日本共産党参議院議員 紙智子
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旭山動物園(旭川市)の園長さんと対談しました。
2006年1月18日
旭山動物園 小菅正夫園長、真下紀子道議、佐々木卓也旭川市議
 紙智子参議院議員は1月18日、真下紀子道議、佐々木卓也旭川市議らとともに、市民や道内外からの観光客で人気を集める旭山動物園を訪ね園内を見学。小菅正夫園長と、動物園の役割や生き物とのかかわり方といった多彩な話題で懇談しました。

正門前で小菅正夫園長と
紙議員/新聞で見ました。ドブラ(ロバとグランドシマウマの雑種)が亡くなったそうですね。
園長/あれは僕が昭和48年に動物園に入ったときにもういたんですよ。不思議な動物だなと思ってみていました。あれは間違えてできたんですよ。
一同/え、そうですか
園長/あれには悲しいドラマがあります。うちには開園当時から小さいロバのペアがいて、メスが亡くなったんです。ヤギや綿羊とかといっしょにいたんですが、毎晩毎晩オスが泣くんです。飼育係が、ヤギではだめだとシマウマの夫婦を入れました。同じ馬だからこっちのほうがいいじゃないかって。その日の晩から泣かなくなって、よかったよかったといっているうちにシマウマのメスのおなかが大きくなったのです。刺激となってようやくシマウマの子どもができたと職員一同、ものすごく喜んだのですが、生まれたのが(雑種の)ドブラだったそうです。(笑い)
 この悲しいストーリーは新聞にも載っていません。35年生きました。
真下道議/すごい長命ですね。
佐々木市議/どれくらい生きるものですか
園長/30年いきたら珍しいですね。

■ 紙議員/命を大切にするのが動物園
■ 小菅園長/命の輝き、命のすばらしさを伝る所に


大人気のアザラシ館で。泳ぐアザラシをみる
紙議員/園のホームページを拝見して、命を大切にするという所を主眼においていることについて、今までの(私が思ってきた)動物園の感覚からすると、目を見開かれた思いがしました。
園長/中学生がね、鶏のトサカに触れたとたんに、「あったかい」と手を引いたんです。何で驚くのと聞いたら、自分でもわからないというのです。いくら学校教育で「命を大切にしましょう」といっても、教えられるのではなく、命は感じるものです。そして命は二度と帰らないということも知らなければなりません。新聞には、「死んでもよみがえる」と思っている中学生が多いことが載っていましたが。
真下道議/日本は特別多い。
園長/人の命を大事にしない人間は、自分の命も大事にしない。動物園はとにかく命の輝き、命のすばらしさを伝え、「命」を全部伝えていこうというのが僕らの考え方です。
紙議員/私の祖母は102歳でなくなった時に、おじさんが「息を引き取るのは大事業」といったことにハッとしたことがありまた。命が積み重ねられ、いろんなことを体験して息を引き取ります。ほんとうに死ぬことも大変な事業だと感じることができるかどうかも、祖母の死があって受け止められたと思うのです。
園長/死ぬことを直視しないといけないと思います。死を遠ざけてはいけない。動物は死に固執しないですね。二度ともどらない苦しさや、生きているときにないができたんだろうという思いを知る。私はペットを飼う意味というのはそこにあると思うのです。楽しい時間を味わうために飼うだけではなく、ペットがなくなったときの苦しみも事前に心に入れておくのです。そうすれば命の大切さをもっとわかる。
 
■ 紙議員/自然とのつながりを意識させてくれた
■ 小菅園長/野生動物との付き合い方を学ぶ所に


紙議員/園長さんは、どうしてこの道に進んだのはなぜですか。
園長/私だけが就職が決まらないなか、大変ありがたいことに旭山動物園から求人があったんです。動物が好きだし仕事ができるんではないかと。非常に安易な、あんまり気合が入っていない…(笑い)。命のこともこの動物園で学んだことです。自分にとっての発見をいかに多くの人に伝えるかというのが大事。それがなければ野生動物の絶滅といってもみんな実感がわきません。自然と折り合いをつけながらやっていくために自然界のシステムを最低限でも知っておくことが必要です。それを伝えるのが動物園。旭山動物園でいえばオジロワシやオオワシの問題、タヌキの問題をみなさんと一緒に考える場所になれば、野性に恩返しができるかなと思いますね。
