<第174回国会 2010年3月17 日 予算委員会>


○紙智子君 初めに、三月末が期限となっています東富士使用協定についてお聞きします。
 米軍普天間の訓練移転をめぐって、協議が中断した理由と再開に至った経過を防衛省にお聞きします。

○副大臣(榛葉賀津也君) 済みません。中止に至った経緯ですか。

○紙智子君 中断した理由と再開した経過。

○副大臣(榛葉賀津也君) 中断した経過でございますが、様々な新聞報道によりまして、東富士演習場に普天間の代替施設が来るかのごとく報道がございました。今、この東富士の使用協定の議論の最中でございまして、それにつきまして、地元の首長さん並びに関係者から事実関係が問い合わせがございました。それにつきまして、我々の方から文書をもって回答をし、その回答に御納得をいただいて協議が再開したということでございます。

○紙智子君 この問題で、御殿場市長に対して、地元選出の細野豪志議員と榛葉防衛副大臣が、東富士に今以上の負担はない、安心してほしいと電話で伝えたという報道がされていますけれども、御本人からその事実を確認したいと思います。

○副大臣(榛葉賀津也君) お答えいたします。
 北澤大臣を支える防衛副大臣に任命をされまして六か月がたちました。この間、北は北海道から南は九州、沖縄まで、基地の関係する首長さん並びに議員、そして地元の関係者と様々な議論をしてまいりました。そしてその際、状況や特性等々、高所から、様々な見地から安全保障に関する議論をしてきたのも事実でございます。
 他方、この普天間の移転先というのは、委員御承知のとおり、平野官房長官の下で検討委員会を設置をし、八回にわたり議論をしてまいりました。常にゼロベースで議論を積み重ねてきて今日に至っているわけでございまして、私が、どのような場合であれ、個別具体的な移転先の可能性について述べることは、明言したことはございません。

○紙智子君 報道されていることは事実なのかということなんです。

○副大臣(榛葉賀津也君) 委員がどの報道を指しておっしゃっているのか分かりませんが、報道の問題について一々私が答える立場にないと思っております。

○紙智子君 今以上の負担はない、安心してほしいと言ったかどうかということです。

○副大臣(榛葉賀津也君) そのような発言をした覚えはございません。

○紙智子君 協議再開に至ったのはこの電話があったからだというふうに市長が述べているわけですけれども、それは違うということですか。

○副大臣(榛葉賀津也君) 地元の市長さんや関係者が御心配をされ、その前からもこの協定の話がございましたから、防衛省の方に首長さんたちがお越しをいただき、日ごろの防衛省、自衛隊、そして米軍富士キャンプもございますから、感謝の意を述べ、様々な意見交換をさせていただきました。
 最終的に御地元が御納得をいたしたのが、先日地元から提出された文書に対しまして、地元から提出された文書の趣旨は十分に理解しているところであり、今後、地元の意向を踏まえ誠実に対応してまいりたい、ついては、第九次東富士演習場使用協定終結協議の継続をお願いしたいということで、この文書をもって納得をしていただいたというふうに理解をしております。
 加えまして、その後、市長さんからも電話があり、お話をしたのも事実でございます。その際にも、我々も誠実にこの問題を、地元のことも勘案し誠実に対応してまいりたいというお答えをしたのは事実でございます。

○紙智子君 誠実に対応した結果、結局裏切ることになったということはありませんか。

○副大臣(榛葉賀津也君) 地元の御殿場市長さん、裾野市長さん、小山町長さん、極めて見識の高い、そして防衛省・自衛隊、そして日本の安全保障にも大変理解のある方でございます。他方、様々な御負担を掛けていることも事実でございまして、自分としても日ごろ真摯に話をし、議論をしてまいっている次第でございます。
 この問題につきましても、先ほど申し上げましたとおり、誠実に対応したいというような話をさせていただき、それに対して御理解をいただいたというふうに思っております。

○紙智子君 外務大臣と防衛大臣に対して、地元に対してこのような問題でどのようにおっしゃるつもりでしょうか。納得させられるんでしょうか。

○国務大臣(北澤俊美君) 何事も、基地問題で御負担を掛けておる市町村については、懇切丁寧に御説明を申し上げて、常に理解を得ながら継続してきているという歴史をひもときながら、ちゃんとした対応をしていきたいと、こういうふうに思っています。

○紙智子君 外務大臣。

○国務大臣(岡田克也君) 北澤大臣と同じであります。

○紙智子君 そのような対応では地元は不安は払拭できないというふうに思います。はっきりと明言すべきだと思います。
 あわせて、地元が長年不信感を抱いている秘密協定についてお聞きします。
 私は、二〇〇五年の三月に予算委員会で、資料一にありますアメリカ統合参謀本部の公開された外交機密文書から、アメリカ軍が富士演習場の使用権を二百七十日持っているとする一九六二年の秘密協定問題を取り上げました。
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 当時、その存在については否定されたわけですが、政権が替わった下で改めて外務大臣と防衛大臣にこうした秘密協定があるかないかについて伺います。

