日本共産党参議院議員 紙智子
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2004年12月6日 国会報告会で北海道のみなさんの心にふれて
 12月3日(金)、53日間の会期を終え閉会となった161臨時国会を後に、その足で北海道に帰り、夜、市民会館の報告会に参加しました。
 12月の忙しい時期にもかかわらず、各団体のみなさんや、後援会の方々が足を運んで、切実な要望を寄せてくださいました。みなさんの暖かい心にふれ、とても励まされました。
 翌日は札幌パルコ前で、宮内聡衆議院比例候補とともに、街頭から国会報告と今後のたたかいへの共同を呼びかけました。街角のショーウィンドーには、クリスマスの飾り付けがされており、「師走」を実感しながらの訴えでした。
 国会に出てから三年が過ぎ、四年目。今度の国会は、今までのどの時とも違った緊張感で取り組んできたように思います。
 国民の要求はますます切実であり、日本共産党議員団への期待も高まる中、これにどう応えていくのか。マイナスをプラスに変える、「逆バネ」を身につける訓練の場となったと感じています。
 確かに、議員団が小さくなって、様々な制限が加えられていますが、逆に、攻勢的に質問時間を確保したり、限られた時間の中でも効果的で鋭い質問にする。そのための調査や準備など、次への飛躍のために、一人1人の議員が自らの挑戦としても精一杯取り組んできました。
 来年の通常国会は正念場です。みんなさんの熱い期待に応え、がんばる決意です。

2004年11月15日 東北「草の根シンポ」パートに参加して
 11月6日、東北ブロック初の試みとして、「草の根シンポ」の一回目が仙台市で行われました。衆院議員の高橋ちづ子さん、参院議員の大門実紀史さんと私の三人がそろうのはこれがはじめてです。パートUは「農業問題」で、秋田で開催します。
 今回は、「建設・大型店」問題をテーマに、午前中は建設問題、午後からは大型店問題と、わけて行いました。どちらも切実な問題であり、国政と草の根からの連携が求められています。
 企業倒産があいつぐ中で、建設工事代金の不払い問題はあとをたちません。建設業法にもとづいて、ルールを守って解決させるにはどうするのか。これまで様々なとりくみをつみ重ねてきた埼玉土建一般労組の経験は、現実に相談をうけたり、直面して、困っている人たちに大きな励ましになりました。
 また、大型店問題では、「まちづくり三法」(大店立地法、中心市街地活性化法、改正都市計画法)がつくられたものの、機能せず。大型店の出店ラッシュがつづいているもとで、まちづくり条例制定にむけた提言、深夜営業規制条例、中小企業振興条例など、各地のとりくみも紹介され、たいへん有意義でした。
 苫小牧市でも23日に「街づくりシンポジウム」が計画されています。「消費税」「憲法」「食と農」など、来年の通常国会を見通して、様々なテーマでとりくみ、運動を発展させましょう。

2004年10月25日 先制的に基地移転反対の声を
 在日米軍基地の再編問題が浮上しています。米軍はワシントン州の米陸軍第一軍団司令部を神奈川県の米軍キャンプ座間に移転させる計画。「沖縄の負担軽減」を口実に、米海兵隊を沖縄から移転する計画をめぐって東富士演習場や矢臼別演習場、東千歳駐屯基地などの名前があがっています。
 9月には米特殊部隊の名刺をもつ人物が酪農家や農業委員会会長宅をまわり、海兵隊についての意識調査を行っているとわかり、外務省と防衛庁を呼んで、事実確認を急ぐよう要求しました。
 10月17、18日は宮内聡さんや小泉親司・党基地対策委員会事務局長とともに矢臼別演習場周辺の酪農家や住民と懇談。関係自治体である別海町、浜中町、厚岸町、標茶町の四町長と懇談し、意見や要望を聞きました。
 「はじめの頃は、海兵隊への監視が厳重だったのに、今では警備の人数も削られている」「今までと違って米軍が常駐することになれば、沖縄で起きているような婦女暴行事件や住居侵入事件など起きないともかぎらない」「経済効果で町が潤うなどという話しではない」など、不安や、怒り、阻止に向けた決意の声が出されました。
 別海町の佐野町長は、「矢臼別での米軍訓練を固定化するなということで三町が一致している」と言いつつ、「まだ国からはいっさい話しがないが、はっきりすれば住民と相談し態度を明らかにする」と語りました。
 先制的に住民の世論を広げ、断固反対の意思を示しましょう。

