<第211回国会 政府開発援助等及び沖縄・北方問題に関する特別委員会 2023年5月19日>

質問日:2023年5月19日 政府開発援助等及び沖縄・北方問題に関する特別委員会

平和な島 沖縄復帰原点 紙氏、「安保3文書」ただす 参院ODA・沖縄北方特委

 参院ODA・沖縄北方特別委員会は19日、沖縄・北方問題対策に関する参考人質疑を行いました。
 日本共産党の紙智子議員は、沖縄本土復帰の原点は「基地のない平和な沖縄」だったとし、昨年、政府が閣議決定した「安保3文書」への認識を質問しました。
 前泊博盛沖縄国際大教授は「安保3文書は専守防衛を定めた憲法をはじいてしまった。米軍統治下で自治も認められず基本的人権もないがしろにされる中、『日本国憲法の庇護(ひご)のもとへ』が合言葉になった。憲法をないがしろにするような政権が誕生してはいないかという懸念がある」と述べました。
 紙議員は、有機フッ素化合物(PFAS)による飲用水の汚染調査が地位協定で困難になっているがと質問。前泊氏は、地位協定は、米国人には米国の法律しか適用できない旗国法原理で結ばれているが、米国人であってもその国の法を適用する領域主権論をドイツやイタリアは主張し、また米軍のマニュアルにも明記されている、として、それを改定しない日本がむしろ不思議だと指摘しました。
 紙議員は、沖縄観光コンベンションビューローでの「沖縄観光親善大使ミス沖縄」選出が今年休止されたことについて質問。下地芳郎同ビューロー会長は社会情勢の変化、ジェンダーの問題も含めて親善大使の在り方を検討していくためと語りました。(しんぶん赤旗 2023年5月28日)

千島占拠道理が無い 参考人質疑 理事長答弁に紙氏 参院ODA沖縄北方特委

 参院ODA沖縄北方特別委員会は5月19日、沖縄・北方問題対策樹立に関する参考人質疑を行いました。日本共産党の紙智子議員は、ロシアに奪われたままの故郷への思いと返還運動の原点などについて質問しました。
 千島歯舞(はぼまい)諸島居住者連盟の脇紀美夫理事長は「当時4歳でいつ戦争が始まり、いつ終わったのか分からないまま3年ほどロシア人と混在して住み、子ども同士一緒に遊んだ」「当時はロシア兵と分からなかったが、家の中を大きいおとなたちが物色していったことは恐ろしかった」と記憶をたどり、「国後島から脱出して親戚を頼りたどり着いた(北海道の)羅臼から、毎日、島を見ながら生活していた」と望郷への思いを語り、この理不尽な状況を打開したいという思いで活動してきたと述べました。
 紙議員は、旧ソ連が第2次世界大戦の戦後処理の大原則であった領土不拡大に反して行った千島列島の不当占拠と、現在のロシアによる国連憲章に反したウクライナ侵攻は、重なってみえるかと質問しました。
 防衛省防衛研究所地域研究部米欧ロシア研究室の山添博史室長は「日本がソ連に侵攻していない中で、日本の領土を奪う歴史から見れば、ロシア帝国もソ連も現代ロシアも国際的な共通の規範が作用しにくい状況になる」と見解を語りました。
 紙議員は、北方4島を含む千島列島の不当な占拠に道理がないということを国際社会に示せる時ではないかと指摘しました。(しんぶん赤旗 2023年6月2日)

◇参考人質疑
 政府開発援助等及び沖縄・北方問題対策樹立に関する調査のうち、沖縄振興等に関する件

○委員長(三原じゅん子君) 政府開発援助等及び沖縄・北方問題対策樹立に関する調査のうち、沖縄振興等に関する件を議題とし、参考人の皆様から御意見を伺います。
 この際、参考人の皆様に一言御挨拶を申し上げます。
 本日は、御多忙のところ御出席いただき、誠にありがとうございます。
 皆様から忌憚のない御意見を賜りまして、今後の調査の参考にしたいと存じますので、よろしくお願いいたします。
 次に、議事の進め方について申し上げます。
 まず、前泊参考人、下地参考人の順にお一人十分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
 また、御発言の際は、挙手をしていただき、その都度委員長の許可を得ることとなっておりますので、御承知おきください。
 なお、御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず前泊参考人からお願いいたします。前泊参考人。