紙議員/子どものときは意識しないで、ただ面白い動物がいるところだったりして。あらためて旭山が注目されて、(多くの関係者が)自分たちの動物園をどういうふうにしたら変えられるだろうか、どういう役割をもてばいいのだろうか、発想を転換していくのに役立ったと思うんです。自然環境とのつながりをもっと意識しないといけないと感じます。私、サハリンにいってきた時に、油田開発を見てきました。もし油田がもれたら…と非常に心配しています。現地の市長さんに、どう自然や動物を保護するのかと聞いたら、それは企業が責任をもつといい、企業はやっていますなどと説明する。
真下道議/私もサハリンに行ったときに、もし漏れたらどうするのか聞いたら、企業の保護担当は、世界ですぐれた安全基準をもっているので漏れないの一点張り。漏れるという前提がない、彼らの発想は危険だとおもった。
園長/万が一もれるという前提で事業を組んでいかないといけないと思い増す。最悪のことは考えておかないと駄目です。「万が一ありません」と言ったら、本当におこったときにみんなパニックを起こしちゃいますよ。
 
■ 真下道義/動物園の再生、市民のバックアップあったから
■ 小菅園長/身近になった市民、利用者が動物園を支えてくれた。

 
真下道議/旭山動物園が再生した背景には、市民がバックアップして、それを公のサービスとして市民が求めたと思うんです。民間だったら廃園になっていたと思うんです。
園長/そうでした。
真下道議/いま軌道に乗ってきて、研究分野に対しても注目を集め、動物園本来の役割はなんだろうと問題提起になっているからこそ、本来はもっと公共の実験場、研究施設としてもっと充実させなければいけないと思います。
園長/当時いろんな議論がありました。僕たち何を考えたかというと、動物園の行く末は市民が決めるんだということ。お客さんが動物園に何を求めて、どういうことを喜んでいるのか、その人に対して私たちが動物園のよさを伝える努力をする。市民が動物園を大事に思ってくれるような園は生き残れる。俺たちのためじゃなく動物園が社会に必要だとみんなが認識することになるし、動物を守ることにつながるというのがスタートです。(市民といっしょにやれるメニューをふやし、利用していただくなかで)自分の動物園という認識をもってくれたのでは。動物園を必要だと認識してくれないかぎり、だめだったと思います。利用者と動物園、職員の間はグーと縮まったという実感があります。それがいまの動物園を支えてくれた。やはり市民の力は大きかったと思います。
 
■ 紙議員/動物が主人公
■ 小菅園長/ストレス感じず、動物が余裕をもっています


佐々木市議/動物も幸せですね。
園長/私は、動物園にいる動物のストレスはすべてにあるんじゃなくて、そのときの状況にあると思います。こういうとこは見られたくないけど、しかしこういうとこは見られてもいい。どういうときかというと、ここは人間と違う所ですが、どっちが精神的に優位にたつかということです。どういうときに見られたくないかというと、それは逃げ場、隠れ場を失ったときです。旭山の理論ですが、充分な広さを与えてやる、彼らにとって一番得意な所を用意してやるんです。ただし人間の所に、動物がいく余地も残してやる。トラでもペンギンでもオラウータンでもみんなそうしています。そして微妙に彼らの位置を高くしてあげた。動物の目の位置をあげてあげれば、(人間も)たいしたことないという余裕につながります。ペンギンでもホッキョクグマでもなんであんなに近づくのといいますが、無理やり近づけているわけじゃありません。
真下道議/どこの島でしたか、人間が害を与えないので動物がよってくるという所が?。
