<第169回国会 2008年3月27日 農林水産委員会 第4号>


○紙智子君 日本共産党の紙智子でございます。
 食の安全、安心についてお聞きします。
 昨年の偽装表示、そして全国に衝撃を与えた中国製ギョーザの薬物中毒事件などを通じて、国民の食の安全、安心に対する関心がかつてなく高まっています。今、国民生活審議会の生活安心プロジェクト、ここで食の安全、安心の審議も大詰めを迎えていると思います。そして、食品表示制度をどう改善するのかということが今真剣に議論をされているわけです。この中で、偽装表示を防止するためにも製造年月日表示を復活させるということが消費者の強い願いになっているわけです。ところが、若林農水大臣は、三月七日の記者会見において、製造年月日に置き換えればそれでみんな消費者側の判断で、知恵でうまくいくかというと必ずしもそうじゃないということを批判されているわけなんですね。
 ちょっと明確にしておかなくちゃいけないと思うんですけれども、製造年月日表示に置き換えるというのはだれも言ってないんですよね。置き換えると言っているんじゃなくて、期限表示と製造年月日表示を併記すべきだというふうに言っているわけです。国民生活審議会でも併記というふうに報告をしているわけなんです。併記することによって、消費期限、それから賞味期限、偽装表示も相当防げると、そういうことで言っているというのが考え方の大本にあるということなんですけれども、この点、大臣、いかがでしょうか。

○国務大臣(若林正俊君) 私、記者会見のお話ございましたが、そのときには、併記というよりも、賞味期限というものあるいは消費期限というのが分かりにくいということから、製造年月日にした方がいいんじゃないかという趣旨の話と受け止めてお話を申し上げたわけでございます。
 実は、そのときのことを関連して申し上げますと、もう御承知のように、加工食品についてはもう大変な技術革新が行われているわけですね。
 例えば無菌充てんというようなのがございます。これですと、実はレトルトの食品で米を、米飯なんか、最近の業者に聞きますと、もうこれは一年でも二年でもまず無菌でやっている限り常温に置いておいても変化しないと思うと、こういうことを言うんですね。LL牛乳とかLLの豆乳なども、御承知だと思いますけれども、かつて賞味期限は七日分ぐらいかなと、こういった牛乳が今もう六十日、あるいは豆乳についても賞味期限の十日というのが三か月は大丈夫だというようなふうに変わってきていますし、真空包装でありますとか遮光包装でレトルト化だとか、例えば除湿剤を入れたものの味付けののりなんかは保存性がなかったものが二か月以上保存可能になるとかと、いろんな商品が多様化してきていますから、その意味では、商品ごとにその加工の形態によって大変違いが出てきております。
 そういうようなことを念頭に置きまして、どうしても消費者、私も含めてですけれども、これはいつできたのかなということを見ます。そうすると、常識的に、食品ですから、そんな長い、二年も三年も先のこれが保存されるというようなことはちょっと考えにくいといいますか、言われてもそうかなという思いで、できるだけ新しいものを新しいものを買うというような消費行動が起きます。
 そうすると、製造メーカーの方は、そういう技術革新のインパクトというのもそれで落ちていきますし、また、売れないものができてきますとそれだけ無駄ができるわけですから、製造者が販売ルートを通じて今度は販売店に行きますと、そういうような、本来でいえばもっともっと保存性があるものについて、むしろ保存年限を、十分あるにもかかわらずそれを廃棄をするというような、またそういう表示をするおそれがあるといったようなことを危惧しているわけであります。
 それからもう一つ、これを強制するということになりますと、これは前にもお話し申し上げましたけれども、WTOのことでいいますと、外国の加工品については任意表示でどっちでもいいけれども、国内の加工品についてはこれは強制するというわけにはまいりませんで、国内で提供されるものはみんな強制するということになります。そうしますと、国際的に製造年月日が慣行として普遍的になっていない中で、日本で売る場合は全部製造年月日を刻印しなきゃいけないというふうにしますと、これはWTO法上は貿易外障壁として内外無差別ということがあるわけですが、これは差別的な扱いをするということで大変な非難を受けます。通告を受けたりすることになるおそれがあるわけでございます。
 その意味では、併記するということについていえば、できるだけ私ども、国内の業者についてはそれは業者の判断に任せながら、任意的に製造年月日を付けるということは好ましいといいますか、余り行政指導も強くやることにはいろいろ問題ありますけれども、併記を勧めると。また、併記してきている業者も非常に出てきております。商品によって違うと思いますので、併記を否定しているものではありません。
 ですから、事業者自らが製造年月日を任意に表示するということについて、それをする必要がない、あるいはしない方がいいといった意味は全くございませんので、食品表示の指導あるいは監視活動については併記していくことに前向きに検討をし、指導をしていきたい、こんな思いでおります。