○国務大臣(北澤俊美君) 紙委員はかねてからこの問題について国会で議論をされてきておりますが、この問題はコマンドヒストリーに、米軍内部の文書でありまして、在日米軍が年間二百七十日の演習を行う権利を保持する旨の合意文書が存在してきたと、そういう記述はあるわけでありますが、当該記述については、その後段で、日本政府は地元の政治状況が原因となり本合意案を締結するに至らなかったとの記述があるということで、かねがね政府側からも答弁をしているということであります。

○紙智子君 今おっしゃった防衛大臣の答弁を聞きますと、要するに、なかったという今までの政府の対応だったんですけれども、あったことを認めることになるわけですよね。あったというふうにお認めですか。

○国務大臣(北澤俊美君) これ、秘密のものであるとかなんとか、そういうことではなくて、米側の資料としてこういうものが存在しておると。しかし、内容について、紙委員が言われてきている文書のその後段に、日本の政治状況があって合意には至らなかったと、こういうことも記述されているというふうに承知しております。

○紙智子君 今の発言、非常に重要だと思います。認めたと、秘密文書が外国の文書であったということを認めたということであって、極めて重要な発言だというふうに思います。
 それで、今お話しになった点ですけれども、資料の二、三、四を見てください。
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 日米間の会談が頻繁に行われています。一九六五年五月十九日、第二十回富士特別作業部会。十一月十五日、防衛施設庁は北富士・東富士演習場に関して在日米軍のスタッフと会談。十二月二十八日、防衛施設局長はザ・チーフ・オブ・スタッフと会談とあります。さらに、一九六六年のコマンドヒストリーには、防衛施設庁長官は、一九六六年二月二十五日、北富士と東富士を同時解放に向けて作業するとの米側の提案を受け入れるとの内閣の決定を在日米軍司令部に伝えたとあるわけです。
 協定案が存在していたことを示したものだと思いますけれども、そういう会談や内閣の決定があったということではありませんか、防衛大臣。

○国務大臣(北澤俊美君) この資料は、秘密であるとか、秘密文書であるとか秘密の協定がなされたとかというたぐいのものではなくて、単にこういう文書が存在したということはおっしゃるとおりでありまして、旧政権の中でいろいろな御答弁もあったようでありますが、これは別に秘密にして否定をするたぐいのものではないと承知をしておりますし、なおまた、この問題について紙議員が極めて関心を高めておられますので、防衛省としましても米軍に照会をいたしました。
 二十二年の三月十五日、地方協力局地方調整課長より在日米軍司令部第五部長に対して確認をいたしまして、米側が作成した協定案の一部であり、米軍の優先使用については合意に至らなかったものと判断をしておるというふうな返答をいただいております。

○紙智子君 しかし、今紹介したように、六六年のコマンドヒストリーには受け入れた内閣の決定が伝えられたとあるわけです。これに対してはどうですか。

○国務大臣(北澤俊美君) 受け入れたというのは、紙委員の解釈では何を受け入れたというふうにおっしゃっておられるんですか。

○紙智子君 いったん留保したんだけれども、二つの提案をアメリカ側にしていて、そのうちの、一緒に二つを解放するか、それとも東富士だけ先にするかどうかということをめぐっての提案がされていて、保留になっていたけれども後で受け入れたということです。

○国務大臣(北澤俊美君) この在日米軍コマンドヒストリーの一九六六年版ですね。これには、防衛施設庁長官は、一九六六年二月二十五日、北富士と東富士を同時解放に向けて作業をするとの米側の提案を受け入れるとの内閣の決定を在日米軍に伝えたと、こういうふうになっていますね。これは極めて古い話でありまして、この当時のことを私らも少し調べさせていただいたんですが、なかなかその資料が整わないというようなこともあります。
 ただ、現実の問題として、米側が二百七十日は米側の権利であるというようなことを議論としては提案しましたけれども、日本側の事情によってこれは合意に至らなかったということで、なお少し付け加えさせていただきますと、米側が、日本の地元の地主の皆さん方が百日ぐらいを、そこへ入ってくる日にちを規定してありまして、それを引くと二百七十日と、三百六十五日から引くと二百七十日くらいが空くということで、二百七十日を潜在的な権利として多分その当時言ったのではないかと思うんですが、実際にはもう日本の自衛隊が三百六十日ぐらい演習をしておりますし、米軍はわずか一部のところで百日ぐらい演習をしているという現実から見ても、この文書で二百七十日を日本が米側に確約をしたということは、この実態からしても推測は難しいのではないかというふうに思います。

○紙智子君 十分調べないで憶測で物を言ってもらっては困るんですね。
 それで、資料の五を見てください。
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 これはアメリカの上院外交委員会の議事録です。外務省にお聞きします。これどういう性格の議事録ですか。

○委員長(簗瀬進君) 外務大臣岡田克也君。(発言する者あり)
 いや、登録ないから、まずは。まずは外務大臣岡田克也君、ちょっと説明してください。

○国務大臣(岡田克也君) 副大臣から答弁させます。(発言する者あり)