園長/ガラパゴスとか南極というのはもともと人がいませんでした。人の存在を自分にとって脅威の存在と思っていないわけです。ペンギンがどんどん(人間を)見にくるでしょ。まさにあれが動物園だと思ってください。動物園でかれらに危害を与えるのは獣医ぐらいのものです。吹き矢をもって麻酔かけるので嫌われていますが。(笑い)飼育係はエサをくれるいい人、お客さんは、動物からみればその他大勢です。うちの動物たち、顔つきみてもストレス感じてないですよ。これは聞いてみないとわかりませんが。ただオラウータンなんかニヤと笑いながら、しっかり子ども育てているでしょ。あれをみていたらストレスあるように思えませんね。
佐々木市議/オラウータンも、少し有名になったかなと思っているのかも
紙議員/動物が主人公になる、得意な分野をつくるということでしょうか
園長/それがすべてですね。うちの展示なんかも。なんでホッキョクグマなんかわざわざ飛び込む場所つくるのといわれますが、私たちが飛び込んでといわないのに飛び込むんですね。(笑い)あれは野性の世界でああいう行動とっているわけですから。だからホッキョクグマはヒグマと違って頭が小さくて、首が長い、いう格好をしているわけです。自分の能力を発揮できる瞬間は楽しいですよね。それが必要だと思うんですよ。
紙議員/楽しく勉強させていただきました。
以上

旭山動物園・小菅延長との懇談(大要)

右から小菅園長、紙議員、真下紀子道議、佐々木卓也市議、小松晃・前市議
紙参院議員/いま冬の時期はどうですか
園長/去年に比べたらけっこう入園者は多いです。
紙/そういえば先日、ドブラが亡くなったそうですね。
園長/あれは僕が昭和48年に動物園に入ったときにもういたんですよ。不思議な動物だなと思ってみたんですが、多分あれはうちの動物園が世界ではじめてだと思います。あれは間違えてできたんです。
一同/え、そうなんですか
園長/実はね、あれは悲しいドラマがある。うちには開園当時から小さいロバのペアがいて、メスが亡くなったんです。家畜ですからヤギや綿羊とかといっしょにいたんですが、毎晩毎晩オスがね、悲しんで泣くんです。飼育係がヤギではだめだとシマウマの夫婦がいたから同じ馬だからこっちのほうがいいじゃないかって入れたんです。その日の晩から泣(鳴く)かなくなってね、よかったよかったといっているうちにシマウマのメスのおなかが大きくなったんです。こういう刺激もあるのかと。ようやく(シマウマの)子どもができたと思って職員一同ものすごく喜んだのですが、生まれたのは(ロバとグランドシマウマの雑種で)世界初だったそうです。(笑い)
 その後10年ぐらいしてドイツで、昨年那須のサファリでも雑種が生まれました。旭山の場合は悲しいストーリーで、これは新聞にも載っていません。もともと、ウマとシマウマ、ロバとシマウマでは、ロバのほうがシマウマと遺伝的に近いといわれていたんです。奇妙に一致した。ぼくとしては、動物園に入って「なんだこりゃ」と思ったはじめての動物でした。ただね35年生きました。
真下道議/すごい長命ですね。
佐々木市議/どれくらい生きるものですか
園長/30年いきたら珍しいですね。
紙議員/園のホームページを拝見して、そうなのかと思ったんですが、命を大切にするという所を主眼においていることについて、今までの動物園の間隔からすると、目を見開かれた思いがしました。
園長/ぼくらが子どもの時の状況とまったく違う。特に僕なんかは動物が好きだったから、つかまえて家にもって帰るうちに死んでしまったりと。そういう命とのかかわりをもっていたじゃないですか。残念ながらいまの子どもはそこがない。よく話をしますが、中学生がね、鶏のトサカに触れたとたんに、「あったかい」と手を引いたんです。何で驚くのと聞いたら、自分でもわからないといったんです。その子は優秀な子でした。知識はほんとうにあるんですが「何か」ということはわからない。(本州の)教育長が「命の教育をやらなければ」といっているのを聞いたことがあるが、いくら学校教育で「命を大切にしましょう」といっても、教えられるのではなく、命は感じるものでしょ。