質問第二五九号

サハリン(旧樺太)少数民族戦没者の戦後補償に関する質問主意書

右の質問主意書を国会法第七十四条によって提出する。

  平成二十三年八月十五日

紙   智  子


       参議院議長 西 岡 武 夫 殿


サハリン(旧樺太)少数民族戦没者の戦後補償に関する質問主意書

 「サハリン(旧樺太)少数民族戦没者の戦後補償に関する質問主意書」を平成二十年四月二十二日(第百六十九回国会質問第一一二号。以下「前々回質問主意書」という。)、平成二十一年十一月三十日(第百七十三回国会質問第七九号。以下「前回質問主意書」という。)の二度にわたり提出し、福田康夫総理大臣(当時)、鳩山由紀夫総理大臣(当時)に政府見解を求めてきた。前々回質問主意書に対する答弁書(内閣参質一六九第一一二号。以下「福田答弁書」という。)については平成二十年四月三十日に、前回質問主意書に対する答弁書(内閣参質一七三第七九号。以下「鳩山答弁書」という。)については平成二十一年十二月八日に、それぞれ受領したところである。
 日本政府はサハリン(旧樺太)少数民族に対し謝罪も補償も行わず、この問題はいまなお解決していないが、特に鳩山答弁書の内容とその事実認識は極めて不十分であった。
 そこで以下、これまでの答弁書についてあらためて、現内閣に対して質問する。

一 鳩山答弁書「一の2について」について

 前回質問主意書において、サハリン戦没者遺族会(以下「遺族会」という。)の戦後補償を求める「遺族の声」について、政府認識を質したのに対し、鳩山答弁書「一の2について」では、「政府としては、平成八年十一月に「樺太・千島戦没者慰霊碑」を建立し、少数民族の方を含め、特定の方に限らずその地域の戦没者全体の慰霊を行ってきており、このことによって御指摘の「遺族の声」にも多少なりともおこたえしていると考えている」とされている。
1 鳩山答弁書のいう「樺太・千島戦没者慰霊碑」はサハリン州中部スミルヌイフ地区に建つ碑を指すとみられるが、同碑の建立はそもそも日本人戦没者の慰霊のためのものとして発案され、その後ロシア人も含めその地域の戦没者の慰霊のための碑となった経緯がある。また、日本政府のスミルヌイフへの慰霊碑の建立計画に対し遺族会の願いはサハリン少数民族の父祖の地であるポロナイスクへの建立であることなどを、ウィルタ協会が一九九六年五月十三日に厚生省社会・援護局援護企画課(当時)に対し要請した経緯がある。
 前記の答弁は、こうした経緯をふまえた上でのものか。
2 厚生労働省ホームページに掲載されている「樺太・千島戦没者慰霊碑」の「碑の概要」によると、同碑は「先の大戦において、樺太及び千島列島並びにその周辺海域における戦闘又は戦火により亡くなられた日露両国の全ての人々を偲び、平和への思いを込め、かつ、ロシア国民と日本国民との恒久の友好と親善を深めるために建立された」とのことである。
 遺族会は、サハリンの北方少数民族ウィルタ、ニブヒ、エヴェンキの人々で構成されており、その祖父、父、兄弟、伯叔父など七十名以上とみられる人々が旧日本軍に召集、徴用された。このうちサハリンでの戦闘で生き残った者は、戦後、旧ソ連政府に日本軍協力者とみなされ、全員が捕虜ではなく戦争犯罪人という重罪人の汚名を着せられてシベリア強制収容所に送られた。その中には、酷寒のシベリアで命を落とした者や、旧ソ連政府に戦犯とみなされたが故に、刑期終了後も故郷サハリンへの帰郷が許されず、日本での居住を余儀なくされ、日本で最期を迎えたD・ゲンダーヌ氏のような者もいる。
 遺族会が求めた慰霊碑はこうした旧日本軍の犠牲となった民族すべてを悼むものだが、日本政府が建立したスミルヌイフの慰霊碑は前記の「碑の概要」に示されるように、シベリアや日本でのサハリン少数民族死没者は対象外ではないか。
 スミルヌイフの慰霊碑がサハリン少数民族の「遺族の声」に「多少なりともおこたえしている」ものではないことを政府は深く認識すべきではないか。
3 遺族会は一九九七年八月十五日、十七年間の運動の末に父祖の地ポロナイスクに「サハリン先住民族戦没者慰霊碑」を建立した。ポロナイスク市が土地を提供し、ウィルタ協会の呼びかけで様々な団体も募金を集めるなど全面的に協力した。
 日本政府は、同碑の建立費用について一切支出していないのではないか。
 また、日本政府関係者が同碑に慰霊に訪れたことがあるか。
4 3で述べた碑には、ウィルタ語、ニブフ語、ロシア語、日本語、アイヌ語で平和を祈念する碑文が刻まれ、現地では平和教育の教材の一つになっている。
 「遺族の声」は、前回質問主意書に記したように、日本政府に対し、ポロナイスクの「タライカの原野に立つ『戦没者慰霊碑』か、せめて網走の『静眠の碑』」の前に立ち、遺族から直接の声を聞くことを求めている。日本政府はこうした要請に真摯に対応すべきではないか。

