境の問題、いろいろなことを考えていったときに、今の方向性は非常に少数の遺伝子で精鋭化したものに、そして、それで全てのものをコントロールする方向に来ているんです。ですから、種子は世界を制すという言葉使うんです。でも、実際は制せられないんです。そうなった場合には、先ほど言ったハザードが起こります、必ず。
 そういう意味で、僕らはなぜ自分たちはその種を取りたいかというと、自分たちの、気候変動の中でいろんなものを植えていれば、一つのものが駄目になってもほかのものが大丈夫ということがありますので、そういう一つの安定性ということも考えています。
 そして同時に、農業というものはどうしても単一化になっていって、農地が今、一万年の中で森林の三分の一がなくなって農地になっているわけですが、これが温暖化や様々な問題をつくってきている、地球環境の問題もつくっているんですね。農業の一番の問題点は単一化なんです。生態系が非常に単一であって、非常に危ういんです。それを増やすためには、自分たちが食べ物を作る、いろんなものを作る中で多様性を増やさなきゃならない。そうしなければ安定しないという思いがあるので、その方向でやっています。

○紙智子君 ありがとうございます。
 多様性ということが大事だという話されていて、私も多様性というのは大事だと思うんですよね、いろんな形でやっていく必要があるんだと思っていて、今、種を作る人と、それから買う人という、そういうちょっと分業化もしている面があって、種苗を買う中に、買ってみたんだけど当たり外れもあるということで、農家の人で、なので自分で確かな種を作るという人もいるわけですよね。
 それで、現行の種苗法の二十一条というのは、これまででいうと、生産者の自家採種を認めていたと、原則自由だったわけなんですけど、その規定がある意味農家のその多様性を保障する部分でもあったんじゃないのかなというふうに思っていて、そういう意味では、今度の改正でこの自家採種を、これ禁止ではないんだと農水省は一生懸命言っていて、許諾制にするんだと、許諾料を払うことで登録品種であっても作ってもいいという話になるんですけれども、結局、やっぱり狭めることにならないかなというふうに思うんですよね。
 その辺は、ちょっと一言で言うと、どんな感じを受けていますか、村上さん。

○参考人(村上真平君) 先ほどお話ししたように、育種においても、種にしても果樹にしても、全てのものを品種改良や新しいものを作っていくときは元々になるものがあるんです。そして、元々のものは別に許諾もなしに使っているわけです。これから、じゃ、ローカルバラエティー、今までのものは許諾要らないからやっていっていいんだよといって、そこからどんどんどんどん新しく作っていったら、どんどんどんどん、じゃ、許諾が要るものを作りますよというようにやる。僕、それはやはりエシカルじゃないと思います、倫理的じゃないと思うんです。
 変な話なんですけど、自然の今まで一万年の歴史の中で、様々なもろもろあるものから取って、それに対しては払わない。これ、今よく言われているのは、モンサントなんかは、Btコーンといったような、何か虫が食ったら死んじゃうようなコーンを作って、いっぱいロイヤリティー付けて売っていますけど、これ、元々コーンはメキシコが産地ですが、メキシコにロイヤリティーは全然払っていません。
 つまり、今までコモンズと言われるいわゆるみんなの共有財産であったものから選んで自分が使って、それでもうけたもので、そこはロイヤリティーは取るけれども、こちらに返さないですよね。そうすると、ここに一つやっぱり問題が、じゃ、育成者の権利はいつまでなんだと、何年までなのだ、育成者はその前にあったものに対してどういうそれがあるんだと、そういうことがなければ、これはアンフェアですよね。
 やっぱりそういうことをきちんと考えないと、育成者の権利権利ばっかり言っていますけど、まあ、育成者を僕は否定しているわけではないです、非常にすばらしいと思っていますが、やはりそこはきちんと考えてほしいと思います。

