<第160回国会 2004年9月7日 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第1号>


平成十六年九月七日(火曜日)
   正午開会

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本日の会議に付した案件
○理事補欠選任の件
○政府参考人の出席要求に関する件
○沖縄及び北方問題に関しての対策樹立に関する調査(宜野湾市における米軍ヘリ墜落事故等に関する件)

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○紙智子君 日本共産党の紙智子でございます。
 私も日本共産党国会議員団調査団の一員として、先日、沖縄のこの事故現場の調査に入ってまいりました。地元で被害を受けた方や関係者からお話を聞いてまいりました。
 米の司令官が人のいない方向にヘリの機体を持っていこうとしたんだというようなことが言われましたけれども、私はとんでもないというふうに思いました。実際に墜落した場所というのは、人のいないどころか、本当に人口密集地、住宅地のその真ん中です。大学ということですけれども、すぐ近くには保育園もありましたし、それから大学もこの当時というのは休み中ではあったんですけれども、どのぐらい学校に来ていたのかということで聞きますと、職員、そしてその講習を受けている生徒含めて三百人ぐらいはいたということですし、図書館は市民に開放していますから、ここには市民も来ていると、そういうところで落ちているわけです。
 テレビなんかでも新聞でも報道されていますし、大臣も聞かれたと思いますけれども、ちょうど大学と一本道路を隔ててすぐ正面のところに自宅がある、中村さんという中古車を販売しているところなんですけれども、直接お会いすることができたんですけれども、とにかく、その住んでいるところの一階と二階で、ごきょうだいで御夫婦で住んでいるんですけれども、上と下とで電話のやり取りをしていたと。落ちる落ちると言っているわけですね。それで、上の方のお姉さんはいきなり落ちる落ちると言われて窓の外を見たら正に今落ちようとしていると。慌ててとにかく赤ちゃんを抱いて外に出たわけですよ。そうしたらその直後にもう飛んできた大学のこの破片ですね、それがもう飛んできて、窓を突き破ってテレビに穴を空けてふすまにぶつかっていると。もしあのとき電話で話していなかったらどうなっていたかと思ったら本当に身の毛がよだつということを言っていましたし、その御主人はちょうどその目の前が仕事場なわけですけれども、車にもうぼんぼん穴も空いているしガラスも割れていると。それで、もう自分の頭の上に落ちてくると思ったそうですね。正にもう自分が死ぬと、そういう危険な状況に立たされたわけで、今のお気持ちはどうですかと言ったら、もう絶句してしまって声が出てこない状態でした。
 もう正にこれ大惨事だというふうに思いましたが、大臣、その御認識はおありでしょうか。
○国務大臣(川口順子君) 私も全く同じ気持ち、今のお話についても、これは別な方から前にお伺いをいたしておりますけれども、本当にお話を伺っていていたたまれない気持ちがいたしました。本当に赤ちゃん、無事で何よりであった、本当にたまたま偶然に幸運なことが重なってそういう状況だったということでございますけれども、一歩間違えれば大変なことであったというふうに思っています。
○紙智子君 本当にそのとおりなわけです。(資料提示)それで、これですね、市の方にずっと案内いただいたときに、こういう破片が、結局、プロペラががらがら回って、大学のひさし、屋上のひさし、これがりがり、もうあっちこっちに飛んでいるわけですよ。こういうのがぼろぼろ落ちているわけです。それで、ドアに当たってドアを破ったりしているわけですよね。だから、私は、本当にたまたま当たらなかっただけで、もっと大きいのもあるんです。それから、ヘリコプターの部分、その部品がもう飛んできて、そのアーチの門のところ壊してしまっていると。あれにもしまともに当たっていたら命ないですよ。だから、たまたま当たらなかっただけで、もう奇跡だと、これは、そういうふうに私は思いました。
 そして、こういうことというのが、結局、日常的にそういう危険な状況というのはあるというのが実態で、今回お会いしました宜野湾の伊波市長さんが、普天間というのは危険極まりない欠陥飛行場だというふうに言っているわけです。今回落ちたこのCH53D、さっきもお話ありましたけれども、もう大変古いもので危険なんだと、もうみんなそういうふうに言っているわけですよ。ところが、本当はこれ、一刻も早くそういう問題も解決しなきゃいけないのに、現実にはその危険なヘリコプターが毎日訓練続けていて、夜間飛行も含めてやっていると。