○参考人(沖縄国際大学経済学部教授 前泊博盛君) 今日はお招きをいただきまして、ありがとうございます。
 沖縄はちょうど復帰から五十一年の節目を迎えた直後でございますけれども、今日皆様に資料をお配りをしてありますが、まず、沖縄経済の現状と課題、展望ということで資料を準備させていただきました。
 たくさん解決しなければいけない課題があります。五十一年を経ているんですけれども、最大の課題は、やはり沖縄の低所得の問題があります。四十七都道府県の中で、沖縄はこの五十一年前からずっと低所得のまま放置されている問題があります。
 沖縄振興計画ということで、五十一年間、これまで十三兆五千億円ほどの国費を投入してまいりましたけれども、人口で一%、面積で〇・六%程度のこの沖縄の振興になぜうまくいっていないのかというところが大きな課題であります。
 皆さんにたくさん審議をいただいていますけれども、残念ながら、そういう部分ではまだまだ課題がたくさんある沖縄であります。
 この中に入れましたように、まず、失業率でも全国ワーストですね、離職率もワーストレベルです。それから、無業者の率でも、若い人たちの無業者の比率が非常に高いという、そういう意味では、新しい仕事をたくさんつくっていかなければならないという課題を抱えています。それから、非正規率ですね。仕事にありつけても非正規率が非常に高い、四四%ほどが非正規という、こういう数字があります。これも全国ワーストレベルになっています。それから、廃業率というのも高くて、実は開業率は全国一位なんですが、廃業率も全国三位という、ワーストの方に入っています。
 これ、今日、追加資料で皆様にお配りをしてありますけれども、百の指標で見る沖縄ということで、沖縄県がこの四月に新しいデータを出しておりますので、このデータの方を見ていただければ、一位と四十七位が混在をしておりますので、是非一位と四十七位に注目をしていただければというふうに思っています。所得については四十七位のままということになっています。
 それから、高離婚率。この離婚率の背景に何があるのかについても、是非この委員会の方でも調査をしていただきたいというふうに思っています。この離婚率の後で生じるのが、この母子家庭、母子世帯の比率が非常に高い。それが非常に貧困に陥るケースが高いという課題を抱えています。
 このエンゲル係数が高いというのは、所得の関係があってどうしても高くならざるを得ないというのがあります。これ、学生たちも今お弁当を買って食べるんですけれども、二百五十円とか三百円のお弁当ですね。中身を見ると、もう揚げ物が中心です。こういう若い世代で揚げ物を中心に食べていると、かつての長寿県沖縄が崩壊した理由が分かるような気がします。今はもう三十位台まで、トップだった長寿県も崩壊をしつつあるような印象を持たれています。
 それから、この母子世帯の比率の高さが子供の貧困率にもつながっています。是非、子供が貧困なわけありません、子供を持っている世帯の貧困の問題をどう解決をしていただけるかというところの課題が、まさにこの沖縄問題に関する特別委員会の課題だというふうに思っています。
 それから、低進学率。低いという数字でいうと、進学率が非常に低いです。全国五八%の中で沖縄は四〇%程度という、一八ポイントほど低くなっています。これ、大卒の進学率が低い、高卒の進学率も低いんですが、この進学率の低さがそのまま所得の低さにつながっている部分もあります。
 進学率をどう上げていくかというところでは、沖縄は島嶼県ですから、離島から出るというだけで、十五の春でまず家計の負担が大きくなります。それから、本土に進学をするということになると、こちらに家があれば五百万、六百万で済んでも、沖縄から出ると一千五百万円ほどの負担になってきます。この教育費の高さというのが大きな課題になってきます。是非、この人材育成という部分では、進学率を上げるためのサポート体制をどう取るかというのがあります。
 苦労して進学をしても、低賃金、低所得、低貯蓄が、あるいは低就職率が待っているような沖縄です。戻ってきて食べていけるような仕事に就けるのかどうか、そういう意味では、企業の求人率も非常に最低レベルで、残念ながら伸び悩むというところがあります。
 それから、この低持家率。このランキング表にもありますけれども、沖縄は実は四十七位です。東京が四十六位です。この高物価の東京よりも持家率が低いという沖縄の現状をどう理解すればよいか、こういうところがあります。所得の問題、これは恐らく、高齢者になれば貧困に陥る原因の一つにこの持家率の低さというのが出てきます。この解決も是非この中で議論をいただければというふうに思っています。
 それから、高格差社会ということで、低所得でありますけれども、一千万円以上の高額所得者の比率では八位とか九位というところに上がるという数字もあります。そういう意味では、持てる人と持てない人の格差も大きいというのが沖縄の課題ではないかという指摘もありますので、是非この辺りについても御審議をいただければというふうに思っています。
 文書に落としたのが、以下、米印に書いてあるところです。この高賃金で雇用の安定度が高い第二次産業の比率が全国最低レベルという。これ、実はサービス産業化が沖縄は進んでいまして、このサービス産業の比率では東京に次ぐ第二位ということになっています。
 あるいは、東京を超えるぐらいのサービス産業化が進んで、これが所得の中でどういう影響があるかというところで、皆さんにお配りした資料の中でも、実はこのデータで見ると、観光業あるいは飲食業のところで、これは月給ではありませんけれども、所得階級別の産業別有業者数を見ると、ちょっとデータが古いんですが、緑の部分の数字は、実は宿泊業と飲食業です。これは九十九万円以下に一万七千人ぐらいの就業があるというところで、ある意味では、今日は下地会長がいらっしゃっていますけれども、観光業の高付加価値化というのが非常に大きな課題と言えるのではないかというふうに思っています。
 働きたくても仕事がない高失業県、ようやく就職ができても給料が安い低賃金県になっている、全国一、二を争うような長時間労働といった問題もあります。こういったところをどうクリアするかというところで、課題が山積している辺りを是非皆さんに見ていただきたいというふうに思っています。
 はしょりますけれども、公共事業の依存、これも沖縄に対して十三兆五千億円ほどの復帰後の公共事業あるいは沖縄投資が行われましたけれども、残念ながら歩留り率が非常に低いという指摘があります。四八%ほどは実は本土のゼネコンに還流をしてきたというところでいうと、皆さん一生懸命予算を付けていただいていますけれども、歩留り率が悪過ぎるという問題があります。地元企業にとっては、これだけのお金が入ってくるけれども、実際にはほとんどがだだ漏れ状態で、外に漏れていってしまう。このざる経済の問題についても是非御審議をいただければというふうに思っています。
 それから、基地依存経済、これも私も基地経済、軍事論も研究をしておりますけれども、基地がもうかる時代からはるかに遠のいてしまっているのが現状です。
 今は、この数字の方で入れましたけれども、普天間基地、一ヘクタール当たり二千万円ほどの収益になりますけれども、実はもう宜野湾市の外の方の数字で見ると、民間経済では一億四千五百万円という七倍ほどです。これ、キャンプ・キンザー、浦添市のキャンプ・キンザーに至っては十倍ほどの開きがあります。
 これだけの不経済、基地があることによる逸失利益が非常に大きな時代になってきている。しかし、沖縄は基地がなければやっていけないかのような印象を持たれている方も多いと思います。この基地経済についてもしっかりと御議論いただければと思っています。
 それからもう一つ、基地の返還跡地の成功。これは皆さんも沖縄に視察に行かれたときにたくさんの跡地利用を御覧になったと思います。那覇の新都心あるいは北谷の美浜、この辺りはもう若者にとって観光地としてどれだけ栄えているかということです。返還後、百倍、あるいは三十倍という形で基地収入をはるかに上回るような経済効果を生み出しているというところでは、この平和のために、反戦平和のための返還運動から、経済的な利益を得るために基地を返してくれという要求が高まってきているということですね。
 米軍基地は今、地質学的に見ても、大半が岩盤の上に造られているんですね。ペリーが来たときに調査をして、しっかりと岩盤地域を押さえて基地を造る、その他の軟弱地盤のところに住民が住むという形になっています。返された跡地の発展可能性を考えたら、この基地の跡利用についても、不要な基地については返還を促進をして、そして新しい町づくり、あるいは新しい観光地としての発展を図ってほしいというふうに思っています。
 ほかにもお伝えしたいことたくさんありますが、質疑の中で御紹介ができればと思います。
 ありがとうございました。