○紙智子君 ありがとうございます。
 金澤参考人にお聞きします。
 金澤参考人は、花の育種、生産、それから販売ということで、全国品種育成会の会長も務められてきたということですし、国産のラズベリーも作られたということなんですよね。
 実は、私、話聞きながら、私、北海道なんですけれども、花屋さんで知り合いがいたんですね。いたというのは、もう亡くなってしまったんですけど、その方から、タモトユリといって、日本の固有種で、鹿児島のトカラ列島の口之島の断崖絶壁にだけ自生するという、そういう花があったんだけど、これがもう絶滅ということになっているんですけど、純白のユリの花です。それで、その球根を分けてもらって北海道に持ってきて、自生で復活させることができたといって非常にうれしそうに話をしてくれて、たしか農林水産大臣賞か何か受けたと思うんですけど。
 そういうやっぱり新しいものを作っていくということの喜びとかそういうのを聞くと、大変な努力しているわけだから、これはやっぱり知的財産権としてちゃんと保障されるべきものだなというふうに思うわけですよ。そういうのはやっぱり大事だなと思うんですね。
 ただ、やっぱり、花と食料とまたちょっと違うと。食料というふうになると、今度はやっぱり生きるために必要なものになってくるので、ここは私は区別というのも必要なんじゃないのかなというふうに思うんですね。
 それで、先ほどの話も聞きながら共感するわけなんですけど、そのことと、やっぱり生産する側、農家の人とのやっぱりどっちもちゃんと成り立つようなことを考えたときに、先ほどロイヤリティーの話なんかもあったんですけれども、やっぱり、何というのかな、そういうやったことに対してのちゃんと評価と、それから対価ということで、農家の増殖を、許諾料を取るというやり方ではなくして、いい方法がないのかなというふうに、もっと農水省として別のそういう応援する中身というのは考えられないのかなと思うんですけど、その辺はどうでしょうかね。

○参考人(金澤美浩君) まず一つ、許諾の料というのは、国が決めるわけでなくて、これは商業の相対の中でのいろんな条件によって許諾料というのは当然決まります。作っていただける人は安心して、その許諾を受ければ、その一定のキャパの中で精いっぱい自分の作りに専念できる、一つのそういうメリットもありますし、また販売する許諾料の部分についても、単価も含めて、その販売されるものの金額によって相当変わってきます。何円のものから何百円のものまで。
 そういった部分での、育成者権側とそれを受けてやる側が、そういう形での契約の上に、相互理解を示しながら、そういった形で私は行くと思いますし、また、政府的な部分の中というよりは、そういう国の作られたものの中においては、そういった形で、量的なもの、それからまた、許諾をすることによって、ある程度の一定の、誰もが作られるわけじゃなくて、契約された選ばれた人が作っていくというふうな感覚で、逆手に考えれば、非常に特異的な販売だとか、そういった、はっきり言えば値段の交渉がこちら側にあるというような、成果物の、そういったものに広がっていくんじゃないかと思うんです。
 誰もが、万民が作って、やっぱりだんだん粗悪なものも出てきて、それで単価が下落してその品種が終わってしまう、消費者にそっぽを向かれる、これが通常の今までの私たち昭和五十年代の花作りの悲劇でした。それが、そういう種苗法に基づいた中で登録を取られながら、一定の量の、マーケットに落とす一定の量を調節していきながら、許諾を受けた人たちがしっかりいいものを作ったおかげで、その品種が、まあ、早く言えば高く売れて、農家そのものにも許諾もあるし、しっかりしたものが消費者に渡ったときに、リピーターとしてまた循環が繰り返す。そういうものだと私は思っています。
 自由に作る、作りたい、また、そういったのがちょっと頭に、ちょっとこう触って、どうも今までと違うその違和感はあるでしょうけれども……

○委員長(上月良祐君) 金澤参考人、申し訳ありません、時間が参っておりますので、おまとめくださいませ。

○参考人(金澤美浩君) はい、済みません。
 どうもありがとうございました。

○委員長(上月良祐君) いや、おまとめください、簡潔に。

○参考人(金澤美浩君) ああ、そうですか。はい。ちょっと興奮ぎみだったんで、何話していたか分からなくなっちゃいました。
 まあそういうことで、作る側も、許諾を受けた側である程度そういうマーケットの調節をしていきながら、農家そのものの手取り額も逆に多くなるような、そういう消費者との関係もウイン・ウインに持っていけるような方向性もできるのではないかと、私とすればいいんで、そういうことを推進してほしいと私は思っております。

○委員長(上月良祐君) お時間が参っておりますので。

○紙智子君 済みません、残念ながら時間になってしまいました。
 私はやっぱり、育成者も大事だけど、やっぱり生産する側、農家の権利も大事なので、何とかこれをうまく釣合い取れるようにしていくべきだなということをちょっと改めて思ったところです。
 どうもありがとうございました。