日本共産党参議院議員 紙智子
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活動日誌

2010929 北海道農業共済組合連合会の要請を受ける
 北海道農業共済組合連合会の皆さん(根室、十勝、釧路、オホーツク)が23年度の予算確保の要請にきました。昨年の事業仕分けによって、22年度の農業共済予算は事務費負担金等が大幅に削減され、職員も削減している中で、これ以上の削減は、団体の運営を困難にし、組合員である農家の負担増になってしまいかねず、そうならないように、予算確保をというものです。
 災害時における農家経営のセーフティ―ネットとして重要な役割を果たせるようにしなければなりません。


2010929 司法修習生に対する給費制維持を求める院内集会に参加
 司法修習生に対する給費制存続を求め、日弁連が主催して院内集会が行われました。提出された署名は60万筆にあと少しというところ。各党の議員も多く参加しました。日本共産党からは、大門、井上、宮本、紙が参加し、ともに頑張る決意を述べました。対策本部長代行の川上明彦弁護士が開会挨拶し、議員からの挨拶を受けながら、清水鳩子氏、薬害肝炎全国原告団団長の山口美智子さん、山形孝夫元宮城学院女子大学長、埼玉西部土と水と空気を守る会の北浦恵美氏等が市民の声を代表し、発言しました。山口美智子さんは、自らの裁判のたたかいを踏まえて、支えてくれた弁護団への信頼とともに、市民が安心して裁判を闘える信頼できる法曹を作るためにも給費制の維持を訴えました。写真は、山口美智子さんです。

2010927 第2回中央委員会総会が閉会
 25日から三日間開催されていた第2回中央委員会総会が、今日、最終日で閉会しました。
 参議院選挙の後退から、総括と教訓を引き出し、新たな前進のためにどうすべきかについて、深く掘り下げられ、活発な討論が行われました。新しい中央委員を含め、74発言。新鮮で生き生きとした活力を湧き立たせる会議となりました。「なぜ後退したのか」この問題に、正面から向き合い、聞きとりを行い、真剣に深め、分析、解明し明らかにするために時間を要しましたが、この作業自身が、大切だったと改めて感じました。主体的な活動の問題点の自己分析と同時に客観的な情勢をはらむ困難の分析によって、後退の原因を正しくとらえることは、これから立ち向かうべき相手が見えることであり、がんばる方向がはっきりするということ。党の綱領路線の原点に立ってお互いに学び合い、高め合う場となったと思います。今後の前進へ決意を新たにしました。


2010923 愛知県での「生活と健康を守る会連合会」全国大会に出席しあいさつ
 愛知県豊橋市で開催された「生活と健康を守る会連合会」の第38回全国大会に参加し、日本共産党を代表して連帯の挨拶を行いました。この2年間にも、生活保護の母子加算復活のとりくみ、老齢加算についても、この間福岡高裁で勝利判決を導きました。生活保護世帯の病院への移送費の復活、国保の資格証明書世帯でも高校生までは短期保険証を発行させる、失業者への国保税の減免制度を拡充させるなど、多くの実績をあげてきたことに敬意を示しつつ、これからも格差と貧困をなくす課題、平和と民主主義を守る課題、憲法の精神を生かし、消費税増税を許さず、暮らし守るために力を合わせましょうとあいさつしました。
 ようやく涼しくなり、秋の花コスモスが風に揺れています。


2010920 西区青空まつりで講演
 19日、来年いっせい地方選挙に向けた西区後援会の「青空まつり」が開かれ、登別市での知里幸恵記念館の会場から移動し、会場の札幌西区区民センターに駆けつけました。西区市議候補として、この間活躍している田中けいすけさんがあいさつされている最中でした。精神保険福祉士の資格を生かして西区の精神障害者の日常生活を支援する施設で働いた事が「人間としてどう生きるか」の原点になり、誰もが安心して暮らせる街づくりをめざして、相談活動などに頑張ってきました。誠実なやさしい人柄が表れる訴えでした。先の参議院選挙の候補者として奮闘されたはたやま和也さんもあいさつ、私は、参議院選挙の結果から教訓を必ず次の選挙で生かす決意と、現在の国会情勢、日本共産党の役割を述べ、いっせい地方選挙で必ず田中けいすけさんを市議会へ送り出してください!と訴えました。