○副大臣(福山哲郎君) 答弁させていただきます。
 米国の上院外交委員会は、上院の常任委員会の一つであり、国務省、国際開発庁等の外交政策関連機関を監視する役割を担っています。また、同委員会では、外交分野での政治任命高官の承認や国際協定の是非の検討、米国外交政策に関する立法の検討を行っているところと承知しておりまして、そこで議論された議事録と承っております。

○紙智子君 これはアメリカの世界戦略の見直しを議論するところで、東富士の現状が次のように報告されています。アンダーラインが引いてあるところですけれども、在日米軍は毎年二百七十日使用する権利を有すると。このように、一九六二年の秘密協定案、六五年のコマンドヒストリー、そして七〇年のアメリカ上院外交委員会の議事録と、時系列で読みますと、これ、二百七十日間の使用権は生きているということじゃありませんか、外務大臣。

○国務大臣(岡田克也君) それは外務大臣に聞かれる御質問でしょうか。ちょっと私には理解しかねるんですが。

○副大臣(榛葉賀津也君) 基地に関する問題でございますので私の方からお答えいたしますが、紙委員るる今申し上げたことは、いろんな議論があったのかもしれません。他方、特にその演習場、この場合は富士演習場でございますが、おけるこの米軍の使用条件については、この日米合同委員会合意、これで決めるかどうかがすべてでございまして、アメリカ側で何を言おうと、日本側で何を言おうと、日米の合同委員会できちっとコンセンサスを得るかということがすべてだと思っております。そして、この案件については正式な合意には至っていないということでございます。

○紙智子君 日本にはないというんですけれども、米国の議会で日本のことが話をされているわけですよ。だから、調査すべきじゃありませんか、最低でも。

○副大臣(榛葉賀津也君) 日米の合同委員会で合意に至らなかった、このことは、つまりは二百七十日に及ぶ優先使用が認められる旨の同意がなかったということでございまして、私たちが外交ルートを含め、米側にも確認をしているところでございます。

○紙智子君 全く納得できません。
 これはやっぱり調査をして、その資料を提示すべきだと思いますけれども、もう一度お願いします。

○国務大臣(北澤俊美君) 米国の議会で議論をされておると、こういうふうにおっしゃっていられますけれども、それは日本の国会だっていろんな議論はします。
 しかし、結果として両国で合意がないものは何の意味もないわけでありまして、しかも四十年前なので、我々も、紙委員がかねてからこの問題に関心を高めておりますので精力的に調査しましたが、四十年という歳月は極めて壁が厚くて資料が整わないわけでありまして、現実の問題として、アメリカが二百七十日の演習を自分の権利として使用しているかというと、そういうことはないわけでありまして、そこのところは現実を見ながら御理解をいただきたいと思います。

○紙智子君 現実がどうであろうと、そういうものが残っているかどうかということが問題なんですよ。
 それで、これ、静岡新聞が二月十八日に一面でこの問題書きました。それぐらい地元にとっては非常に切実な問題だからですよ。現地にとっては東富士の演習場の使用協定というのは、演習場の全面返還を前提に成り立っている問題です。二百七十日の使用を認める秘密協定があれば、これ逆行することになると。そして、全く知らされていなかったことが米軍、米国の文書で明らかになったと。これがもし事実だったら、地元住民はずっとだまされ続けてきたことになるわけですよ。
 だから、政府は、米国に対してこの事実関係を調査して、地元住民はもちろん、国民に対しても説明をする責任があるんじゃないですか、両大臣にお伺いします。

○国務大臣(北澤俊美君) 丁寧に御答弁を申し上げているつもりでありますが、いささかちょっと無理があるんではないかと思うんですね。そういう資料があったから密約があったということではなくて、日米で合意に至らなかったということで、現実のものになっていないわけですね。
 それをあたかも、地域の皆さん方が不安に思っているというふうにおっしゃられても、我々、私は政権交代してまだ半年でありますが、自民党政権といっても今日ここにおられる方はほとんどまだ自民党員でもなかった時代の話でありまして、この歴史を密約があったというふうにおっしゃられてもなかなか検証がし難いんでありますが、むしろ現在の状況を見て、そういう不安がもしあの当時にあったとしても、それは払拭されているというふうに御理解をいただきたいというふうに思います。

○国務大臣(岡田克也君) 日米間に御指摘のような密約はないということは今回改めてアメリカ側に確認をしております。

○委員長(簗瀬進君) 時間が切れています。

○紙智子君 今、外務大臣が改めて確認をしますということですか。

○委員長(簗瀬進君) 時間が切れています。

○国務大臣(岡田克也君) 日米間に御指摘のような密約はない、そのことは今回改めてアメリカ側にも確認しております。

○紙智子君 いずれにしても、現地の不安は引き続き残っているわけで、やはりこの問題については重要な問題ですので引き続き追及をしたいと思います。
 終わります。