○委員長(三原じゅん子君) ありがとうございました。
 次に、下地参考人にお願いいたします。下地参考人。

○参考人(一般財団法人沖縄観光コンベンションビューロー会長 下地芳郎君) 皆様、こんにちは。沖縄観光コンベンションビューローの下地でございます。本日は貴重な機会を与えていただき、心から感謝申し上げます。
 今、前泊先生から沖縄経済全体についてのお話がありましたけれども、私の方からは観光の現状について皆様にお知らせをしたいというふうに思っております。
 皆様のお手元に準備しております二種類のペーパーなんですが、A4縦のところで、最初の沖縄観光の現状ということで、沖縄観光を考える場合に大きなその歴史的な節目でいくと、戦前、そして戦後、本土復帰後、そして二〇〇〇年サミット後と、そういったこの大きな節目節目がありますけれども、今、コロナ前まで順調に伸びてきた観光がこの三年間大きく落ち込んで、今はそこからの回復の途中というふうになっております。
 皆様のお手元にA4横のパワーポイントの資料を付けておりますけれども、これがざっくりと分かりやすい資料ですので、これを見ていただければ、一番最初のページに本土復帰後の観光の流れを示しておりますけれども、本土復帰当時、六十万人程度だった観光客が、二〇一八年、一九年には一千万人まで成長をいたしました。
 先ほど、前泊先生からのお話の中で、県経済非常に苦しい状況が全国比較の中ではあるというふうなお話がありましたけれども、その中でも沖縄経済を支えるリーディング産業としてこの五十年間発展をしてまいりました。
 次のページに、これは旅行消費額をGDPと比較すると、これは本来の比較の数値ではないんですけれども、全国の旅行消費額がそれぞれの自治体におけるGDPにどれぐらいの比率を占めているのかというのを説明する際によく使っております。
 沖縄県に関しましては、旅行消費額がコロナ前の八千八百六十四億円、これがGDPの四兆円ちょっとぐらいの数値からいくと一九・一%ぐらいになります。四十七位の埼玉県だと一・一%というふうになっておりますので、それぞれ県によって大きくその観光産業のそれぞれの地域経済における割合が違うというふうになります。
 もう一枚めくっていただくと、先ほどの数字を少しチャートにしてみていますけれども、圧倒的に沖縄県のその地位というのが、この消費額がGDPに占める割合が非常に高いと。東京都は観光客が非常に多いわけですので観光収入は非常に突出して多いんですが、東京と全体のGDPに占める割合となるとこういった数字になると。全国的に見ると五%台ぐらいが中心というふうになっております。
 こういった状況ですので、コロナ禍の中で観光が非常に苦しい状況になっているということを全国の知事の皆様が全国知事会でよく申し上げておりますけれども、結果として見ると、それぞれの県にとってのその観光産業の位置付けというのが大きく違うと。そういう中で、沖縄はコロナ禍における観光への影響は非常に大きな、甚大なものがあったと。みずほ総合研究所でも調査をしておりますけれども、全国の中で一番県経済に及ぼす影響が大きかったというふうな発表をしております。
 最後のページに、そういった中ではありますけれども、沖縄県内における宿泊施設の整備はどんどん進んでおります。現在でいくと、約十七万七千人ほどが滞在できる状況までなってきておりますけれども、今年、来年、再来年と更に新たなホテルが大小できることになっております。そういう意味では、その量と質のバランスをどう取っていくのかというのは極めて大事なタイミングになってまいりました。
 資料に戻っていただいて、後半のところに、現在の沖縄の観光の状況ですけれども、ようやく国内の観光はコロナ前に近づいてまいりました。全国旅行支援等の効果もありますけれども、まだ国際観光が地方は戻っておりません。政府の発表等で見ると、コロナ前の七割近くまでインバウンド戻ったというお話がありますけれども、沖縄に関しましては、直行便の再開が遅れているということもありますけれども、まだ二割から三割程度と。その要因の一つに、空港内における人手不足が解決できないと。海外の航空会社からは沖縄就航の依頼はありますけれども、沖縄側で受入れがなかなかできていないと。そこでなかなかインバウンドの戻りが遅れているというふうな状況があります。
 それ以外にも、二次交通の問題等も書いておりますけれども、今年は、二〇二三年八月にFIBA、バスケットボールのワールドカップが沖縄で開催をされることになっております。フィリピン、インドネシア、日本、日本の中では沖縄で開催されることになっておりますので、今バスケットボール、非常に人気ですので、今年の夏は私どもも世界に向けて発信する絶好の機会だというふうに捉えております。
 二枚目に、これからの沖縄の観光について少し書いております。
 先ほど申し上げましたけれども、国内、海外から沖縄への旅行、観光についての関心は非常に高いものがあります。ここから、改めて県経済の回復に向けて観光が大きな役割を果たしていくべきだというふうに考えております。
 これから取り組むべきテーマというのが非常に多岐にわたっておりますけれども、国際観光の回復、あとは経営の問題、人手不足対策、ここが実は今本当に喫緊の課題となっております。観光客は大勢いらっしゃっていますけれども、ホテルも一〇〇%の稼働ができずに、五割、六割にとどめないと経営ができないと。そういった状況の中で、どういうふうにこれを解決していくのかというのが今の喫緊の課題となっております。
 ほかにも、持続可能な観光、これは世界的な流れでもありますので、環境をしっかり保全できるような仕組みというのも求められております。
 二次交通の改善、これも、これまでレンタカー中心の沖縄観光でしたけれども、やはり今後のことを考えますと、車を運転しない人たちも増えてきておりますし、やはりバスやタクシーを含めた二次交通の整備をこれから改めて強化しないといけないというふうに思っております。
 沖縄観光の業界の地位向上のためにも、先ほど前泊さんからもありましたけども、やはりその高付加価値型の観光に持っていかないと観光産業のその給与が上がっていかないということもありますので、新たな観光コンテンツの開発も含めながら、沖縄観光の質の向上というのがこれからの大きなテーマだというふうに思っております。
 今後強化すべき観光政策、これを国、政府への要望という形にまとめてありますけども、やはりこのコロナの中で観光業界、非常に大きなダメージを受けております。グローバルリスク報告書という中でも、今後も気候変動を含め、感染症を含め様々なリスクがあるだろうと。そういう中で、改めて今回のコロナ対策、特に経済対策、観光対策を検証していただいた上で、改めて次に備えるというところが一番大事ではないかというふうに考えております。
 二番目に、観光の意義の発信ですけども、これは一とも関連しますけども、このコロナ禍の中で観光産業のイメージが大きく損なわれてしまいました。政府が進める観光立国推進基本計画の中でも、観光は成長戦略の柱だと、地域活性化の切り札だというふうに明言をしておりますので、改めて観光の役割、意義というものをしっかり訴えていただきたいというふうに思っております。
 三番目に、インフラ整備、これも時代とともに、本土復帰後進めてまいりましたインフラも更新の時期だったり、那覇空港も世界水準に持っていくためには改めて再整備も必要になっております。基地の跡利用も、観光振興の視点から見ると極めて大きな発展可能性を持っている地域が多々ありますので、こういった地域も含めたインフラ整備が重要だというふうに考えております。
 四番目、今まさにサミット、広島で開催しておりますけども、今年の広島サミットだけで終わることではなく、今後も国際会議、日本で頻繁に開催していく必要があるというふうに考えております。沖縄も二〇〇〇年サミットを契機として観光が大きく発展をしてまいりました。次の時代に向けても、沖縄でも是非国際会議を開催していただければというふうに思っております。
 五番目、観光人材の確保は、先ほど申し上げました空港のスタッフの問題もありますし、特定技能の二号の拡大の話もありますけども、まだまだ十分な確保ができていない状況です。
 最後に、観光産業の生産性向上のためには、デジタル化、DX化、これ極めて重要な視点になっております。沖縄の中でも情報通信産業の振興に力を入れておりますけども、特に中小企業のDXを進めていくことが、生産性を上げ、収益を高める大きなきっかけになるものというふうに思っております。
 最後に、観光は平和へのパスポート、これは観光に関わる者が常に心している言葉でありますけども、一九六七年に国連が国際観光年の中でこのツーリズム・パスポート・ツー・ピースということを訴えております。今後、沖縄も平和交流拠点として発展をしていくために観光を重要だと思っておりますので、皆様の御支援をいただきたいというふうに思っております。
 以上です。

