2010年11月29日 命につながる農林漁業 |
かつては、炭鉱の坑木用として植えられていたカラ松が、いまや、公共施設などの建築材として広く取り入れられ、利用されるようになったのには、契機となった二つのことがありました。 一つは乾燥の技術が進歩したこと。これで、たわみやすいカラ松の難点を解決。もう一つは、集成材として使う技術の進歩です。張り合わせて使うことで、強度が増し、多様な用途に対応できるようになったということ。 もっと地域材を活用するにはどうしたらいいのか。十一月二十三日、美幌町で行われた「オホーツクの森林・林業の再生とまちづくりを考える」シンポジウムには、用意した資料が足りなくなるくらい多くの人が参加し、熱心な討論がされました。取り組みに向けた地元の努力の反映もあります。二日前の秋田市での「TPPって何?」というテーマのシンポジウム、その前日の山梨県での「林業・木材産業の再生を考える」シンポジウムでも、同様に、用意した資料が足りなくなる状態で、農林水産業と暮らしや地域経済、環境へのかかわりを深める議論が行われています。 「山を守り、水を守ることが海を守り環境を守ることにつながる、私にできることは何か、考えています」「今まであまり意識していなかったけれど、林業、農業、漁業と私たちの生活、まちづくりの話は『命』につながる話だと思いました」など、寄せられた感想に、将来を見据えた展望ある方向への国民の関心の高まりと深まりを感じました。 |
2010年10月25日 ペットボトル一本の水より安いおコメ |
菅内閣のもとで、総理への初めてのテレビ入りの質問をしました。「米つくってメシ食えない」と、今全国の農村で起こっている農家の叫びを取り上げ、米価暴落問題を打開するために、余剰分四十万トンの米を政府として買い上げるように求めました。 十八分間という時間の中で、米価が下がることが、農家の経営を困難にするだけではなく、国民にとっても、国産で安全な米を食べられなくなることであり、国民につけが回ること、菅内閣の政策で決めた備蓄政策を、前倒ししてやればできることだと、実現を迫りました。ところが、菅総理に質問しているのに、もっぱら鹿野農水大臣が答弁に立ち、その後に「いま農水大臣が話されたように・・・」と言って、官僚の書いたペーパーを読み上げるだけ。 唯一自分の言葉で答えたのは、水より安いコメ、労働者の最低賃金に比較して米価がその半分にもならないことへの感想について、「非常に低いと感じた」と述べただけでした。現場では、深刻な叫びをあげているのに、なんと冷たい答弁か!と怒りがこみ上げてきました。財界の意向にそって、日本農業を崩壊への危機にさらしても、更なる自由貿易拡大を進めようというのでしょうか! その後、日本農業を壊滅させる環太平洋戦略的経済連携協定(TPP協定)への参加を打ち出していることは到底許せません。国民的大闘争に盛り上げて、阻止するために力を合わせましょう! |
2010年10月4日 建築家の皆さんとの新しい出会い |
北海道の地域工務店のネットワーク「アークス21」の皆さんから、「地域の製造業・工務店と住宅政策について」というテーマで、ざっくばらんな意見交換をしたいとの申し入れがあり、はじめてお会いし、懇談しました。ホームページで「北海道地域の活性化を現場で盛り上げる製造業の基本である住宅づくり、工務店経営を認識し、精鋭工務店がお互いにシビアな姿勢で絡み合い日々研鑽するネットワーク」と紹介しています。 大変刺激的で、いろいろと考えさせられる有意義な機会となりました。「住宅政策についての考えは?」と問われ、「快適な住環境を整えることは、人間の暮らしにとって欠かせないことだし、一戸建ての住まいは、誰にとっても憧れだけれど、今日、新築住宅の着工数は、超低戸数といわれている。その要因は、雇用情勢の悪化や所得の減少など、個人消費低迷の影響があること。国民のふところを暖めて、家を持てる力をつけることが求められており、政治の役割だと思う」と答えました。 現在自治体に広がっているリフォームを支援する取り組みを、もっと発展させられないか、また、木を切り出すところから、製材、加工、建設などの環境をどのように作るのか、その際、大手のハウスメーカーだけに回る仕組みでなく、地域の中小の工務店が意欲的に活躍できるにはどうしたらいいのかなど、「住宅政策」として研究する必要性を考えさせられました。 |
2010年9月6日 社会正義があぶない |