 しかも、昨日、我が党の穀田議員の質問の中でも触れていますけれども、この六年間だけでもこの普天間でのヘリの訓練回数というのは、減るどころか増えていると。市が数えているんですね。一日平均で六十四回だったのが百五回まで、一日平均ですよ。多いときには百四十何回だという話になっているわけです。一日百四十九回も飛ぶなんという話は、もう想像しただけで大変な事態になっているわけです。そして、しかも事故後、これまで百回を超えるような、それこそ停止の要求にもかかわらず、百回を超えるような飛行が、米軍機が続けているわけです。こういう形で市民に不安と恐怖を与え続けてきている。
 このことに対して、次、茂木大臣、どのようにお考えでしょうか。
○国務大臣(茂木敏充君) 御指摘いただいた点につきましては、先日、私が沖縄国際大学を訪れたときも同趣旨の話、市長の方からもいただいたわけであります。そして、実際にあの事故の現場を見まして、地域の置かれているあの状況につきましても改めてその危険性感じたところでありまして、この危険の除去のためにも安全管理の徹底、これは必要でありますし、同時に、基地の移設、これを更に急いでいかなきゃならない、こういう思いを大変強くいたしました。
○紙智子君 結局、このSACOの合意に固執して政府がこれまで進めてきたというのは新基地の推進、そして今もお話ありましたけれども、移設の問題ですよね。普天間の危険性については、その危険性そのものは、今言ったように、減るどころか増えているわけで、むしろ拡大してきたわけです。その挙げ句が今回の事故なわけですよね。やっぱり移設するというまで結局この状況というのは我慢せいということなんですか、地元の人に対して。それまで放置するということを言っているんでしょうか。外務大臣。
○国務大臣(川口順子君) 普天間のその周辺の方々の御不安、これは大変に大きなものがあると思います。この不安を一日も早く解消するということが政府にとって取り組むべき大きな課題であるというふうに思っております。
 これにつきましては、いろいろな経緯を経て、平成十一年の暮れに閣議決定が行われているわけでございまして、これをするに当たって地元の地方公共団体の方々と緊密に連携を取りながら、協議をしながらここまで来たわけでございます。これを一日も早く実施をして、普天間の周辺の方々の御不安を解消するということに最大限の努力をしたいというふうに考えております。
○紙智子君 今回、地元でお話を伺って改めて思ったんですけれども、四十五年前に石川市立宮森小学校ですね、ここに米軍機の墜落事故がありました。で、大臣御存じだと思いますけれども、もう年配の県民の皆さんにとっては、それが一層やっぱり想起されて、思い出して、大変な不安を大きくしているというふうに思います。当時、児童で十一人含めて十七人の方が亡くなったと。そして、そのとき教頭先生だった比嘉昇一さんという方は、とにかくもう、今年、今も毎年欠かさず命日には祈りをささげてきているわけです。ほとんど当時、即死の状態で子供たちが運ばれてきたと。そして、爆風と火災でもう本当に言葉を失う、そういう悲惨な状況だったわけです。そんな中で、子供を助けられなかったという思いで、その思いが今もぬぐい去れないまんま来ているわけですよね。で、今回お会いした中で、年配の女性の方ですけれども、当時自分は中学三年生だったんだと。そういう中で、子供のお葬式に学年代表で参加したんだけれども、まだ焼けた後の煙やにおいがなくなっていない、残っている中でお葬式に参加したということを思い出しながら、もう涙が止まらないわけです。
 そういう、今回の事故で、ことがまたこうよみがえってきていると。一層不安と恐怖を駆り立てているというわけです。県民にとって、やっぱりそのことの安全対策とかいうんですけれども、一番の安全は何かというと、やっぱり基地がなくなることだと、飛行機が飛ばないことだと。これに外務大臣はどういうふうにおこたえになるんでしょうか。