○紙智子君 本日は大変貴重な御意見ありがとうございました。
 紙智子でございます。
 一九七二年の五月十五日の本土復帰から五十一年ということであります。一九七一年の琉球政府主席の屋良朝苗さんがまとめた建議書、これは日本国憲法の下、基本的人権の保障の実現と基地のない平和な島となることを強く望んでいるということで、復帰を願った県民の心情として述べられていたと思うんです。
 そこで最初に、前泊参考人にお聞きしたいと思うんですけれども、前泊参考人はこれまでもやっぱり基地に頼らない沖縄の経済の自立、振興という問題を繰り返し発言されてこられたと思うんですね。
 そこで、昨年十二月に閣議決定された安保三文書に関わってお聞きしたいんです。
 それで、自衛隊は今南西諸島にミサイル部隊の配備を進めるとか、それから石垣島では陸上自衛隊の石垣駐屯地が開設されるとか、反撃能力を有する長い射程のミサイルの配備も進めようと。それから、嘉手納の基地にローテーション配備している戦闘機というのは核攻撃能力を持つもので、これ、アメリカの本土で核投下試験を行っていたことも分かってきているんです。これではやっぱり、基地のない平和な沖縄どころか、これ基地強化になってしまうんじゃないかというふうに思うんですよね。
 この安保三文書が示す方向で基地復帰の原点としてきた基地のない平和な島が本当に実現できるのかということを私は強く思っているわけなんですけど、この点について、まずお聞きしたいと思います。

○参考人(沖縄国際大学経済学部教授 前泊博盛君) 安保関連三文書、ある意味では専守防衛を閣議決定ではじいてしまう、この国の憲法というのはここまで弱かったのかというがっかりをする国民も多いかと思います。
 これは、沖縄県民がなぜ日本復帰を望んだのか。これは、米軍統治下で裁判権もない、自治も認められない、基本的人権もないがしろにされるというところで、この日本国憲法の庇護の下へというのが合い言葉になっていたはずなんですね。ところが、戻ってきたこの日本は憲法をないがしろにするような政権が誕生してはいないかという懸念があります。そして、この安保関連三文書というのは、アメリカから見捨てられる恐怖から自前のこの防衛力を強化しようということで、これ、防衛省の資料を見ますと三つの条件があります。我が国の防衛体制の強化、二番目が日米同盟の抑止力と対処力、三番目が同志国との連携という、この三つを書いていますけれども、なぜそれが必要になったか。ロシアによるウクライナの侵略を教訓としています。
 一番目に我が国自身の防衛体制の強化を打ち込んだのは、まさにアメリカに見捨てられる恐怖から自前の防衛力を強化しようということで動いたのかなというふうに読み込めるわけですね。そして、二番目が日米同盟の抑止力と対処力、これまで一番目に置いていたものを二番目に置いています。そして、それでもできないときに、三番目、同志国という言葉が出ます。
 これ、私も学生に、これは試験に出ますよと言いますけども、同志国とは何かという、これからの同盟国予備軍というふうに見ていいかと思いますけれども、そこを、岸田首相が一生懸命外交で回っていますけれども、これ地図に落とすと、オーストラリア、インド、英国、フランス、ドイツ、イタリア、韓国、カナダ、ニュージーランド、そして東南アジア諸国、この回っている国を全部並べると、中国包囲網かと思うような形になってしまっています。これだと、むしろ刺激することになって対立をあおるような形になりはしないかという心配です。そういう意味では、一番真ん中にいる中国との対話をどれだけ深められるかというのが大事だというふうに思っています。
 そして、基地のない平和な沖縄、ここに、返還をされた後で新たな基地が入ってきました。自衛隊基地です。これまでなかった、ゼロだった沖縄に自衛隊基地が入って、七二年の段階で三施設だったのが今五十四施設まで増えています。これだけ基地を配備強化しているという状況は、一体どうしてこうなってしまうのか。そして、五六%、五九%とあった復帰前の沖縄の米軍基地負担率が七五%まで増え、返還を促進していただいてようやく七〇%です。復帰直後よりも負担が重くなった理由は何なのかという、この辺りについても御議論をいただきたいと思っています。

○紙智子君 おっしゃられたことは本当にそのとおりだというふうに思ってお聞きしまして、やっぱり本当に今大事なこの岐路に立っているというふうに思いますので、そういう重みをしっかり受け止めながらこの後議論していきたいと思います。
 続けてお聞きするんですけれども、これ実は、先ほど来皆さんからも出されていることで、私も今年、委員派遣で沖縄に行ったときに例のPFASの問題、現場から訴えられましたし、県からもちゃんと調査したいということも訴えられている中で、先ほど何が歯止めになっているかというと、やっぱり地位協定の問題が掛かってくるので、地位協定の見直しをこの間、私も政府に求め続けてきているわけなんですが、なかなか消極的で踏み込もうとしていないということがあるんですね。
 もちろんやっていくんですけれども、その見直しということ以外で、例えば外交の在り方という点で何かあるかなと、いかがかなということをお聞きしたいと思います。

○参考人(沖縄国際大学経済学部教授 前泊博盛君) これも、今日同行いただいています平良さんと一緒に調査研究もしていますけれども、実は日本という国は旗国法原理という形で地位協定を結んでいます。旗国法原理というのは、例えばアメリカ人にはアメリカの法律しか適用できない、そのために日本においてもアメリカ人を裁くことはアメリカの法でしかできない、そういう形になっています。
 この旗国法原理から、現在は、まさにこの日本の中においては日本の中の国内法を適用するという形で、領域主権論という言葉があります。その領域においては領域の主権が行使される、これが当たり前の時代だと。これ、実はアメリカの軍事マニュアルの中にも書いているんですね。アメリカですら、旗国法原理はもう古いと、領域主権論だと、アメリカ人もその国に入ってはその法に従えというふうに軍事マニュアルにも書いてあるのに、日本だけがそれを実行できていないのはなぜかというところです。領域主権論はまさにこの国の主権国家として存立しているかどうかの一つの試金石になると思います。
 このPFAS問題だけじゃなくて、フェンスの内側においても自国領土であるというしっかりとした認識を持って、ドイツやイタリア、同じ敗戦国でもこの領域主権論を主張し、国内法を適用しているということを見れば、そういうことを実行しない日本がむしろ不思議であるというふうに受け止められていることを国民全体が知るべきだと思います。