八月末、札幌弁護士会主催の「司法修習生の給費制維持を求める市民集会」が開かれました。 司法修習生の訴え、弁護士、学者、NHK記者によるパネルディスカッション、各界からの意見表明、各党の国会議員、市会議員も参加しました。 司法試験に合格し、裁判官、検察官、弁護士をめざす法律家の卵・司法修習生には、国が給与を支給する「給費制」をとってきました。 経済的に恵まれない人であっても優れた人材が法曹資格を取得できるように、国民各階層から多様な人材が法律家になることが、社会正義と国民の権利・利益を公正に実現するうえで必要との考え方に立っていたからです。 それが、この秋から「貸与制」に移行しようとしています。 法科大学院に通う修習生は、「社会の中で差別を受けている人の権利を守る弁護士になりたいと弁護士をこころざしたが、給費制がなくなれば、自分のような貧乏学生は、資格をとることさえ厳しい」と訴えました。 現実に修習生の期間に三百万円から一千万円という多額の費用がかかるとされています。 「お金持ちしか弁護士になれなくていいのか」、「弱い立場の者が信頼できる弁護士であってほしい」 ―― 参加者の指摘は、問題点を浮き彫りにしました。 法改正は二〇〇四年の国会で、わが党以外、すべての党の賛成で可決されていたのです。各地で「給費制」維持への運動が高まり、国会への働きかけが強められています |
2010年8月2日 平和美術展に思う |
毎年七月に開かれる北海道平和美術展が、今年も市民ギャラリーで開かれ、私も、「水芭蕉」と「サイロ」の水彩画二点を出品しました。忙しい毎日ですが、合間を縫って、なんとか途切れずに、出品することで、絵を描き続けるよう自らの課題としてきました。 平和美術展は、「戦争・核兵器反対」をかかげ、アンデパンダン形式(自由出品・無審査)で行われてきた美術展ですが、北海道を代表する彫刻家の本郷新さんや本田明二さん、画家の伊藤仁さん、富樫正雄さんなど、そうそうたる美術家が呼びかけ人となって、始められたということで、私のような素人が、出品するのもはばかれると思っていました。 ところが、何回目の時だったか、会場で絵をみているうちに、短大時代の日本画の先生の作品を発見し、驚きました。主催者の方に事情を聴くと、かつて、美術展の開催そのものが危ぶまれたときに、支えになればと寄付をされたことがあったと聞き、深く胸をうたれました。学生時代には、そんな事とは全く知らず接していたわけです。いまは故人となり、先生がその昔どんな思いで平和美術展にかかわってきたのか、聞いておくべきだったと悔やまれます。今年はアイヌ民族の民族衣装などが初めて展示されたことも、特徴的でした。 まもなく、八月六日、九日、十五日と広島・長崎の原爆記念日、終戦記念日を迎えます。平和への願いを、現実の政治に生かすため、この夏もファイトを燃やしてがんばります! |
2010年7月12日 菅政権を追い詰めた論戦 |
参議院選挙の結果、日本共産党は、市田忠義書記局長、大門みきしさん、田村智子さんの三人が当選を果たしましたが、現職の仁比そうへいさんの議席を失い、東京選挙区では小池晃さんの議席獲得を果たすことができず、痛恨の思いです。 日本共産党の勝利のためにご奮闘いただいたみなさんに、心から感謝するとともに、期待にこたえることができずに、申し訳ない気持ちでいっぱいです。 今回の選挙は、「政治を変えたい」という国民のみなさんの昨年の総選挙につづく選択の機会でした。 民主党は、沖縄の普天間基地撤去をめぐる問題、政治とカネをめぐる問題など、国民との公約に反しただけでなく、消費税一〇%増税にむけた話し合いを呼びかけるなど、マニフェストにもなかったことまで言い出しました。 多くの有権者が最後まで模索するなかで、日本共産党は、増税やむなしの押し付けや、議論のごまかしを許さない論戦で選挙戦をリードして、消費税増税が大企業の減税の為であること、日本の法人税が高すぎるというウソを明るみにすることで、菅政権を追い詰めました。 こうした論戦は、今後の国会の戦いにいかすことができるものです。 党議席が後退した結果については、次回の前進のために教訓を生かせるようにしたいと決意しています。 これからも日本共産党へのご支持ご支援をよろしくお願いしたします。 |
2010年5月24日 口蹄疫被害の一日も早い解決を |