2004年10月4日 台風災害の教訓生かし、国の対策の更なる強化を
 今年ほど台風が続けて日本列島を縦断し、全国で大きな被害をもたらしたことはありません。
7月下旬から9月にかけて、台風10号、11号、15号、16号、18号、21号と、ほとんど間をおかず、連続して上陸し、そのたびに死傷者や行方不明者、たくさんの犠牲者と被害をもたらしました。
 北海道では、かつての洞爺丸台風以上といわれ、風速50bともいわれる18号によって、広範囲にわたる被害を出しました。
 とりわけ、農林漁業の被害は大きく広がりました。私も空知の岩見沢、美唄、上川地方の比布、当麻町、胆振の壮瞥、洞爺村など、宮内聡道対策本部長らとともに被害調査に入り、その傷跡に台風の威力を実感しました。「今年は天気にめぐまれていたので収穫を楽しみにしていたのに…」と、肩を落とす農家の人たちの姿に、胸が痛みました。
 9月21日、農林水産省の台風被害対策本部などに対し、宮内聡国会議員団道事務所長、花岡ユリ子道議、渡辺正治余市町議らとともに、申し入れを行いました。被害状況はまだ掌握途中だったので、どのような形で救済できるのか、検討中ということでした。 
 こうした自然災害に対して、個人の努力でやれることは限られています。国が責任をもって救済することは当然ですが、現行法の完全な活用とともに、それにとどまらない災害対策・補償の充実をもとめていかなければなりません。

2004年9月13日 基地閉鎖、撤去こそ県民のねがい
 9月3日、米軍ヘリ墜落事故の現地調査で市田書記局長、赤嶺、仁比両議員とともに沖縄県宜野湾市に入りました。墜落現場の沖縄国際大学のある所は、住宅密集地であり、すぐ近くには保育園も小学校もあります。
 大学と道路をはさんで向かい側の中古車販売店の経営者は、自分の上にヘリが落ちてくると思い死の恐怖を味わったといいます。
 墜落した場所は大学の学長室の横であり、たまたま学長は席を立っていたために難を逃れただけで、人身に害がおよばなかったのは奇跡だと言っていました。
 事故直後、米軍は、黄色いテープをはりめぐらして、市民を中に入れさせず、ヘリコプターの残がいや事故原因の分析のためと言って、校内の焼けた土なども持ち帰ったと言います。
 「自分の大学が壊されているのに中に入ることもできないというのはどういうことか」と怒りをあらわにしながら、大学関係者も市民も共通の思いは、「基地の閉鎖であり、安全が確認されようとされまいと、恒久的閉鎖が要求だ」と私たちに訴えました。
 九月七日の参議院沖縄北方特別委員会で、さっそく現場の声をもとに、川口外務大臣に質問をしながら、日本の主権がこれだけおかされているのに、アメリカにものを言えない日本政府の態度に怒りを覚えました。

2004年8月23日 初めて優勝旗もたらした駒大苫小牧高校に拍手
 まさに目の覚めるような快挙でした。
 北海道全体が、心を躍らせてその熱戦に注目し、勝利を勝ちとった選手のすばらしい戦いに拍手喝采、喜びを共有したひとときでした。
 「本当に優勝したの?それにしてもすごい」こんな声もあいつぎました。いままで、北海道は冬は雪にうもれてグランドでの練習ができない期間が長いので、勝てなくても仕方がない、途中で敗退しても、よくそこまでがんばったというのが、正直なところだったと思います。しかし、がんばれば乗り越えられない壁はないということを示す勝利だったと思います。
 香田誉士史監督の「道産子ががんばった、生徒はのびのびと思い切ってやってくれた。最高です。ありがとう」と涙を流しながらのコメントに思わずもらい泣き。たしかに一試合一試合勝進むごとに、チームは鍛えられ強くなって、一人ひとりが成長していると感じました。
 なぜ、こうした戦いができたのか、これから分析されるでしょう。昨年夏の甲子園大会と秋季全道大会決勝の戦いでの敗北、その教訓を糧に練習を重ね今夏実らせたということもあるでしょう。そこにどんな努力の過程があったのか注目したいと思います。
 こうした目の覚めるような快進撃を、政治の分野でも切り開きたいと強く思いました。

2004年7月26日 自然環境問題の調査とフォーラムに参加して
 7月15、16日と、「ラムサール条約登録湿原を増やす議員の会」の一員として、サロベツ湿原や浜頓別のクッチャロ湖など視察に参加しました。
現在、日本では13ヵ所が湿原に指定されており、うち道内は釧路湿原やウトナイ湖など六カ所が指定されています。当面、さらにサロベツ湿原などを含め二十二ヵ所まで拡大する計画で、関係自治体からの要望や問題点などを聞くことができました。あらためて北海道の自然のすごさを感じてきました。
 7月24日は、旭川市で「森フォーラム〜大規模林道を考える〜」集会に、宮内聡さんとともに参加、自然保護の運動にたずさわる方々と交流することができました。
森林を壊し、ナキウサギの生息地を直撃する大規模林道は、それ自体、昨年の日高地方をおそった大水害を拡大する要因にもなっていた。林道崩壊のすさまじい実態をおさめたビデオの報告でも明らかになりました。
「森林の振興と災害時の対策のため」といわれた道路はまったくあべこべの状態になっていました。そもそも林道とは、森をこわさない必要最小限の小規模の道であることがのぞましく、大規模なものは林道とは言わないというのです。
林野庁からの天下りした幹部の会社が、中心になって工事をすすめようとしていますが、今後、さらに現地を調査し、国民運動と結んで、再検討を求めていきたいと思います。

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