よく「飛んでいる矢は止まっている」といいますが、同じスピードで同じ方向に動いていたら、その中では止まっています(みえます)よね。この動きを止めた瞬間には、(反対に)動いて見えます。あれと同じです。同じ径の中で生きているすべての生き物は止まっている(みえる)。死んだ瞬間に命の動きが止まるので、自分から見たら動いて見えるので死んでしまったとわかる。そういうことは経験の中で積み重ねていかないとわからない。そして命を分かったとしても、命は二度と帰らないということを分からないといけない。うそだとおもうんですがデパートにカブトムシをもっていって電池入れてくださいという話を聞きます。作り話だとおもうんですが、反面でそうでもないかという気がするのは、新聞に「死んでもよみがえる」と思っている中学生が多いことが載っていました。
真下道議)日本は特別多い。
園長)地球にはいろんな命の入れ物があるというのがわからない。なぜここ(地球)を大事にしないといけないのか分からない。命のスタートが分からなければ、なぜ環境を大事に、メダカを大事にしなければいけないのかわからない。人の命を大事にしない人間は、自分の命を大事にしない。動物園はとにかく命の輝き、命のすばらしさを伝え、命を全部伝えていこうというのが僕らの考え方です。えらそうに聞こえるかもしれませんが、いまそれをできるのは動物園しかないと思っているんです。学校でも、家庭でも虫とかクモとか飼ってない。いまコンピューターの時代、バーチャルの世界ですが、あれは、たどり着いた感動しかない。例えばカブトムシを調べているときに、どんな生物か自分が求めている所にたどり着いたという感動しかない。
 実際にカブトムシを飼っていると自分が見つけた感動があるじゃないですか。そういう喜びを分かっていないと、何かを探求しようという気持ちがおこらない。自分で見つける喜びが小学生や幼稚園、保育所のときこそ大切だと考えています。
真下道議)すべてインターネットで調べればわかるみたいな…
園長)知識は詰め込んだだけでは意味がない。知識は生かさないといけない。百科事典をおいておくだけでは意味がないのと同じ。そして知識をもっているがゆえに、新発見を見逃すこともある。私も何度も経験しています。
真下道議)ありますよね。
園長)コンピューターというのは、知る喜び、発見する喜びを知っている人が、さらにそれを保管するために、自分の発見の意味付けに他の人がどう思っているのか検索するために使うのがいい。
紙議員)私の祖母は102歳でなくなった時に、おじさんが「息を引き取るのは大事業」といったことにハッとしたことがあった。命が積み重ねられ、いろんなことを体験して死ぬときに、楽に死ぬ人もいる一方で、もう死にたいと思いながらなかなかお迎えがこないまま生きて、ようやく息を引き取る人も。ほんとうに死ぬことも大変な事業だと感じることができるかどうかも、祖母の死があって受け止められたと思うんです。
園長)死ぬことを直視しないといけないと思います。市を遠ざけてはいけない。私の祖母は高血圧で入退院を繰り返していていましたが、祖母は「そろそろお迎えが」といいながらも、「こういうものはこちらの勝手には死なせてくれんのじゃ」といっていました。ある日、祖母は急に高かった血圧が120まで落ちたので、医者だった叔父にきてもらい、そのよこで私は血圧をはかっていました。そして祖母は平然と死んでいったのを覚えています。こうして死ねるのはすごいことだと思った。動物は死に固執しないですね。祖母は私が手を直接握るなかで死んでいった。
 私の場合、この苦しみは私の身近にいた生き物が死んでしまったときと同じ苦しみだったんです。二度ともどらない苦しさ、生きているときにないができたんだろうという思いが頭の中にパーと。私はペットを飼う意味というのはそこだと思うんです。楽しい時間を味わうために買うのではなく、ペットがなくなったときの苦しみを事前に入れておくんです。そしたら命の大切さをもっとわかる。いまなかなかお医者さんの世界が死の世界、誕生の世界をとっちゃったので、その間しか見ていない。それで逆に不安になる。僕らの時代は、すべて見えていた、握っていた時代で命を感じてきた。いまの子どもがかわいそうなのはそこがないから。だけど、それを戻せといわれてももう戻せない。