○国務大臣(川口順子君) その今おっしゃった方のお気持ち、あるいはそういったことを直接に、あるいは間接に触れられた方々が今回の事故を見たときにどのように思われたかということは、本当に私は強くその気持ちについてはもうよく、よく分かりますというふうにしか申し上げることができないんですけれども、なかなか難しいことでありますけれども、我が国にとって、我が国の安全保障、日米安保体制を基軸とする安保、安全保障ということは重大な、重要なことであります。そして、そのために我が国に施設・区域がある中で、特に沖縄県においてはその七五%が集中をしているということで県民の方には大きな御負担をお掛けをしているという現実がございまして、これについては強く認識をいたしております。
 政府といたしましては、この負担をどうやったら少なくしていくことができるか、そしてまた、この負担が小さくならなければ日米安保体制の効果的な運用というのもできないわけでございまして、そういったことを考えながら御負担を少しでも減らしていく、最小限にしていくということを目指して日夜努力を重ねていきたいと思っております。
○紙智子君 そういうことを聞いているんじゃないんですよね。一番の安心というのは、やっぱりなくなることなんだと。それにどうこたえるかということを私聞いたわけですよ。
 それで、その関係閣僚会議の中身に基づいて今その事故の原因の徹底究明だとか再発防止だとかそういうことを言われるわけなんですけれども、じゃ、それは日本政府自身が責任持ってそれやるということなんでしょうか、調査を含めて。
○国務大臣(川口順子君) このヘリコプター、これの事故の徹底的な原因の究明、そしてそれに基づいて再発防止策を作っていくということは重要なことで、大事なことであります。日本政府として、これを行うために日米間で事故分科委員会を設けまして、これについてこの中でこれは日米協力をしながら徹底的に明らかにしていくということで考えております。
○紙智子君 地元の方たちの目からは、やっぱり本当に、本来でいえば日本政府自身が独自にそういうことをアメリカ任せじゃなくてしっかりやるべきだと、そういう目でごらんになっていますし、いつまでもアメリカ任せにしていたんじゃ少しもその問題についても解明されていないということもおっしゃっています。やはり日本政府自身がそのことに対して責任を持って、調査も含めてやるべきだというふうに思います。
 私、今回いろいろな方からお話聞いたんですけれども、例えば普天間第二小学校の先生の方、お話しになっていましたけれども、グラウンドで体育の授業をしていると、小学校一年生担当しているそうなんですけれども、そうすると林の方からもういきなりごおっと物すごい音で爆音が聞こえてくると、そしたら子供たちはびくっとなるというんですね。本当に不安に思っているわけです。いつ落ちるんじゃないかと、そういう不安を持っていたわけだけれども、実際に今回事故が起きて落ちたと。このことが与えている影響というのは非常に大きいショックを与えているというふうに言っています。
 それから、ごらんになっていると思いますけれども、今度、宜野湾市の志真志小学校というんですか、ここで小学校の緊急アンケートがされましたよね。その結果について出ていますけれども、その中では多くの子供たちが、事故が気になって眠れない、それから食べられない、それから勉強できない、それからヘリが落ちないか心配だ、お風呂に入っているとき心配だと、こういうふうな気持ちで落ち着かないということがアンケートの結果からも表れていて、こういうやっぱり子供たちの不安な状況というのは一刻も早くこれ解決しなきゃいけないというふうに思うんですよ。
 やはりそのためには、本当に県民が願っているのは飛行機を飛ばさないことだし、基地の閉鎖だし撤去なんだと、この皆さんの願いにこたえる意思はおありでしょうか。
○国務大臣(川口順子君) 今委員がおっしゃったようなその小学生のアンケートに出た結果、あるいは県民の方々の気持ち、これについては十分に認識をいたしておりますし、一歩でもその住民の方々の気持ちが前に進むような、そういう努力を私としてはしていきたいと思っております。
 他方で、先ほども申しましたけれども我が国の安全保障、安全保障というのはすべての日本国民にとって重要な事柄でございます。このためにどのような体制を持つかということは、これは忘れることができない、これを全く捨象して考えるわけにはいかないことでありますということを先ほど申し上げたわけでございまして、ただ、そのためのその御負担が施設・区域が七五%存在をしている沖縄県民の方にとりわけ大きく掛かっているということを十分に認識をして、そしてそういったその負担が最小限になるように政府として努力を日々重ねていく、そのために全力を尽くしていくということが先ほど申し上げたことでございます。