口蹄疫の被害拡大は、今や全国問題として、深刻な影響を与え、一日も早い解決への対策が求められています。宮崎県内の発生も六つの自治体へと広がりました。九州地方はもちろん、沖縄や島根など他県でも防疫のために、畜産市場を閉鎖するところが増えています。市場に出せないことは、農家にとっては、予定していた収入が入らないことになり、経営不安に直結する問題です。 四月二十七日に日本共産党の現地調査を行って以来、現地宮崎県の党議員団からの政府への申し入れをはじめ、国会議員団としても繰り返しの申し入れと質問で対策強化に取り組んできました。ここは、封じ込めのために党派を超えて、一致団結して力を尽くさなければならない緊急事態です。 何よりも大切なことは、まず、感染の封じ込めです。そのためにも処分して埋める場所が必要です。国有地を含め国が責任を持って確保し、人的支援体制をもっと強化しなければなりません。そして経営再建への希望が持てる補償を示すことです。いずれ食肉となる運命でも、生まれたときから、手塩にかけ、かわいがって育てた牛や豚が、尋常ではない形で殺処分しなければならないというのは、ほんとうにいたたまれないことです。 そんな中で、絶望のふちに立たされた農家を励まそうと、自主的な募金活動が始められていることに救われる思いを抱きつつ・・・。 |
2010年4月26日 基地撤去への熱いマグマ |
今年の一月のことがよみがえってきました。参議院の沖縄・北方特別委員会の調査で沖縄に行き、普天間、嘉手納、名護市、うるま市と、各基地を視察。強烈だったのは、嘉手納の宮城篤実町長の言葉です。 「ある議員から普天間基地の嘉手納への統合案が示され、その際米軍の使用条件は、騒音防止協定をはじめとして、厳しい制限を設けそれを守らせるからと、受け入れを求めてきた。私は、これまで嘉手納基地は何十年と米軍の最大の拠点として使われ、騒音防止協定など約束をしても常に破られてきた。早朝でも真夜中でも耳をつんざく騒音を響かせて、米国から飛行機が飛来。そのために住民がどれだけ苦しめられてきたか。体調壊し、裁判に立ち上がった人もいる。そのたびに私は国に解決を求めて要請したが、今日に至るまで正されていない。これまでも守られなかったのに、新たな約束をして守られる保障がどこにあるのか」と。 さらに、町長は「私は日米安保条約賛成の立場だった。しかしこの住民の苦しみを前に、今町長として言わざるを得ない。日米安保改定から五十年、この是非をめぐって、ぜひ国会で議論してほしい」と。痛切に胸に響きました。 あれから四ヶ月が過ぎ、事態は劇的に発展しています。二十五日、沖縄では九万人もの県民大集会が成功し、基地撤去へのマグマがさらに熱く燃え上がりました。まもなく、五月三日、憲法記念日を迎えます。たたかいをさらにもりあげましょう! |
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2010年3月29日 心温まる入党 |
一年の中で一番忙しい三月ですが、二十四日の参議院本会議で、二〇一〇年度予算が可決・成立し、予算の審議が終わり、久しぶりに北海道に戻ると、気温はマイナス四度。東京では桜が開花し始めたのに、北海道は厳しい寒さが続いています。 でも北区の演説会、東区の女性のつどいに参加して、心が温まりました。北区では、一生懸命演説会を準備してきたことがわかります。初めて日本共産党の演説会に参加したという人がたくさんいました。その中で、二十歳代の女性は、介護の仕事をしていたけれど、体をこわし、不安を感じながらも、この先健康を取り戻して前向きに生きてゆきたいと願っていました。友人の言葉に励まされて入党を決意してくれました。他の二人の初参加の人も入党! 東区では、長年地域で活動し、人生の大部分を日本共産党とともに歩んできたNさんが、お友達を誘ってきていました。「後期高齢者だって、負けてはいられないからね、今日はあなたに党に入ってもらいたいの、亡くなったご主人も喜んでくれると思うよ」と訴えました。「そうだね、夫も一筋だったからね」と自分自身に言い聞かせるようにうなづいて入党申し込み用紙に署名してくれました。八十歳代です。 よりよい人生を歩んでいこうとしています。いくつになっても、友達を大切に、チャレンジ精神をもって、がんばる姿に心の中はぽかぽかに温まりました。 |
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2010年3月4日 気持ちのよい共同 |