 自分が飼ったペットがどうしても死んでしまうという経験をさせるべきだ。死んであんな辛い思いするぐらいなら二度とペットを飼わないという電話がきますが、気持ちはわかるがのりこえなきゃ。命とのかかわりをずーともちながら、ペットが生きているときは幸せだし、死んだときに、そういうことが分かってますます命を大切にする。分かれば自分の命も大切にする。大事業だなというのは、その死をみんなに知らせるのも一つの仕事だと思う。死に様をみせることも。これはなかなかできない、最後の最後に子どもに教えられるのは死に様。そうやって命というのを伝えていく、それが親が最後の最後にできることだと思います。
 
佐々木市議/出産なんていまの世代なんて知らないでしょ。一番の弟生まれたときに私が産婆さんを呼びにいった。おやじがお湯を沸かして。
園長/僕のうちも本家だったんで、3世代の横幅がある世帯。今思えばあらゆる意味でよかったと思う。核家族化がすすむなか、いろんな生き物を飼ってほしい。(笑い)
紙議員/園長さんは、どうしてこの道に進んだのはなぜですか。
園長/ぼくは先のことを考えるのは苦手。獣医になったのも、農業私物はネズミ、理学部の生物はカエルなんかで、子どもの頃にさんざん殺してしまった動物ばっかし扱っていた。しかし獣医はウマの手術を教授がやっていた。カッコいいと。私だけが就職が決まらないなかで、大変ありがたいことに旭山動物園から求人があったんです。動物が好きだし動物園なら仕事ができるんではないかと、だから非常に、安易な、あんまり気合が入っていない(笑い)
 いま話したような命のことも、この動物園で学んだこと。いま動物をみながらやっていてもわからないことばかり。自分にとっての発見をいかに多くの人に伝えるかというのが大事。それがなければ野生動物の絶滅といってもみんな実感がないんです。北海道の野生動物の状況もみんな知らない。そうでないと住みかをつぶしてしまう。全部知ったうえで人間がどういった生き方をするのかが、自然との手打ちではないか。折り合いをつけながらやっていくために自然界のシステムを最低限でも知っておくことが必要です。それを伝えるのが動物園。楽しい所だけじゃなくて、旭山でいえばオジロワシやオオワシの問題、タヌキの問題をみなさんと一緒に考える場所になれば、野性に恩返しができるかなと思いますね。
紙議員/子どものときは意識しないで、ただ面白い動物がいるところだったりして。改めて旭山が注目されて、自分たちの動物園をどういうふうにしたら変えられるだろうか、どういう役割をもてばいいのか、発想の転換に役立ったと思うんです。命を知るために大事な役割、自然環境とのつながりをしってもっと意識しないといけないと感じさせる。これをもっと発信させるし、国会でも、湿地をなくさないようにしていく議員連盟、自然環境だとか。知れば知るほど、無意識のうちに自然環境が壊されて、私、サハリンにいってきたた時に、油田開発のところにいってきました。もし油田がもれたら…。非常に心配している。市長さんに、どう自然や動物を保護するのかと聞いたら、それは企業が責任をもつといい、企業はやっていますと説明する。
真下道議/私もサハリンに行ったときに、もし漏れたらどうするのか聞いたら、企業の保護担当は、世界ですぐれた安全基準をもっているので漏れないの一点張り。漏れるという前提がない、彼らの発想には、これは危険だとおもった。
園長/万が一もれるということで事業が組んでいかないといけない。最悪のことは考えておかないと駄目だ。私の所はすべて出してしまう。カビバラがクモザルに噛み付いたのは
 公開している施設です。事故も出します。それを踏み台にしてこう考えているということを伝えるのは大事なことです。「万が一ありません」と言ったら、本当におこったときにみんなパニックを起こしじゃいますよ。