○紙智子君 ありがとうございます。
 主権に関わる問題というふうに言われましたし、これ日本の領土なので、そういう意味で、しっかりとやっぱり主張しながら運動していきたいというふうに思っています。
 それでは、続きまして、下地参考人にお聞きしたいんですけれども、ちょっと二点お聞きしたいんですけれども、観光業はやっぱり沖縄にとって経済を支えている重要な産業だというふうに思うんですけれども、コロナ後の回復傾向の中で、沖縄観光コンベンションビューローで、二月に、観光親善大使ミス沖縄の選出というのが今までやられていたんだけども、今回休止していらっしゃるんですね。これ、なぜかなって。ジェンダー平等の観点での議論があったのかなということが一つと、それからもう一つは、コロナ禍における地域の取組で、量と質が両立するエシカルな観光地への転換を目指すということを言われていますよね。それで、エシカルなということは、沖縄のような観光地でこの環境と地域を意識した取組で、持続可能な観光ということなんですけど、それを根付かせようと思うと、どういう課題があるのかという二点、お願いしたいと思います。

○参考人(一般財団法人沖縄観光コンベンションビューロー会長 下地芳郎君) ありがとうございます。
 沖縄観光コンベンションビューローで第四十代まで続いていた沖縄観光親善大使ミス沖縄、これは、ミス沖縄というだけで、こうよく言われるんですけど、そうではなくて、沖縄観光親善大使ミス沖縄というのが正式な名称です。
 四十代まで続いておりましたけども、ここに来て、やはりいろんな社会情勢の変化というところもありますし、情報発信という手法を一つ取ってみても、様々なSNSも含めた媒体もあります。そういった中で、ジェンダーの問題も含めて、一度立ち止まってこの沖縄観光親善大使の在り方というものを考えていこうではないかというふうな思いで一旦停止という、休止というような形にしております。なるべく早く様々な分野の方々にお集まりいただいて委員会を開催することになっておりますので、その中で、コロナ禍からの沖縄観光の在り方を含めて、その大使の在り方を検討していくこととなっております。
 もう一つ、エシカルな旅というのを一つ沖縄のキーワードに掲げておりますけども、これは、広い意味でいえば、サステナブルツーリズムというふうな意味合いからの言葉です。地球に優しい、地域にも優しいという、沖縄の持っている価値をより伝えるための手法として、環境にも配慮している観光地だということをアピールしていきたいと、一つの運動として捉えております。
 ただ、これを進めていくためには、その商品とかサービスに明確なその根拠を持っていかないと、一方的に企業がこれは環境に優しい商品ですよという、それをうのみにしていては、それは本来の姿にはなりませんので、課題としては、企業が発表するその商品のコンセプトに対して、第三者的な視点からこの商品、サービスのその適合性というものをしっかり把握をしながら進めていくと。その一方で、やはり、地球環境に優しい観光という世界的な流れに関して沖縄から率先して取り組んでいくと。このことに関しては県民全体で取り組んでいく問題ではないかというふうに考えております。

○紙智子君 ちょっと時間になってしまって、ちょっともう一つ聞きたかったので、残念です。
 今おっしゃったように、やはり、本当に今の地球環境全体も考えた取組が求められている中で、是非、沖縄が更に魅力を発揮して、多くの人が集まれる場所になるように取り組んでいっていただきたいと思います。
 ありがとうございました。

◇参考人質疑
 政府開発援助等及び沖縄・北方問題対策樹立に関する調査のうち、北方領土問題に関する件

○委員長(三原じゅん子君) 次に、政府開発援助等及び沖縄・北方問題対策樹立に関する調査のうち、北方領土問題に関する件を議題とし、参考人の皆様から御意見を伺います。
 この際、参考人の皆様に一言御挨拶を申し上げます。
 本日は、御多忙のところ御出席いただき、誠にありがとうございます。
 皆様から忌憚のない御意見を賜りまして、今後の調査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いいたします。
 次に、議事の進め方について申し上げます。
 まず、脇参考人、山添参考人の順にお一人十分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
 また、御発言の際は、挙手をしていただき、その都度委員長の許可を得ることとなっておりますので、御承知おきください。
 なお、御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず脇参考人からお願いいたします。脇参考人、着席のままで結構です。脇参考人。