「なんと気持のよい共同だろう!」、高知県香美市で開かれた「高知の森林・林業の再生を考えるシンポジウム」に参加しての感想ですが、これは、私以外の多くの人が同じ感想を持ったようです。私も初めての「林業シンポ」に参加し、日本共産党の林業政策の基本を発言しました。 約二百五十名の参加者が、熱心に話に聞き入り、後半はたくさんの質問が出されました。なんといっても、県の森林組合連合会会長である戸田会長が、駆けつけて挨拶された内容は、森林・林業の再生への真剣な熱意が伝わってくるものでした。 再生可能な環境にやさしい循環型林業に取り組んでいる梼原町森林組合長、山林を団地化し効率的な森林管理と人材育成に取り組んでいる香美森林組合長、個人の林業家、県の林業振興・環境部長など、それぞれの発言も現場で取り組む当事者として、具体的な悩みや苦労がわかると同時に、みんなが真剣に現状を打開していこうとするおもいが、交流されました。 昨年、北海道でも全国森林組合全国大会での志位委員長の挨拶に、各地の森林組合を訪問して反響がありましたが、そこから一歩進める具体的な取り組みとして、今後に生かしていけるものだと思いました。 |
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2010年2月1日 再び鉄道で働ける日を |
国鉄分割・民営化のさいに国労や全動労の組合員が不採用とされた事件からに二三年が経過し、一〇四七名全員を職場に戻せとたたかってきた当事者のうち五九人の人が他界してしまいました。もうこれ以上長引かせることはできないという思いで、一月二六日、穀田恵二国対委員長、仁比そうへい参議院議員とともに国土交通大臣に申し入れました。 「今年こそ解決を!と言いながら二三年、当時生まれた子供が、成人となり、自分もまもなく定年を迎えようとしている」「再び鉄道で働ける日を願って、ここまでがんばってきた」と訴えてきた闘争団の皆さんの顔を浮かべながら、応対した三日月政務官に訴えました。各政党が「人道的にも早期解決が求められている」と一致し、昨年二月の集会では当時民主党幹事長だった鳩山由紀夫首相も『二三年が二四年にならないうちに解決したい』と述べていたのだから、なんとしても鉄道建設・運輸施設整備支援機構と四社四団体が解決にむけた話し合いのテーブルにつくように力を尽くしてほしい」と。政務官は、「私も鉄道員だったので、皆さんのお気持ちは良くわかります」とのべ、「私がこういう立場にいるときに一歩でも二歩でも前にすすめたい、早期解決のためにできる限りのことをしたい」と述べました。与党三党は昨年十二月にも、機構に要請し、今年にはいってから三月までに解決を目指すことを確認しています。今年こそ解決のために、力を合わせましょう! |
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2010年1月4日 新しい政治の探求と党躍進の年に |
大晦日の夜は、父と母、兄夫婦と家族そろって一年間の出来事など年越しそばを食べて語り合い、元旦の朝は、自宅前の白石神社と、清田区の厚別神社で、初宣伝。 はたやま和也参議院北海道選挙区候補と、白石区の伊藤りち子札幌市議、清田区の吉岡弘子市議候補と地元後援会のみなさんといっしょに、街頭にたち、新年の抱負、決意を込めてあいさつをしました。風は冷たかったけれど、手を振って応援してくれる人も多く、大いに励まされました。 一月一日、三日付の、新聞各社の主張、社説に目を通し、国民の意識を反映した様々な論調を受け止めながら、新しい政治を探求する国民の自覚と力量の前進を後押しする日本共産党の役割について考えました。 昨年は地球温暖化対策の国際会議も開かれ、環境・食料問題は人類的課題としてクローズアップされています。日本の農林漁業の再生は待ったなし。ザラボヤ・大型クラゲなどの異常発生や森林の荒廃など、農業だけでなく、漁業者や森林組合の方々との懇談でも、深刻な実態がだされ、わが党への強い期待が寄せられました。 今年は人間を大切にする政治とともに、みんなが生きられる環境を築くために、ともに考え、解決へ力を尽したいと思います。 一月の党大会成功、参議院選挙で大門実紀史さんの三選、北海道ではたやま和也さんの勝利のために、わたしも全力でがんばる決意です。 |
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2009年11月23日 新政権の感触 |
