<第180回国会 2012年3月26日 沖縄北方特別委員会>


・沖縄振興法・跡地利用法改正案について
・北谷町長・野国昌春氏らに参考人質問

○紙智子君 三人の参考人の皆さん、ありがとうございます。
 最初に、北谷町の野国町長さんからお聞きしたいと思います。
 さっき御説明もいただいたんですけれども、跡地利用の問題では、これまでSACOの最終報告で返還合意されたキャンプ桑江は九十九ヘクタールだったわけですけれども、そのうち本当にまだ相当、六十ヘクタールぐらいですかね、残って、未返還のままということです。
 それで、細切れ返還というのか、だから、合意しているんだけれども、ちょこちょこちょこちょこと返されてもすごく使いづらいだろうなというのは思うわけです。二十三事案で返還合意された部分についていうと、四十・五ヘクタールですか、そのうち四十ヘクタールが返ってあと〇・五がまだ返ってきていないとか、こういう形でくると、非常に自治体にとっては利用計画が立てにくいし、そういう点では、それについての、何というんですか、苦労というか思いというところを語っていただきたいのと、それから、やっぱりほかの返還地と一体的に整備をしていかなきゃいけないと思うんですけれども、その点での再開発への要望ということが一つお聞きしたいことと、もう一つ、併せてお聞きしたいのが、北谷町は嘉手納基地も抱えているわけです。それで、戦闘機の訓練の爆音被害なんかも非常に、私どもも行って、物すごい音がするわけですけれども、いつもこの負担軽減ということを言われるんだけれども、しかしながら、負担が軽減されたのかというところは、私は率直に言ってとてもそういうふうには思えないんですけれども、その辺りのところについての町長さんの実感と、それから、最近は基地の外に米軍の方が住まうところが増えているということなので、それについてもどうなのかなということについてお聞きしたいと思います。
 それから、比嘉参考人に対しては、子供の貧困という問題がやはり沖縄でも深刻な問題になっていて、県の教育委員長として現場でじかに感じられていること、その対応ということと、それから、この参考人の資料の中に本島の子供たちを離島に連れていく活動ということで紹介があるんですけれども、生活がなかなか大変だ、困窮しているというような子供たちなんかが参加する場合のその財政的な援助とか、そういった対策なんかはどのようにされているのかなということをお聞きしたいと思います。
 以上です。

○参考人(野国昌春君) 今の海軍病院のところですけれども、ここもSACO合意では二〇〇七年までに返還をするというようなことでしたけれども、もう既に五年が経過をしているわけです。
 これは、いわゆる常に返還に当たっては、いわゆる移設条件付というようなことが一つの課題になっておりまして、移設が実現しないことにはこの返還が実現しないと、こういう、何といいますかね、日米の約束になっておることが一つの問題だというふうに思っております。
 私としましては、いわゆる五ヘクタールとか、そういった形での細切れ返還になると町づくりそのものが全くできないというようなことで、ある程度まとまった範囲での土地を返還してもらいたいと、こういうようなことで常に国にも要請等もしているところであります。したがって、キャンプ瑞慶覧とか、こういうところも、いわゆる百メートルとか、いわゆる五十八号線から百メートルとか、こういった形の返還じゃなくして、まとまった形での返還をしてほしい、町づくりができる範囲での返還をしてほしいと、こういうような要請をしているし、また希望もいたしているところであります。
 そのことが、先ほど交通渋滞もあると申し上げましたけれども、いわゆる国道拡幅も、今年、新年度ではいわゆる事業化が通ったわけですね。国の方から通ったわけで、二百三十億円の事業化が認められておりますので、是非これを早めに進めていくと。場合によっては、返還が遅れるようだったら道路分だけの共同使用とか、こういったことも視野に入れて対応しなければいけないだろうというふうに思っております。
 爆音被害につきましては、嘉手納基地を取り巻く沖縄市、嘉手納町、北谷町で三市町連絡協議会、俗に三連協と言っておりますけれども、三連協で爆音問題については常に取り上げております。その中で、やはりグアムへの訓練移転とかで、この前は確かに役場の調査でもその間少し静かになったということではございますけれども、しかし、いわゆる二十二時から翌朝の六時までという、このことが全く守られていないと。もう現在でも、四時半ごろ必ずというほどエンジン調整音というのが聞こえてきまして、確かに離発着は六時以降になってきておりますけれども、飛行機は、戦闘機はいきなりエンジンを掛けて飛ぶというわけにはいかないようですので、そのためのエンジン調整の時間の爆音というものは地域住民に非常に負担となっていると、こういうようなことでございます。
 それから、米軍人軍属が基地の外に住むというようなことですけれども、これもやはり公園とかそういった中は、米軍人も休みの日はもう全部使うと。これを排除するわけではないんですけれども、やはりそこには一定のルールを守った形でのものでやってもらいたいと。昨年も夏に、米軍人が傍若無人な、そこに瓶を割ったりしたというようなことで、四軍調整官に言って抗議をして、その後そういったこともなくなってはいますけれども、しかしながら、まだまだそういった基地の外に住む者も含めて、我々としてはその実態が、住民登録もされていないですので実態が明らかにされていないと、こういうようなことがやはり漠然とした不安にもつながっていると、こういうことで、北谷町も沖縄県で二番目に多い、沖縄市がこの前なりましたけれども、しかし人口比にすると、あるいは面積比にすると断然北谷町が多いわけで、そういった事件、事故に対する不安もあると、こういうような状況であります。