○参考人(公益社団法人千島歯舞諸島居住者連盟理事長 脇紀美夫君) ただいま御紹介をいただきました公益社団法人千島歯舞諸島居住者連盟理事長の脇でございます。個人的には、国後島の出身であります。
 着席で失礼させていただきます。
 本日は、三原委員長さんを始め委員皆様の御高配により、北方領土の元島民を代表して意見を申し上げる機会をいただき、厚く御礼を申し上げます。また、常日頃より、私ども元島民や後継者に対する支援措置を始め、当連盟の活動に対し御理解と御協力をいただいていることにつきましても感謝を申し上げる次第でございます。
 私は、この委員会には平成二十九年の六月に参考人として招かれ、一日も早い北方領土の返還が実現するようお願いをいたしました。それから六年が経過しましたが、この間、ロシアとの平和条約締結に向けた交渉や北方領土の返還に関しては全く進展がありませんでした。進展どころか、昨今のロシアとの関係は戦後最悪と言っても過言ではない、そのように感じております。
 本日は当連盟の主な課題や要望などを申し上げてまいりますので、皆様方には私ども元島民の思いをしっかりと受け止めてくださりますようお願いをいたします。
 当連盟は、全国で唯一の元島民の団体として、昭和三十三年に社団法人として設立されました。それから六年以上が経過しています。当連盟では、北方領土返還要求に関する取組を始め、領土問題に関する理解を深めてもらえるよう、元島民とその後継者による語り部の活動や様々な啓発事業を行っています。また、元島民やその家族がふるさとの島を訪問する自由訪問や墓参の実施に関わるほか、今後の活動を担う二世などの後継者の育成や後継者が活動しやすい環境づくりなどにも取り組んでいます。
 それでは、千島連盟の主な課題と要望について順次申し上げます。
 皆様のお手元に、参考資料として、当連盟のあらまし、宣言案、決議案、コメント、知事と連盟の要望書などを配付させていただいております。このうち、宣言案と決議案は今月二十九日に開催する本年度の当連盟の総会において採択することとしております。宣言は領土問題や返還要求運動への決意を示すものであり、決議は、領土問題に関することを始め、国や関係機関への要望に関する事項を掲げております。
 まず、領土問題に関してですが、宣言案を御覧ください。
 当連盟では、これまで一貫して北方四島の早期一括返還をスローガンに掲げ、返還要求運動に取り組んでおります。私どもが島を追われてから長い年月が経過しましたが、領土問題の解決、四島の返還に関わる、至る道筋はいまだに見えないままです。領土問題は私ども元島民だけの問題ではありません。また、根室管内や北海道といったローカルな問題でもなく、国の領土、主権の問題であり、日本国民全体の問題です。国内の世論、国民の意識が四島の返還が必要だということで一致し、こうした世論を背景に外交交渉を進めることが重要と考えております。
 また、ロシアによるウクライナへの侵略は、北方四島の現在の姿に相通じるものです。ロシアによる不法占拠という状況を元の正しい姿に戻すためには国際社会と協調していくことも重要だと思っております。
 先月、ロシア最高検察庁が私ども千島連盟を望ましくない団体に指定しました。それ自体極めて一方的で、断じて受け入れることはできないものですが、それ以上に問題なのは、指定した理由について、千島連盟の活動がロシアの領土保全を侵害していると説明していることであります。私ども千島連盟はロシアの領土を侵害する活動はしておりません。日本の領土である北方四島を返してもらうための活動をしているのです。
 外務大臣は、今回の指定を受けて、元島民の方々の気持ちを傷つけるもので受け入れられないとコメントされていましたが、そんな生易しいものではありません。昭和三十一年に締結された日ソ共同宣言を始めとして、日本とソ連、ロシアの間では北方領土という領土問題があることを前提として、その解決に向けた話合いを続けてきました。今回の指定は、そうした歴史的な経緯を全て無視して、一方的に北方領土をロシアの領土だと宣言したのだと、宣言したのと等しいものであります。
 国会及び政府には、そのような誤った前提に基づく対応は一切受け入れることはできないことを強く申し入れ、その上で、一日も早く四島返還のゴールまで結び付けていただくために、これまでに倍するほどの外交努力をお願いいたします。
 一方で、四島の返還が実現するまでの間は、私ども元島民やその家族が自由に、そして安全に四島と往来できることが何よりも大事なことと考えております。
 現在、ロシアとは、スポーツや芸術文化の交流事業を始め自治体同士の友好交流なども実施できない状況になっていますが、元島民の平均年齢は八十七歳を優に超えており、墓参や自由訪問などはロシアとの関係が改善されるまで待とうというわけにはいきません。私ども元島民やその家族にとって、墓参や自由訪問は島を訪れるための唯一の方法です。国においては、仮にロシアとの関係が難しい状況のままであるとしても、墓参や自由訪問は何としても再開する、実施するという強い思いで交渉を進めていただきたいと思います。特に墓参についてはロシアも、停止しない、していないとしており、まずは墓参の早期再開に向け協議を早急に進め、できるだけ早く、そして安全に実施されることを願っております。
 最後に、後継者の育成、活動への支援に関してです。
 令和四年末で当連盟の正会員の数は約二千六百名、そのうち元島民は八百名ほどで、二世、三世といった後継者が約七割となっております。領土返還までに更に時間を要するとするならば、返還要求運動や我々連盟の様々な活動を絶やさないよう、後継者の方々にしっかりと引き継いでいかなければなりません。連盟としては、後継者による広報啓発活動の充実を始め、後継者が語り部の活動を引き継いでいくといった取組を進めていくことが重要と考えております。
 またあわせて、後継者の一部にしか認められていない北対協融資について、後継者はひとしく融資の対象となるよう制度の改正を行うことが極めて大事なことだと考えております。委員皆様の御理解と御支援を切にお願いいたします。
 私ども元島民に残された時間は本当に少なくなっております。一日も早く北方領土の返還が実現するよう、全国各地で返還要求運動に御尽力いただいている関係団体の皆様方と協力、連携しながら、外交交渉の後押しとなるよう力を尽くしてまいることをお誓い申し上げ、私の陳述を終わります。
 どうもありがとうございました。よろしくお願い申し上げます。