十一月二十日、党北海道委員会が新政権に対し初の政府交渉を行いました。 大型ダム建設の中止や新幹線延伸計画の抜本的見直しを求めた交渉では、国土交通大臣が凍結を打ち出し、検証を求めていることを反映して、かつての自公政権時代のような「ご理解をいただいて進めます」という言葉はみられませんでした。新幹線については、「白紙に戻して検討」という回答です。これは大きな変化ですが、何をどのように検証するのかが大事。正しく結論が出るように道民の立場から問題提起をしていきましょう。 新たに、ホタテ貝殻に付着するザラボヤ被害が対象となった「有害生物漁業被害防止総合対策事業」は、水産庁が十九億円(二十二年度)の増額を要求しています。私が現場に入って聞いてきた声が反映されたことで、漁民にとって前向きの答えでした。 選挙の結果、国民の審判によって、新しい政治状況を切り開いたことの意味が、ここに示されているわけですが、一方、「派遣村」を作らずにすむよう失業者や季節労働者対策の拡充など、急がれる雇用問題、医療・福祉、教育問題など、重要な課題で前進をきりひらけるかどうかは、国民の世論と運動にかかっています。 国会運営をめぐって、はやくも「小沢流」の強引なやり方が現れ、雲行きが怪しくなってきました。問題の是正を含め、日本共産党の役割が重要になってきます。 |
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2009年10月26日 子どもへの愛情を力に |
十月二十四日、「生存権裁判を支援する北海道の会」第三回総会は、前日の「母子加算復活」の閣議決定を受け、「復活実現」を喜び合う会となりました。 原告や審査請求人としてたたかってきたおかあさんが参加し、その喜びを、声を詰まらせながら語りました。「この数日間、毎日どうなるのか、心配で・・。でも本当に良かった。これまで子供に我慢させてきたので、お寿司を食べさせてあげたい。応援してくださった皆さんありがとう」「うれしい。加算が切られて、つらかったけど、今年のクリスマスは子どもと一緒に過ごせます。お正月には、おせち料理も作ってあげたい」 子どもを思うおかあさんたちの言葉に胸がいっぱいになりました。言葉は続きます。「先のことを考えると不安がなくなったわけではありません、これからもみなさんと一緒に、少しでも安心して生きられる社会めざしてがんばります」と。 勇気をふるって裁判に立ち上がり、顔も名前も明らかにし、テレビや新聞で訴えてきたことが野党共同の取り組みへと発展させ、自公政治を退場させる力の一つになってきたことは間違いありません。 また、それをささえた弁護団、支援する会の連帯の力もどんなに大きな支えになったことでしょう。 同時に、ここは通過点です。来年度四月以降も継続されること、これを老齢加算の復活へとつないでいくたたかいは、これからも続きます。 |
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2009年9月28日 穏やかな秋に思わぬ影響 |
実りの秋、今年は、道内に一つも台風が上陸せず、穏やかな秋を迎えているのでは、と思いきや、一方では、思わぬ所への影響が懸念されています。 噴火湾沿岸の養殖ホタテ貝にフジツボやザラボヤが大量に付着し、漁業者の経営に大きな打撃を与えている問題で、九月二十四日、真下紀子道議とともに、いぶり噴火湾漁協豊浦支所を訪ねました。 今年三月、道南からの報告で、ホヤの一種、ザラボヤが異常発生し、養殖ホタテ貝やロープ、浮玉に付着し、その重みで、水あげの時にホタテが海に落ちてしまう、浮きも沈んでしまう被害が発生し、四月の農水委員会で政府の対策を求めました。 その後被害は、湾内に急速に広がって、より深刻になっているのです。豊浦の場合は、水面近くには、フジツボが付着、水面から下にいくに従ってザラボヤが多く付着していました。 なぜ大量に発生したのかは、いまだ解明はされていません。水産技術普及指導所の担当官の話しでは、今年は、台風もなく、大きく海がしけることもなっかたため、噴火湾内に大量にプランクトンが発生し、それをえさとするフジツボやザラボヤが増えたのではないかと説明しています。 漁業経営への打撃を軽減するために、新政府の農林水産省に、必要な対策を求めていきたいと思います。 |
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2009年8月31日 政治は新たな段階へ |