 オオワシ、世界で1万いないです。マガダンとサハリン2とあと少しの箇所の繁殖している。そのうちのほとんどが北海道にきている。それを考えれば、あの鉛中毒問題、道は対策をとっていますが。
真下道議/不十分ですが
園長/もっと少なくなったときのことを考えて、オオワシを動物園で増やしてリリースする訓練して、そういう準備だけ整えていきたいと、今回、関係者が保護増殖事業を認めてくれた。よかったなと思います。そういうことも動物園はしっかりとやっていきたい。
 国は実験の段階を軽視します。トキをみたらわかる。どうしようもなくなってやってもしょうがない。あの反省が生きていない。シマフクロウにしてもイヌワシにしてもツシマヤマネコにしても、あのまま放置したら危ないですよ。万が一のこと考えて、動物園にいれて増やしてさえ置けば、いざというときに増やせますよ。
 真下道議/旭山動物園が再生してこれた背景には、市民がバックアップして、それを公のサービスとして市民が求めたと思うんです。公共だから再生できた、民間だったらあのとき廃園になっていたと思うんです。
園長/100%そうでした。
真下道議/いま軌道に乗ってきて、研究分野に対しても注目を集め、動物園本来の役割はなんだろうと問題提起になっているいまだからこそ、本来はもっと公共の実験場、研究施設としてもっと充実させると考えるならともかく、そうじゃなく道・知事は逆の立場じゃないかと思う。
園長/あのときいろんな議論があった。僕たち何を考えたかというと、僕が係長になったときに、本庁からこのままではだめだという話がありました。動物園の行く末は市民が決めるんだということを飼育の研究会のなかで話をした。お客さんが動物園に何を求めて、どういうことを喜んでいるのか、その人に対して私たちが動物園のよさを伝える努力をして、そのときに市民が動物園なんかいらないといったときにはどんな抵抗をしても駄目です。
 〈オフレコ〉
 市民が動物園を大事に思ってくれるような動物園は生き残れる。俺たちのためじゃなく動物園が社会に必要だとみんなが認識することになるし、動物を守ることにつながるんだというのがスタートです。市民が動物園を意識してみてくれることが重要だと思うんです。新聞にでたら、みんなが旭山動物園を意識してくれる。その回数を増やしたら、来てくれるようになる。そうなったら飼育係と話ができるようになる。ワンポイントガイドのいいところは職員と直接話ができるところ。そうすると職員のファンができるんです。それから町内会でいくからガイドしてくださいいう申し込み増えています。各種のガイド、観察会の参加者も増えてきています。動物園として市民といっしょにやれるメニューを増やしていったんです。おそらくそれで「自分の動物園」という認識もってくださったのではないか。そのときから市民のみなさんからよく職員が声をかけてもらえるようになった。だからつぶれなかった(廃園にならなかった)とはいいませんが、市民の皆さんが動物園をどうみくれ、どう利用してくれるのかは、基本的には絶対必要なことなんです。これは野生動物を守っていくために人間がどう判断するかと、まったく同じなんです。動物園を必要だと認識してくれないかぎり、だめだったと思います。ぼくは着実に利用者と僕たちの間はグーと縮まったという実感がある。ワンポイントガイドをやっていても先々週にきた人だったり、親子動物教室を4回連続やったら4回参加した人もいて、そういうふうにして身近になってそれがいまの動物園を支えてくれた。やはり市民の力は大きかったと思います。
 〈オフレコ〉
 旭川市旭山動物園を、市民のお荷物でなく市民の財産になってくれればいいなという考えで職員全員でがんばっています。
佐々木市議)動物も幸せですね。
園長)エンリッチメントということでやっていますが。動物は見られることのストレスというのは、過去に常識としてあった。動物園に反対する人たちは、動物はじろじろみられてかわいそうだと。これは人間にとってなんとなく理解しやすかった。だけど、みなさん議員さんで人前に立ってお話していますね。みられてストレス感じていますか?