○委員長(三原じゅん子君) ありがとうございました。
 次に、山添参考人にお願いいたします。山添参考人。

○参考人(防衛省防衛研究所地域研究部米欧ロシア研究室長 山添博史君) 防衛研究所より参りました山添博史と申します。この度は、お招きありがとうございます。
 私は、行政機関に所属はしておりますけれども、研究所で職務をしております。個人の資格で公開情報を基に研究発表を行っておりまして、これから述べる見解も、主にロシアをいかに見るかということを、私自身研究してきたものに基づく個人的な見解として申し上げます。
 先ほど脇理事長からお話を伺いまして、控室でもお話を伺ったんですけれども、やはり七十数年前に生起してから解決ができていない非常に深刻な問題ですね。昨年から私もウクライナの中で何が起こっているかというのに心を痛めて見てきているわけなのですけれども、それと同じことが、それに比肩し得ることが日本国民にもありまして、北方領土もそうですし、樺太でも満州でも沖縄でも難しい地上戦とその惨禍があったということをより強く想起しながら、この問題をいかに認識して考えていくべきかということをより重く受け止めております。
 さて、以下は、私自身がロシアの、国際関係としてのロシアの歴史や政治を研究してまいりまして考えておることを述べます。
 ロシアの対外関係なんですけれども、国境問題の交渉と解決というのは、実際には、中国や、現代のロシアでもですね、中国や旧ソ連にありましたラトビアとも国境問題を解決しております。この二つの事例は、大きな政治的な問題としては、ロシアと中国の間で政治問題は一部あったのですけれども、それを克服する形で互いの利益を尊重するという合意に達成、到達したと、そういう経験もある国ですので、国境問題の解決は難しくとも不可能ではありません。一方で、エストニアとの、ロシアとエストニアとの国境問題は、行政府間の合意には達したところ、その後の批准手続が進まなくてこれが政治化したという状態でもありまして、非常に難しい問題はほかのところでもあります。
 私自身が見ておりまして、ロシアと日本との間、もちろん、これは日本がずっと、一八五五年に合意して、ロシアと日本の間で合意して以来、合法的に日本の領土であって、日本はソビエト連邦に引き渡すという合意をしていない、そういう北方領土ですので、その法的原則を堅持する、これはもう当然の原則であるわけなんですけれども、ロシアが日本と合意することで何かを大きく変えるということであれば、ロシアは日本が要求していることに対して相当大きな利益と引換えに交渉するという考え方を持っているはずですので、それ自体が非常に難しい問題ではある、そこの認識は最初には必要であろうと思っております。
 それで、そのロシアの外交戦略、それ全体を見ておりますと、本来、今のロシアというのはかなり私にとっても難しくて、これまでの歴史においても難しい状態になっているとは思うんですけれども、本来、自分の利益、自国の利益を追求しながらも他国との共通の利益も重視してきたバランス、均衡も、自己抑制も、そういうものも備えた外交をする国でもあります。
 その主な関心事というのは、やはりロシアのすぐ近くの、三十年前までは同じ国であったソビエト連邦の空間、その向こうにあるヨーロッパですね、何百年もやり取りをしてきたヨーロッパの一部であるという意識もかなりロシアに強いです。その向こうにあるアメリカ合衆国、こういったところに対する意識が強くて、さらに、その大きな戦略を考えると、アメリカとは対抗する関係もあるわけですので、その関係では、中国といった国、インドのような新興国、こういった新興国との連携。
 それから、ロシア、中国というのは、政権が、統治機構がアメリカの影響力によって、何といいますか、難しい状況に置かれていると、そういう認識も共通しているわけですので、中国と連携するというような考え方もあります。そういった中に日本をロシアは考えていると思われて、必ずしも日本について毎日考えているわけではなさそうだということですので、その点も難しさの一つであろうかと思います。
 それで、二〇二二年、昨年の二月からロシアはウクライナ侵攻を始めていて、これは、私も恐れてはいながら予期していたとは言い難い、かなり衝撃的な決断ではあったかなとは思うのですけれども、その理由も理解できる部分と理解できない部分もあると。
 ただ、最も私として理解できないのは、自国の経済外交利益に対するロシア自身のバランスが失われているということで、最近ではアメリカ、ロシアとの間の核兵器の管理に関する新START条約に対する履行も停止しているという状況ですので、これはロシアの安全自身にとっても非常に大きな問題である。こういったものが、何といいますか、昔の帝国のような勢力圏抗争、こういうものだけが突出しているように見受けられます。
 これは私どもの防衛研究所の共同研究で書いたものですね、この参考資料にも上げていただいたものですけれども、大国間競争の新常態という共著の中で私も論じているところですけれども、ともかく少し考えにくいようなロシアの中でのバランス、それが今、一時的なのか長期的なのか、失われている状態であると思います。
 ただ、それが、ずっとロシア史がそうであった、ロシアはずっと侵略的であったというふうには私は考えていませんでして、日本との間では、一番、何といいますか、鮮やかといいますか、そういう分かりやすい例は、日露戦争がありました、一九〇五年に終わりました。その後が日露同盟の時代という非常に例外的な相互連携の時代に入っていまして、同じニコライ二世の皇帝なんですけれども、ロシアと日本が同じ側になって第一次大戦の時期まで軍事援助の相互援助なども行うと。それから、ソビエト連邦、スターリンの時期にこの戦争があるわけなんですけれども、その後を受けたフルシチョフの時代には、スターリンの時期の外交や政治の路線をかなり変えましょうというような考え方で、新思考の外交、ある意味の新思考の外交もやられましたし、ゴルバチョフの時代、エリツィンの時代、皆さんも御存じの時代ですけれども、そういった外交の時代もありました。
 そのようにロシアが変化し得る時期に、いかにロシアにとって、そのときのロシア人、ロシアの政権にとって日本が信頼できて利益の、共同の利益を考えられるパートナーかということが問題になってくると思います。
 時間超過しまして失礼いたしました。以上で陳述を終わります。

○紙智子君 紙智子でございます。
 お二人の発言をいろいろお聞きしながら、私からも質問したいと思うんです。
 それで、ふるさとを強制的に言わば退去させられてから七十七年ということで、先ほど来話ありましたけど、先月、ロシア最高検察庁が千島歯舞諸島の居住者連盟に対して望ましくない団体だというふうに一方的に言われているわけなんだけど、全くこれは受け入れられないというのは私も全く同じ思いであります。
 それで、連盟のホームページが、この事前に配られていた資料室の資料の中にも書いてあるんですけれども、それ見ますと、昭和二十年の八月十四日にポツダム宣言を受諾して、翌日十五日に無条件降伏で第二次世界大戦が終結したと。その後、三日後の十八日にソ連軍が千島列島に侵攻を開始して、三十一日に千島列島の南端にある得撫島まで占領を完了したと。二十八日はソ連軍が択捉島を占拠して、九月一日に国後島、色丹島、九月三日に歯舞群島まで及んで、五日までに北方四島全域が不法占拠されたんだということが書いてあるんですよね。
 たった三週間ですよね。三週間の間に、まあ何というか、このことを知らないでいたわけだけれども、こういう事実を知って驚くというか。だから、戦争終わったと思っていたのが、そういうことがずっと続いていたんだということを、この歴史というか、見たときに改めて痛感するわけなんだけれども。
 そこで、脇参考人にまず伺いたいんですけれども、この資料の中にもありましたけれども、昭和十六年に国後でお生まれになったと。それで、ソ連軍が侵攻して、大混乱の最中に避難をされたというふうに思うんですけれども、そうすると、その頃って多分、脇参考人、五歳前後ぐらいかなと、幼かったんじゃないのかなと思うんですね。それで、幼い頃の記憶も含めて、御家族の方も大変な御苦労されたと思うんですけれども、ちょっと御自身の体験された思い、家族が話をされていたことなども含めて、その体験、御苦労についてお話を聞きたいということと、それから、領土返還運動を粘り強く今まで取り組んでこられたその御自身の原点というところをちょっとお話を聞かせていただきたいと思います。