第四十五回総選挙の結果は、自民・公明が大幅に議席を減らして「敗退」。道内でも、自民党大臣クラスが次々落選し、復活当選と合わせても三議席にまで減退。こんなことは、いまだかってなかったことです。日本の政治が新たな段階へと進む歴史的な結果であることは、間違いありません。 しかし、北海道で比例定数八の中に日本共産党の議席復活を果たせなかったことは、やはり残念です。わが党に期待し、ご支援、ご協力をいただいた皆さんに心から、感謝いたしますとともに、広く耳を傾け、総括を行って、今後の活動に生かします。 三十一日早朝、宮内聡さん、畠山和也さんとともに、札幌駅前通り、出勤途中の人々に、選挙結果の報告と今後の決意を語りながら、訴えました。 全国的には現有九議席を維持することができました。これは、今後の新しい国会でわが党がますます、大きな役割を担っていくうえで、よりどころとなるものです。国民にとっては、自らの投票で動かした政治を今後も見守り、要求の声をあげていただきたいと思います。 日本の政治を前に動かすその推進者として、私自身もがんばります。 |
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2009年6月29日 与党の審議拒否 |
「お母さん、僕はいいからね」と、母親のことを思って、進学をあきらめようとする子ども。その気持ちが痛いほどわかるだけに、何とかしてやりたい。せめて、子どもにはやりたいことをやって、のびのび生きてほしいと願う。そんな母親の思いが、「母子加算復活」法案に込められています。 与党にも呼びかけて、衆議院で提出したけれど、まったく動かず。六月十六日、野党共同で参議院に提出。二十五日の厚生労働委員会で議題になったものの、与党は、「十分な説明を受けていない」と審議入りに反対。「それなら、十分説明をする」と再提案すると、かたくなに「審議入りには応じられない」と理由にならない理由を言って退席してしまったのです。 私は、食事を一日一食にして、自分のものは買わず、子どものために必至にがんばっている菊池さん、川口さんなど、生存権裁判の原告としてたたかっている母親のみなさんの声を紹介しながら、その実情と子どものことをもっと真剣に見てほしいと訴えました。 舛添大臣は「一般母子家庭とのバランス」をもちだして、低いほうに合わせる答弁をくりかえすだけ。その冷たさに、怒りがこみ上げてきました。 野党案の答弁者となった小池晃参院議員は、「生活保護費以下で暮らしている世帯が受給できていないことこそ行政の怠慢」と反論しました。十五兆円もの補正予算を組むのなら、わずか百八十五億円の母子加算復活ができないはずがありません! |
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2009年6月1日 憲法を生き方で示した川瀬さん |
五月十六日、別海町、陸上自衛隊矢臼別演習場の中にある川瀬牧場・D型ハウスで行われた「川瀬氾二さんを送る会」に参加することができました。 川瀬さんと初めてお会いしたのは、私が三十歳代の頃だったと思います。直接ご本人に会ってみると、とても小柄で柔和、気さくな人でした。二十五歳で入植し、それから十年目に、陸上自衛隊の演習場設置が決められ、一方的な追い出し、防衛庁の土地買収に離農があいつぎ、最後に残ったのは、杉野さんと川瀬さんの二軒だけ。 川瀬さんが「ここに残る」と決意したときのことを、当時を知る上出五郎さんが語ってくれました。「どうして残る決意をしたのか」と聞くと、「杉野さん一人残すわけにいかない」と。その先のことは、当時の川瀬さんにもわかっていなかっただろうと。「はじめから、たたかう勇士だったわけではなく、恵庭事件や、労働者のたたかい、全国の基地闘争などに触れ、そのつど、川瀬さんは何かを吸収し、大きくなっていった」という話に胸が熱くなりました。 川瀬さんが巨大な権力を相手に、一歩も引かず、たたかい続けられたのは、なぜだろう?。憲法を文字面ではなく、自らのたたかいのよりどころとして、深く身につけていたから?人々との連帯のきずなを大切にしてきたから?川瀬さんがその生き方で示してくれた「宝」を大事にしていきたいと思いました。 |
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2009年5月4日 新型インフルエンザ |