○紙智子君 併記することについては前向きにという回答が今ありました。

○国務大臣(若林正俊君) 強制じゃないですよ。

○紙智子君 それで、いや、それで私は……

○国務大臣(若林正俊君) いや、委員長。

○紙智子君 いや、いや、ちょっと、いいです。
 お話聞いていると、要するに、製造メーカーからいうと、やっぱり古くなって売れなくなると困るというのがあるわけですよね。だから、製造年月日を出すことによって、やっぱり古いものから売れなくなってしまうということがあるということを一つ懸念していると。
 だけど、考えてみますと、一九九五年まではずっと製造年月日を表示してきたわけですよ。それが九五年の段階で、実はアメリカからの輸入がずっと増えてくる中で、海を渡ってくるわけですから、物すごく年月がたつと。そういう中で、やっぱりこれを外せということが言われて、そういう中で変わってきたということが経過としてはあると思うんです。
 消費期限や賞味期限というのは、結局、製造業者の方に自主的にそれを表示するということが、責任があるわけですけれども、任意ですよね。だから、そういう意味で、この間やっぱり偽装が相次いだということは、そういう企業の製造の責任ということになるものですから、やっぱり利益を考えてなかなかそういうものを改めるということができない中で、やっぱり告発されて初めて明るみに出るということが続いてきたわけですから、そういうことを防ぐためには、やっぱり製造年月日と両方併記してやるということが大事なんだということがこの間のこの議論の流れだと思うんです。それが一つです。
 それから、もう一つ言われていた、結局、その製造年月日表示を始めたら、WTO上、非関税障壁になるという話なんですけど、アメリカやEUの大使館からもそういうことが問い合わせがあるということを、牽制することも言われているんですけれども、それでは、その米国の連邦法に食品の期限表示の規定というのはあるのかどうか、これいかがですか。

○政府参考人(佐藤正典君) 御説明申し上げます。
 米国におけます連邦レベルでは、表示の義務付けに関しましては、幼児用の調製粉乳、それとベビーフードを除きまして、期限表示を義務付ける規定はないというふうになっております。製造年月日の表示もまた義務付けられてはいないところでございます。州レベルにおきまして、私ども全体情報を得ているわけではございませんけれども、例えばミシガン州とかマサチューセッツ州などでは期限表示を義務付けているというふうに承知をしているところでございます。

○紙智子君 結局、だから連邦法にない、政府としてはだからない、州レベルではあるかもしれないけれども、食品の期限表示がないと。
 結局、国としての食品の期限表示がない、そういう意味では概念もないということだと思うんですけれども、そういう米国にとってみれば、それこそ期限表示自体が非関税障壁になるわけですよね。だから、そういう米国に合わせてそれが違反になるからやめましょうということになったら、これは我が国の表示制度は成り立たなくなってしまうんじゃないかと思うんですけれども、どうですか。

○国務大臣(若林正俊君) まず米国に関して言いますと、州レベルではミシガン州とマサチューセッツ州で期限の表示というのがあるというふうに承知いたしておりますが……

○紙智子君 州ですね。

○国務大臣(若林正俊君) 州です、その二州について。他の州についてはよく分かりませんけれども、余りないんじゃないかと思います。
 実は、そういう中で、我が国が消費期限あるいは賞味期限を定めていることは、WTO上の規制からいうとそれだって駄目だと言われるんじゃないかということがお話でございますけれども、実はWTOの中では国際規格、コーデックスでありますが、国際規格というのが定められておりまして、これは賞味期限を表示することを基本として定められているわけです。アメリカはそれに従っていないという部分があるわけですけれども。この国際規格、コーデックスを基準としてやる場合はTBT協定、WTO上は貿易の技術的障害に関する協定と言うのですけれども、その上ではコーデックス規格が国際規格として認証されておりまして、包装食品など横断的にこれが適用される表示の一般規格として定められておりますので、我が国がそういう意味で賞味期限あるいは消費期限を設定することについては、WTO上、外からいろいろクレームが付くことはないと、こういうことになっているわけでありまして、製造年月日はこの国際規格においても、それからEUにおいても、米国においても定められておりません、義務付けられておりません。

○紙智子君 要するに、アメリカではそういったものが……

○国務大臣(若林正俊君) アメリカだけじゃないですよ。

○紙智子君 いや、私が問題にしているのはアメリカなんだけれども……

○国務大臣(若林正俊君) EUもですよ。

○紙智子君 いや、EUもそう……。
 それにしても、日本がそういうふうになってそちらに合わせようと思うと、日本ではできなくなっちゃうじゃないですか。問題は、農林水産省が表示問題が対象となるこの食の安心ということに最も後ろ向きな省庁であっては困るということなんですよ。
 伺いますけれども、二〇〇三年に農林水産省が決めた食の安全・安心のための政策大綱にあります食の安全・安心という言葉、これ二〇〇五年に策定した食料・農業・農村基本計画においては食の安心という言葉を削除しているわけですけど、なぜこれ削除したんですか。