○参考人(公益社団法人千島歯舞諸島居住者連盟理事長 脇紀美夫君) ありがとうございます。
 今お話ありましたように、私は、一九四一年に太平洋戦争が始まったわけですけれども、十二月ですね、私が生まれたのは一月でした。一月に生まれて、十二月に戦争が始まって、その後、一九四五年に戦争が終わった。私がちょうど四歳、四歳ですね。その後三年間は、強制的、強制的というよりも、自分で引き揚げ、脱出する能力がなかったものですから、島にとどまっておりました。
 したがって、三年間ロシアと混住しました。子供たちとも一緒に遊びました。我々は子供でしたから断片的にしか覚えていないんですが、いつ戦争が始まっていつ戦争が終わったか、それすらも分からないまま過ごしておりました。今のような情報化の時代ではありませんでしたから、なかなか、島でしたから、そういう情報も入ってこないという中で、もちろん大人の人たちは知っていたんだと思いますけど、私はなかなかその辺を知る由もなくて、過ごしてしまいました。
 ただ、ロシア、ロシアというか、戦争が終わってから、我が家に機関銃を持った兵隊、兵隊さんというか、大きな人、大人の人たちが入ってきて、うちの中を物色していたということだけは覚えています。恐ろしい思いをしたということだけは覚えています。それが後から、ロシア人だったということは後から分かったことです。外国人って見たことなかったわけですから、日本人以外は。したがって、それが大人の人たちはアメリカ人だと思っていたらしいんですけれども、ロシア人だったと後から分かりました。
 したがって、そういう意味では、我々子供としてはそんなに険悪な状況でない中で島では生活しておりました。ただ、大人はまたそれとは違った経験もしたと思います。私は国後だったんですけど、ほかの歯舞、色丹、あるいは択捉はそれぞれまた別な経験もしておるんだと思います。私はそんな記憶しかございません。ただ、たまたま結果として、知人や、知人というか私の親戚を頼ってたどり着いたのが羅臼、現在住んでいる羅臼でした。したがって、毎日その島を見ながら生活、ここまでしておりました。
 したがって、今この立場にはありますけれども、若い頃は余りその北方領土返還運動に一生懸命やっていたという記憶はなかったんですが、やはり行政をやる中にあって、この理不尽な状況を何とかしたいという思いの中で今はこういう活動をしているということでございます。

○紙智子君 ありがとうございます。
 羅臼の町長さんもされていて、そのときにお邪魔していろいろお話聞いたこともありましたけど、本当に親も含めて大変な思いだったんだろうと思います。
 それで、脇さんを始め、今日まで本当に粘り強く闘って返還運動を要求されてきたと思うんですけれども、やっぱりふるさとに帰りたいという思いを、強い思いを表していくということで、今年二月の七日にやられた北方領土返還要求大会がありましたけど、あのときに後継者の皆さんがいろいろ朗読をされていました。いろんな、自分がおじいちゃん、おばあちゃんから聞いた話とかまとめたやつをこういう冊子にして、それでもう手書きのやつで作ったのが朗読されていて、とても胸を打たれました。
 そして、同時に心強く思ったのは、こういう工夫をされて、どうやってみんなに伝えていくかということで、絵も手描きなんだけど、もう本当に何か生活の場だったというのがよく分かる絵なんですね。具体的な聞いた話がつづられているのですごくよく分かるものだったんですけど、こういうのがやっぱり二世、三世というか、まあ四世まで含まれるんですかね、ということでされてきているということをとても心強くも思いましたし、そういう意味では、今ちょっと厳しい情勢ではあるんですけれども、これをやっぱりつないでいくということでは、二世、三世、四世、次の世代につないで継承していくというためにどうやって継続させていくかというのは、国としても、国会としても考えていかなきゃいけないことなんですよね。
 さっきもちょっとやり取りにありましたけれども、そのときにどういうことを支援が必要かということで、さっき融資の話とかもありましたけれども、私、例えば、その居住者連盟の皆さんの事務所って札幌に一つありますよね。根室とかほかのところってないですよね。根室はあるんだけれども、ほかのところって事務所体制ってどうなっているかなというのが気になっていて、そういうところの体制も、次のその世代の人たちがそこに来て、いろいろ相談して取り組んでいくことを支えていけるような、そういう事務所体制なり、そういうのって必要なんじゃないのかなというふうに思うんですけど、この点いかがでしょうか。

○参考人(公益社団法人千島歯舞諸島居住者連盟理事長 脇紀美夫君) ありがとうございます。
 先ほど後継者の問題も含めてお話しした中にあって、私、一つだけ。
 今、語り部事業というのをやっているんですね。今、紙委員さんおっしゃったように、いろんな冊子も作りながら元島民の声を何とか皆さんに知ってもらうということの中で語り部事業もやっているんです。その語り部は、リクエストがあるのは、元島民の声を聞きたいと、二世、三世よりは元島民の生の声を聞きたいという人が多いんです。したがって、元島民がすごく限りなくそういう体力的に無理だというような中で、何とか語り部をやるときには元島民と一緒に、二世、三世も一緒にその場にいて、その語り部を聞きながら自分たちもその実感をしながら次につなげていきたいというふうなことでやっております。
 それと、今、後段にありましたような、根室、札幌に事務所があって、根室には啓発施設があります。そのほかに、羅臼と別海には内閣府の施設があります。それから標津には外務省の施設があります、啓発施設がそれぞれあります。それと、各支部、当連盟には全部で全国に十五の支部がございます。したがって、その支部ごとにいろんなそういう活動をしていただいている。本部自体は総体的なことをやっていますけれども、実際のいろんな事業の展開は各支部にお願いしたり、あるいは各支部に頑張ってもらってやっているということですから、そういう意味では、各支部、後継者に対するそういう予算的なことも是非お願いしたいなというふうに思っています。

○紙智子君 いろいろ努力して、私たちもやっていきたいと思います。
 それから次に、山添参考人に伺いたいんですけれども、昨年二月二十四日に始まって、このロシアのウクライナ侵攻、まさにこのかつて旧ソ連が行った千島列島の不当占拠ともう重なって見えてしまうというのがあって、当時ソ連が第二次世界大戦後の戦後処理の大原則であった領土不拡大に反して不法占拠したと。今は、ロシアは国連憲章に反してウクライナに侵攻しているということですよね。
 なので、ソ連とか、まあ今はロシアなんですけれども、この体制や政策についてどのように思われるかということを一言お願いしたいと思います。

○参考人(防衛省防衛研究所地域研究部米欧ロシア研究室長 山添博史君) 御質問ありがとうございます。
 まず、当時のソビエト連邦、これが中立条約有効である状況で日本に戦争を仕掛けてきたということ、それから、日本はその当時はソ連に仕掛けていないのに対して、日本の領土を奪うということにまで進んでいるということなんですけれども。その歴史を見てみますと、ロシア帝国もソ連も現代のロシアも、この危機にあるときに非常に集中した、これだけに集中して、これが必要なんだというふうに考えると、それ以前、それ以外の考慮がかなり抜け落ちてしまうと。この法の中でというよりも、ここには、まあアメリカとソ連でナチズムと戦ってきたというような、そういう論理が優先してしまうわけですので、それの下で有利なものは取っておくというような発想がありますので、今、ロシアにとっても非常時の考え方ですので、こういう国際の共通の規範というのは作用しにくい状況にはなっていると思います。

○紙智子君 ちょっと時間になってしまったので、日本に引き寄せて考えると、やっぱり北方領土や千島列島、領土不拡大の原則に反してそういう不当な占拠ということの、今度の問題の本質と道理というのを国際社会に向かってむしろ示せるときではないかというようにも思っております。
 それでまた、引き続き聞いてやっていきたいと思います。
 ありがとうございました。