大型連休を前に、心配していた、「新型インフルエンザ」が発生しました。WHO(世界保健機構)が、米国とメキシコ、カナダで確認された豚インフルエンザ(H1N1型)の発生を受け、緊急委員会を開催し、「豚インフルエンザ」から「新型インフルエンザ」へ切り替え、大流行について警戒水準(フェーズ)を「5」に引き上げることを決定し発表。フェーズ5とは、新型インフルエンザが、大きな一つ及び複数の集団で発生し、世界的大流行を意味するフェーズ6の一歩手前です。 フェーズの引き上げは「人から人への感染を示す疫学上のデータと地域社会レベルでの発生を引き起こすウィルスの毒性」について検討した結果としていますが、さらに高度な水準へ引き上げられることがないように対策が急がれます。 国会では、政府の対策本部が設置され対応を検討。わが党としても市田書記局長を本部長に対策本部を設置し、情報収集と対策を行っていくことになりました。初動での対策が重要であり、まず、水際で感染を防ぐことに全力を挙げる必要があります。 当面、発生国との間の人、モノの運航は止めないという政府の方針ですが、その検疫体制の確保や、国内での診療体制の強化やワクチンの確保など、事態を注視しながら、対策を取らなければなりません。 |
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2009年4月6日 さわやかな風 |
よどんだ空気の流れる国会に春一番のような新鮮な風が吹き込んできました。 北海道から、高校生が国会見学にやってきたのです。はじめての見学の前に、議員に聞いてみたい事があると、六人の高校生が私の部屋に来ました。「紙議員にとって、学ぶとはどういうことですか」「学校の校則についてどう思いますか」「なぜ国会議員になろうと思ったのですか」「愛とはどういうものですか」と、難問を次々と浴びせられ、どぎまぎしながら、こたえました。 十代のころの私は、「自分の頭で物事を判断できる人間になりたい」と思っていたこと、それには、あまりにも物事を知らなすぎるから、もっといろんなこと、世の中のことも、政治のことも、知りたいと思っていたことなどを話しました。 高校生が帰ってから、思い出したことがありました。バレーボール一筋だった高校時代、今も心に残っている言葉があります。 「一心に球を追ううちに勝つことへの執念がわき、勝とうと思えば、人和を結合した努力が必要となり、さらに勝つためには人和を超越した力が必須の条件となる。そこから生み出された成果は尊く、人間の至宝である」。 卒業のとき、バレーボールに先生が書いてくれた寄せ書きの言葉です。大事な事を学んでいたのだと思います。 吸収力旺盛な高校生たちのきらきらした瞳にさわやかな風を感じました。 |
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2009年3月9日 国民は納得できません |
三日、「民主党小沢一郎代表の公設秘書が西松建設からの違法献金容疑で逮捕」のニュースがながれました。四日、小沢代表は記者会見で「なんら、やましいことはない、政治団体からの寄付との認識で適法に処理している」と述べ、「西松建設からの献金だとは認識していない」と発言。「西松建設からの企業献金との認識に立っていれば政党支部に計上していた」とも言いました。 要は右のポケットに入れるか左のポケットにいれるかの違いであり、公開さえすれば企業・団体献金をどこからいくらもらってもかまわないという立場です。改正した政治資金規正法がざる法だということも表明したことになります。この立場を変えない限り「政治と金」の問題の根本的解決はありません。 六日、予算委員会の小池晃さんの質問を傍聴しました。「国民はまったく納得していない。小沢党首と民主党は引き続き説明責任を果たすべきだ」と指摘すると、民主党の席からも「そのとおり」の声が聞こえました。同時に「自民党も同じ構図だ」と、西松建設から巨額のお金が流れているダミーの政治団体と政治献金を受けている主な政治家・団体の名前を示し、二階経済産業大臣に迫りました。終始逃げの答弁です。 このままでは済まされません。いよいよ、企業・団体献金を禁止し、政党助成金返上、廃止させるときです。 |
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2009年2月9日 現在に生きる小林多喜二 |