佐々木)感じています。
園長)私ら、みなさんが壇の上でしゃべるの聞いていますが、楽しそうにしゃべっていますよ(笑い)。見られることによるストレスはすべてにあるんじゃなくて、そのときの状況にある。こういうとこは見られたくない。しかしこういうとこは見られてもいい。どういうときか、ここは人間と違う所ですが、どっちが精神的に優位にたつか。どういうときに見られたくないか。それは逃げ場を失ったとき。隠れ場がないとき。それが確保されたら、それは旭山の理論なんですが、充分な広さを与えてやる。彼らにとって一番得意な所を用意してやるんです。ただし人間の所にもかれらがいく余地を残してやる。トラでもペンギンでもオラウータンでもみんなそうしてます。もしも人が来てやだと思って、例えばトラが人から遠くはなれた場所で寝てしまったら、いよいよ見えない。しかし彼らはそうしません。近くに来てジロッとみます。これは、安心感。そして微妙に彼らの位置を高くしてあげた。人間は立っているから普通だと思っているけど、(動物が)人というのをパッとみたときにどう認識するかというと、後ろにシマウマぐらいの胴体があると感じるんです。小さな動物は、それだけでも威圧をうける。ライオンはでかいというけど目の位置はこれくらい(低い)。動物の目の位置をあげてあげれば、(人間も)たいしたことないという余裕につながって人間のほうにむかわせる。ペンギンでもホッキョクグマでもなんであんなに近づくのというけど、無理やり近づけているわけじゃない。なぜか目の前にいる。動物にも好奇心がある。これまで動物は人に対して恐れおののいているというけど、あれは野性の動物です。野生にとって人間は凶悪無比ですから。
真下道議)どこの島でしたか、人間が害を与えないので動物がよってくるという所が
園長)ガラパゴスとか南極というのはもともと人がいませんでした。人の存在を自分にとって脅威の存在と思っていないわけです。だからまったく意に介していないわけです。ペンギンがどんどん見にくるでしょ。まさにあれが動物園だと思ってくれればいいんです。動物園はまったく人がかれらに危害を与えない。与えるのは獣医ぐらいのもんです。獣医は吹き矢もって麻酔かけるものですから嫌われていますが。飼育係はエサくれるからいい人ですよ。それからお客さんは、動物からみればその他大勢で、そういう意味では、かれらはストレスを感じる状況がないわけです。そこのところは、世界中の動物園は気がついていなかったと思います。檻をやると動物を囲ってかわいそうだというが、あの檻は、彼らは自分の領土の先端だと思っているんです。人が入ってこないための檻だと思っているんです。動物側にたってみないと分からない。だって出てこないですよ。穴が相手も。ぼくら、昔、鹿が逃げたことがあるんです。ジーと見てたら、檻に入りたくてしょうがないんです。出口を探すわけですよ。あったら入っていくんです。しかし、新人は出てしまったら「出た」と騒ぐわけです。それで出てしまったら、そこは安心できる場所じゃないわけでパニックを起こしてしまうんです。安全ということに敏感なんです。うちの動物たち顔つきみてもストレス感じてないですよ。これは聞いてみないとわかりませんが。ただオラウータンなんかニヤと笑いながら、しっかり子ども育てているでしょ。あれをみてたらストレスあるように思えませんね。
佐々木市議)少し有名になったかなと
紙議員)動物が主人公になる、得意な分野をつくるということなんでしょうか
園長)それがすべてですね。うちの展示なんかも。なんでホッキョクグマなんかわざわざ飛び込む場所つくるのというが、私たちが飛び込んでといわないのに飛び込むんですね。あれは野性の世界でああいう行動とっているわけですから。だからホッキョクグマはヒグマと違って頭が小さくて、首が長くて、あああいう格好をしているわけです。自分の能力を発揮できる瞬間は楽しいですよね。それが必要だと思うんですよ。
紙議員)楽しく勉強させていただきました。
以上
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