○国務大臣(若林正俊君) これは、他意はございませんで、いや、本当に。
 経過からいいますと、消費者に安心した食生活を送っていただくということのためには、科学的な根拠に基づいて生産段階から消費段階における食の安全を確保するということが理念として重要な課題だというふうに考えております。
 その上で、食品表示の適正化についていいますと、分かりやすい情報提供を行うということなどの行政や食品事業者による適切な取組を通じまして消費者の信頼を確保するということが大事であるという意味で、食料・農業・農村基本計画を定めるに当たって施策の内容に即した表現をするという意味で、食の安全と消費者の信頼の確保という表現としているわけでありまして、そのような施策を通じて、結果として消費者の安心を得るということを理念として持っているということでありまして、安心をおろそかにすることではないわけであります。まさに安全と信頼の確保を通じて安心を確保すると、こういうことでございます。

○紙智子君 だから、一見するともっともそうに聞こえるんですけれども、なぜあえて外さなくてもいい安心を外したのかということには思惑が働いていたと思うんです。
 元々、二〇〇三年の四月に発表された食の安全・安心のための政策大綱では、食の安全と安心の確保に向けて改革に真剣に取り組むということがうたわれていたわけです。つまり、政策目標としてセットで安全、安心というふうにしていた意味があるわけですよ。
 ところが、それが外された経過を見ますと、財界の要望が影響していると思うんです。二〇〇四年の三月五日の基本計画策定、食料・農業・農村政策審議会、この企画部会で、当時、経団連の理事で食品業界の代表の委員が発言をしています。その中で、まず、お願いしたいのは、資料の中の、安全と安心という言葉がいつも一緒に使われているので、安心は削って安全だけにしていただきたいと、こういう要求が出されているんですよ。それを受けてその後なくなったという経過があるんですね。
 政府全体としては食の安全、安心は今も使われているわけです。ところが、農水省は安心という言葉は使っていないんですね。最も財界の要望に敏感に反応するのが農林水産省だというふうに言われても仕方がないと。ですから製造年月日表示にしても真っ先に抵抗するということなわけで、さっき併記するというふうには言いましたけれども。
 これをやっぱり続けていたら、消費者は本当にがっかりしてしまうと思うんです。日本の農林水産業にとってもこれマイナスだと。やはり、食の安全、安心という言葉を堂々と使うと、基本計画にも明記するというふうにすべきだと思いますけれども、いかがでしょうか。

○国務大臣(若林正俊君) ただいまの委員の御意見は、やや偏見に満ちているように思うんですよ。その審議会の中で経済界の代表の人がそう言ったからそれに従ってそのようにしたなどということは絶対ありません。
 これについてはいろんな議論がございまして、どうしても、安心というのは主観的な感覚の問題になってくるわけですよ、安心というのは。安全というのは客観性があると。そこで、その安心に至る施策としていえば、消費者の信頼というもの、事業者が誠実にこれに対応する、消費者に十分な情報提供をするという、そういう信頼ということと安全の科学的な評価ということによって安心を担保すると。
 こういう意味で、安全と安心というのは並べている概念じゃないという整理がされまして今あのような仕組みにしたわけでございまして、やはり政策評価という面でいきますと、客観性を念頭に置いて信頼の確保ということをうたったわけでありまして、決して安心をおろそかにするわけではありません。安全を確保する客観的な評価と、そしてそれを担保するための業者の信頼性を確保するという行政手法を通じて安全を確保すると。
 そういうふうに考えていけばいいのかもしれません。ただ、並んでいく概念ではないという整理をしたということを是非御理解いただきたいと思います。

○紙智子君
 例えば科学者や政府は、安全ということではもう担保しているんだと、安全ということではお墨付きを与えたから、それで後は何がそれを安心に感じられるかとなったら、これは個々人の受け取り方の問題だから、それ自身を目標にするのはしんどいということでそれを外してしまうというのでは違うと思うんですよ。やっぱり、安全が確保されていても個々人が安心として実感できるかどうか。もしできないんだったら、どうしてそういう事態が生じているのかということを、原因を検討して明らかにした上で、安心をもたらすために何をすべきかということでやっていかなきゃいけないんだと思うんですよ。
 BSEの全頭検査もそうだと思うんですね。全頭検査で言って、国は、科学的にはもうリスクは少ないんだということになっているんだと、だからもう全頭検査する必要ないけれども、しかしみんなやると言うんだったら三年間は期限切って国としても支援しましょうとやってきたと。三年たったから、じゃあなくしましょうと言うけど、現場はどうなっているかといったら、やっぱり安心を確保するために引き続き全頭検査やってほしいというふうに言うわけですよ。だから、今やめるかどうかという話になったときに、各県は続けてやりますと、独自でもやりますということを言っているわけですから、そういうやっぱり安全と安心ということを、両方を確保していくということが大事だと。
 これは、BSEもそうだし遺伝子組換えの問題なんかもそうだと思うんです。やっぱり個々人の受け止め方、個人差があるから大変だというんじゃなくて、やっぱりあくまでもそこを両方併せてやっていくというところがきちっと目標に定め、当初それで始まったと思うんですよ。それがやっぱり途中の経過で変わってきて安心が外れてしまったというのは、私はこれは問題だということを最後に指摘をして、ちょうど時間になりましたので、終わらせていただきます。