2010919 知里幸恵さんの「銀のしずく記念館」が登別にオープン!
 はじめてアイヌの物語を文字化した「アイヌ神謡集」の著者である知里幸恵さんの遺品や手紙やノート、関連の図書など集めて展示する記念館「銀のしずく記念館」が、知里幸恵さんの出生地である登別市に建設され、オープンの日の今日、お祝いに駆けつけました。2002年から始まった募金運動が広がり「友の会会員」を広げこのたびオープンにこぎつけることが出来ました。知里幸恵さんの姪にあたる、横山むつみさんが、喜びの思いをこめてあいさつされました。一緒に取り組んでこられた、小野有五先生や、作家の池澤夏樹さんをはじめ、北海道アイヌ協会の加藤理事長、登別市長の小笠原春一氏らのあいさつの後、テープカットが行われ、皆で館内の展示を見ることが出来ました。建物は簡素な外観ですが、中は白い木が使われ、やさしい感じのする館内です。
 幸恵さんは、アイヌ民族の誇りを胸に、アイヌ語を世に伝えたいと使命感に燃えて上京し、アイヌ語をローマ字で書き、それを日本語に訳す仕事を行いましたが、1922年、心臓病のため、19歳という短い生涯を閉じました。「銀の滴降る降るまわりに・・・」という美しい謡を通して、アイヌ民族のもつ歴史や文化を世に知らしめる大きな役割を果たしました。高い理想を持ちながらも病によってわずか19年の生涯を断たれた無念さを思わずはいられませんが、しかし今日、記念館として人々に認められ、後の世に受け継がれていくことの意義はたいへん大きいと思います。
 展示ケースには、北海道大学のポプラの木が使われていることを聞き、喜ばしく思いました。


2010916 B型肝炎訴訟の解決解決に関する説明と要請を受ける
 9月15日、札幌地裁で行われた和解協議で先に示された国の「和解案全体像」に対しての反論と意見を述べた報告を受け、原告の皆さんから、訴えを聞きました。日本共産党からは、高橋千鶴子さん、田村智子さん、穀田国対委員長、笠井亮さん、宮本武さんと仁比そうへいさんと私が参加しました。いよいよ、臨時国会も間もなく始まることになります。一人も残さず、全員救済、年内解決を目指して、頑張りましょうと意思を確認しました。

 これに先立ち、秋田県党議員団とともに米価下落の対策で農水省へ申し入れをしました。山内梅良県議、加賀屋千鶴子、佐藤純子両秋田市議、横田市議の斎藤勇氏が参加。秋田県でJA秋田が、農家への概算払いで、昨年よりも3300円も下がっていることについて、現場の声を届けるとともに、実施されている戸別所得補償制度の固定部分の支払いについて、来年のことも考えて可能な限り早めるように要求しました。この日、国会へのデモ行進が二つあり、参議院の議面でデモ隊を迎え激励しました。

2010915 埼玉県2011年度予算要望への懇談会に参加
 埼玉県党主催で行われた2011年度予算要望への懇談会の午前の部に参加し、各団体からの要望意見を受けました。塩川鉄也さん、先の参議院選挙の選挙区候補だった伊藤岳さん、柳下礼子県議会議員、荻原初男県書記長、埼玉市議団長が同席しました。埼玉労連、農民連、埼教組、埼玉教育文化研究所、原水協、建交労、埼玉土建、埼商連、県職、機関紙協会が参加し、それぞれの要望、意見が出されました。
 