○参考人(比嘉梨香君) 子供の貧困については全国的に悩ましい状況にあると思いますけれども、沖縄もやはり同じでございまして、離婚率の高さは北海道と並んでいつも一位を争っている沖縄県でございますから、一人親の世帯、多いです。そして、母子家庭が多くて、観光立県でございますから、女性の仕事で一番多いのが夜のお仕事になってしまう。そうしますと、うちに夜親がいないだけではなくて、核家族化は全国並みに進んでおりますので、一人で子供たちが過ごす。
 そこで起こっているのが、例えばしつけですとか、あるいはマナーですとか、社会性を養うということが家庭の中でなかなかできにくかったり、そして、一番大事な親やあるいは周りにいる大人たちと接することによって心、愛情を受けて心を育てるというのが、沖縄でも、都市部においてはちょっとなくなってきつつあるのかなというふうに思います。
 やはり、生活保護の受給率は決して全国一位というわけではないんですけれども、高いこともあり、それから就学援助を受けている子供たちの数も那覇とか都市部では二割を超えています。それは、給食費ですとか学用品を支援してもらうことによってやっている子供たちが多い。
 先生方からお話を聞きますと、やっぱり子供たちが朝学校に来ない、いない。じゃ、先生が行くと、親はいなくて子供が一人でいて、冷蔵庫の中には何もないから買い出しをして冷蔵庫に食べ物を入れ、御飯を作って帰ってくるというようなことをやってくださっている先生方も多いです。そういう先生方のお話を聞きますと、やはり学校にもうかなり負担が掛かっている状況がある。これをもう少し地域で応援する仕組みというのが必要になってくるのかなと。これはもう沖縄だけのことではないかもしれませんが、地域の中で子供たちを育てて、沖縄が本来持っていたはずのものをもう一回、離島にはまだ残っているものを離島をモデルにしながら呼び起こすことによって、みんなで子供を育てる、将来の宝を育てていくということが求められてくると思います。
 そのための支援事業に対する予算は、はっきり申し上げて少ないと思います。ですから、一括交付金が活用できるのであれば、その辺の充実、スクールサポーターしかり、地域のコミュニティーで学校をサポートする仕組み、その他大学生が例えば小学生を指導するとか、塾に行けない子供たち、学業が遅れている子供たちをサポートする大人のチームをどのようにつくりそれを支援していくのか、これはこれから求められていることだと思います。
 それから、離島活性化、離島体験交流事業についてですが、那覇の子供たちあるいは本島の子供たちが、やはり生きる力が失われてきている、それからコミュニケーションが取れなくなってきていると。これももう全国と同じように沖縄も進んできておりまして、それを離島に行くことによって、離島のおじさん、おばさんたちは今でも子供たちをメーゴーサー、げんこつ、スーパーメーゴーサーってやったりしますけれども、げんこつをしたりしながら叱ります。この叱られることに喜びを感じるというぐらいの現象が、全国から来る子供たちの中でも、沖縄の子供たちの中でも生まれているんです。そのくらい、子供たちが自分に目を向けられていないというふうな寂しさを持っているんだと思うんですね。ですから、叱ることも含めて声を掛け、その子を認めてあげるというのを離島の中でやっていることというのがこの事業の目的の一つなんですが、離島でそれを体験させるというのを、そこで何かのきっかけで勇気が湧いてくれば、子供たちが自ら自分が生きる道を見出していける、そしてその力を自分でつくり出していくという、そういうことができるのではないかということで進めておりまして、これは三か年の国の補助を受けた事業です。
 ですから、今のところ子供たちの負担はありません。今後どのように続けていくかというのは、先ほどの就学援助を受けている子供たちはそのような支援が出るのでしょうけれども、全体的に必要とされている生きる力を付けていく、コミュニケーションを付けていく、それから未来に向かって夢を持てる子供たちをつくっていくための事業というのは、補助の在り方というのを新たにつくり、継続的な支援をしていく必要があるのではないかというふうに思っております。