二 鳩山答弁書「二の1について」について

 鳩山答弁書「二の1について」では、「御指摘の「提供した資料」が具体的に何を指すのか必ずしも明らかではないが、「サハリン(旧樺太)少数民族」と考えられる者の旧日本軍従軍については、それを記録した資料の存在を含め、調査を実施したことはない」とされている。
1 前回質問主意書で述べた「提供した資料」とは、歴史学者ポドペチニコフ氏が作成し一九九九・(一)サハリン州地域公報「サハリン、クリル周辺地域の歴史の問題」において公表した「サハリン州ポロナイスク地区在住北方民族被抑圧者名簿」と、ウィルタ協会作成の三十三名の名誉未回復者の名簿であり、前々回質問主意書の提出に先立って、私の事務所が外務省欧州局ロシア課担当者に手渡した経緯がある。
 当時のロシア課は、ポドペチニコフ氏作成の名簿をサハリンで複写して入手していた他、「ポロナイスク地区地方先住民族地域社会団体会議」が作成し、二〇〇六年六月にサハリンの在ユジノサハリンスク日本国総領事館への要請の際に渡したという三十三名の少数民族名誉未回復者名簿を保持していた。
 外務省では、担当者の交代などの際、これら二種類の名簿を申し送りしていないのか。外務省担当部局は現在、これらを保持しているか。
2 1で述べた名簿について、福田答弁書では以下のように言及されている。
 「御指摘の「サハリン先住民族及びその他の北方民族被抑圧者名簿」と題する名簿の内容及び同名簿中にサハリン州ポロナイスク地区の出身で、ソヴィエト社会主義共和国連邦又はロシア連邦により名誉を回復された者も含まれていることは承知している。また、ポロナイスク地区の関係団体が作成したと考えられる「ポロナイスク地区北方先住少数民族名誉未回復被抑圧被害者名簿」に御指摘の「名誉未回復者」三十三名が記載されていることも承知している」。
 ポドペチニコフ氏作成の名簿が、サハリン少数民族が旧日本軍に従軍していたことを証明する資料であること、第二次世界大戦下での旧日本軍従軍が反ソ活動とみなされ、サハリン少数民族は戦争犯罪人として処罰されたこと、こうした戦犯からの「名誉回復」という極めて重要な意味をもっていることに鑑み、日本政府として、サハリン少数民族の旧日本軍従軍の事実について、責任をもって調査を実施すべきではないか。

三 福田答弁書「二の2について」について

 福田答弁書「二の2について」では、「平成十三年二月十二日付けの北海道新聞に御指摘の記事が掲載されていることは承知している。また、厚生労働省社会・援護局業務課資料調査室は、旧日本軍から引き継いだ資料には「サハリン(旧樺太)少数民族」が旧日本軍に従軍したという記録がないとしているが、これは当該従軍の事実までを否定するものではなく、御指摘の信濃毎日新聞の報道と矛盾するものではない」とされている。
 この答弁の「当該従軍の事実までを否定するものではなく」という文言は、サハリン少数民族の旧日本軍従軍の事実を明確に認めたもの、または従軍の事実を認める反射的効果をもつものだが、現内閣も同様の認識をもっているか。
 もし異なる認識をもっているのであれば、具体的に示されたい。

  右質問する。