2010914 沖縄いっせい地方選挙で19人当選!民主党代表に菅氏
 沖縄のいっせい選挙で5市11町村に21人が立候補し19人が当選しました。名護市では、現職の具志堅徹氏9位で当選し議席を守るとともに、普天間基地の辺野古への移設に反対する稲嶺市長の与党が過半数を制しました。改めて、県民の意志を示すものでした。今日、民主党の代表選挙で菅氏が決まりましたが、早速具体的な対応が問われてくることになります。沖縄の選挙に示された結果を受け止め、沖縄県民にではなく、米国に対して移設を断念し、無条件で普天間基地を撤去するように説得すべきです。
 民青同盟の新事務所が代々木につくられ、その事務所開きに行きました。明るくさっぱりとした事務所に、若い同盟本部のメンバーがそろい、新しい事務所を拠点に、生き生きと活動している様子がわかり懐かしいやら、うれしいやら。昔の渋谷の事務所は、傷みが激しく、残念ながら取り壊しになったようですが、引越しの際に、たくさんの過去の遺物が出て、創立50周年の記念ベルトがあったとか。今回、参加できなかった人も含め、かつて民青同盟で過ごし、愛着を持つ多くのOB、OGが今後の民青同盟の前進を願っているということを、あらためて感じました。

2010912 小樽あおばまつりで講演し交流
 小樽市最上公園で第31回あおばまつりがおこなわれました。来年一斉地方選挙で闘われる道議会議員選挙で花岡ゆり子道議会議員の4選をはたし、つづく後半戦、市議会議員選挙、町議会議員選挙で、全員の当選を果たそうと、後援会の熱い思いが盛り上がりました。晴天に恵まれ、各後援会の皆さんが、焼き鳥やおでん、もちつきなど、多彩な企画で、にぎわいました。私は約30分、国会の報告とともに、来年のいっせい地方選挙まで半年となった中、道民の宝の議席、花岡ゆり子さんの4選を果たし、全員当選を力を合わせましょうと訴えました。
 花岡ゆり子さんと市議候補の皆さんと写真を撮りました。今回黒澤さんの後を受けて出る川畑正美さんや、菊池さん、新谷さん、中島さん、北野さん、一緒に撮影。写真は北野さんです。

2010910 米価対策を求める9・10怒りの行動に参加
 「米つくってメシがくえねえ!9・10怒りの行動」が行われ新潟、富山、福井、石川等の北陸をはじめ各地から300人近く駆けつけ、「政府はただちに政府米を買い上げろ!」と政府への要請行動と決起集会が行われました。稲刈りの時期に、あえてコンバインから降りて、農水省に駆けつけなければならないということは、それだけ重い意味があるからです。60キロ1万円にもならない安値では、到底食べていくことができなくなります。私は9月7日の閉会中の農水委員会米の買い上げを求めたことなど報告しながら、力を合わせて、責任ある対策を取らせましょうとあいさつしました。
 会場には、刈り取った稲を持って駆け付けた農民や、ムシロ旗を掲げた農民、日ごろ連帯して産直運動など頑張っている新日本婦人の会の皆さん、派遣労働者の問題でたたかってきた首都圏ユニオン、労働組合でがんばっている皆さんなど駆けつけ決起集会のあと、国会の議面の前を通り、日比谷公園まで「政府は米価対策を行え」「過剰米を買い取れ」「国民の主食まもれ」とデモ行進しました。

201099 沖縄・北方特別委員会委員で質問
 沖縄・北方特別委員会の閉会中審査が行われ質問に立ちました。普天間基地の移設問題について、沖縄県民には、まったく相談なく、日米専門家会合の報告書が出されており、そこには辺野古への基地移設案としてV字案、I字案が出されており、これらの問題点を明らかにするとともに、どちらも沖縄県民は、反対であり、計画断念を迫りました。北方問題については、8月のビザなし交流を踏まえて、ロシアの実効支配の実態を告発、政府のしっかりした領土交渉の対応を求めました。

201097 農水委員会で、口蹄疫問題、米価下落問題など質問
 国会は閉会中ですが、閉会中審査が行われ、15分間という短時間でしたが、新品種小麦の生産拡大に伴う乾燥施設の補助金カットの問題、口蹄疫後の復興対策をめぐる「基金」の設置について、米価下落への政府の買い入れへの要求など、三つのテーマで質問しました。小麦の新品種は北海道でうどんなどの麺用に開発された「キタホナミ」。生産拡大に伴い乾燥施設の予算を要求していましたが、事業仕分けで大幅に削減したため、現地から要請を受けていたものです。これについては、23年度の予算要求に乾燥施設の要求を入れていることが明らかにされましたが、今年については、補正予算に入れてほしいという質問に、「その方向で検討」との答えが返ってきました。これは、よかった!

201094 長沼平和ツアーに参加、学習、交流しました
 「長沼基地調査と野呂栄太郎の故郷を訪ね、長沼の秋のめぐみに会おう」と呼びかけて、北海道キリスト者平和の会、北海道平和委員会、長沼農民共同組合、手結びの会、旅システムなどが主催して、毎年開いている長沼平和ツアーに参加しました。長沼訴訟の原点となった基地を見学するとともに、長沼出身の野呂栄太郎の地を訪ね、平和への取り組みにつなげつつ、農業の地で収獲の秋の味覚を楽しみました。写真は、1960年に彫刻家の本多明二氏によってつくられたレリーフの農民碑です。「1926年に農民運動が芽生えた」と記されています。
 このあと、野呂栄太郎碑によって、薮田さんの庭で、ジンギスカンやとれたての新鮮な野菜を炭火で焼いて食べ、楽しく交流しました。
 つぼ刈りの途中で顔を見せた薮田さんから、今年の作柄は、異常な高温のために、あらゆる作物が、その影響を受け、思わしくないという話がされました。米価下落とあわせ、先行き不安がよぎります。


201093 道議予定候補の金倉まさとし事務所開きであいさつ
 来年のいっせい地方選挙まであと半年となった中、北海道議会議員選挙の東区予定候補、金倉まさとしさんの事務所開きが開催され、駆けつけて挨拶しました。金倉さんのもとの職場だった森林組合の副理事長さんも駆けつけてくださいました。前道議の大橋晃さんを先頭に、今度こそ何としても当選させようとの意欲あふれる会となりました。選挙をたたかう体制もきまり、いよいよ本格的に走り出します。花岡ユリ子道議会議員も参加し、「現在真下紀子道義と二人、頑張っているが、道民の願いに答えるためにも、何としても金倉さんを道議会へ」と訴えました。大橋晃さん以降、札幌選出の道議会議員がおりません。何としても勝利しなければという思いが、あふれる事務所開きでした。最後に、一緒に当選を目指す、宮川潤札幌市議と太田ひで子市議候補もそろって参加者にアピールしました。

201092 B型肝炎訴訟の早期解決を目指す院内集会に参加
 全国でB型肝炎訴訟を続けている原告団の皆さんが早期全面解決を目指して院内集会を開きました。今年の3月に札幌、福岡両地裁で和解勧告がだされたあと、国も和解協議を行うことを言いながら、数か月間放置したまま。9月1日にようやく北海道札幌で第3回和解協議行われました。国から出された和解案を受けて、これでは、まったく納得できないということ。その理由として、国の和解案は、感染の証明方法として証明困難な予防接種台帳などの提出をもとめていることや、無症候性キャリア(発症はしていない)については予防接種から20年以上たち除斥期間を過ぎている(民法で請求できる期間)こと、発症する割合も低いとして救済の対象としない、和解金も示していないこと。とてもまともに検討したとは思えない「和解の全体像」です。今日上京し政府にも要請するとともに、国会議員に対しても、国会で取り上げ、早急な全面解決への協力を呼びかけるものでした。日本共産党から私があいさつ。弁護団の報告と原告の話を聞き、改めて解決への努力を強めなければならないと思いました。