まもなく二月二十日、小林多喜二の命日がやってきます。 「あーまたこの二月が来た ほんとうにこの二月とゆ月か いやな月こいをいぱいに なきたいどこいいてもなかれないなー てもラチオて しこすたしかる あーなみたがてる めがねかくもる」小林多喜二の母、セキさんが獄中の息子に手紙を送るため、文字を覚え、多喜二の死後に書いた詩です。 二月七日に札幌西区・手稲区の女性の集いがあり、講演の準備にあたって、ノーマ・フィールドさんの「小林多喜二―二十一世紀にどう読むか」(岩波新書)を読みました。 アメリカ人の父と日本人の母を持つ彼女は、子供のころ、祖父母からかつて住んでいた小樽の話を聞かされ、自らも多喜二の育った小樽の街で、二年ほど住み、多くの資料、証言に接して多喜二の作品と人間像を掘り下げています。 そして、その生き方に強く惹かれ、深い思いをこめて書いていることが伝わってきます。多喜二の人間像や文学の意義など、私自身もたくさんの新たな発見をすることができました。人間をぼろきれのように扱う権力に対し、いかにして立ち上がり、変えようとするのか。その事を考え、文学と社会変革とを果敢に追求したことの意味の大きさ。 小林多喜二を語ることは、過去を語ることではなく、現在を語ることなのだとあらためて思いました。 |
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2009年1月12日 新たな連帯の広がりを実感 |
二〇〇九年が始まりました。道労連の旗開き、札幌社会保障推進協議会結成十周年記念レセプション、西区・手稲区新春交流会、北商連学習交流集会などの催しに参加して、それぞれの運動の果している役割や新たな連帯の広がりを実感しました。 社保協の記念講演会には、高崎裕子弁護士が「憲法と社会保障」のテーマでお話しをされました。この十年、社会保障を崩すものとたたかい、人間らしく生きる権利を守るために、医療、福祉、年金、介護、障害者問題などあらゆる分野でけん引車となってきた社保協の役割をかみしめました。 後期高齢者医療制度では、国民の運動を大きく盛り上げ、昨年四野党共同で廃止法案を可決させるにいたったことなど、日本共産党の論戦と結んで大きな変化を切り開いてきたことは今後のたたかいにつないでいく糧となっています。 北商連学習交流集会では、金融危機、不況の厳しい経済情勢の中で中小企業金融の破壊、中小企業対策の制度後退を押し戻すたたかいや、新たな情勢にふさわしい運動の発展方向を示す真剣な議論が行われました。業者間のきづなを強め、この苦境を乗り越え、頼りにされる民商への新たな前進へ、熱い思いが伝わってきました。 こうしたたたかいと、心一つに必ずや政治を変える一年にしようと決意を新たにしました。 |
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2008年9月1日 「一揆」の時 |
富山県党主催の農業再生シンポジウムに参加しました。富山市内の水田は、今まさに稲穂が頭をたれ、刈り取りを待っている状態でした。 富山県農協中央会専務、農業会議事務局長、県の農林水産部農産食品課長、農業法人協会会長などがパネリストとして参加し、「共産党主催のシンポに、よくぞ大物をそろえた」と話題になりました。「食料自給率向上への国民的共同に党派の違いは関係ない」という精神です。 富山県は、九割がた兼業農家、米生産を中心にしてきただけに、米価下落は大きな打撃です。働いて得た収入で、米作りの赤字を補てんして農地を維持してきました。「自給率を上げるには、米だけでなく野菜や麦など増やして地産地消をすすめていきたい、そのためにも消費者のみなさんの協力を」と率直な訴えがされました。 「実は私の祖父母は富山県の出身で、北海道に開拓で移住し、農業を営みました」と自己紹介すると、「へー、そうだったの!」と一気に距離感が縮まりました。 子供の頃に聞いたおばあちゃんの話を思い出しました。「十三才の頃に大阪の紡績工場に働きにでて、十七か十八才の頃、一度ふるさとに帰った時、米騒動でムシロ旗がたった」。当時、漁村の女性たちが立ち上がり「越中女一揆」として全国に波及し、当時の内閣を追いつめるまでに発展した歴史を思いおこし、食料・農業をないがしろにする政治を転換するために国民の共同のたたかいを再燃する時だと思いました。 |
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2008年7月28日 漁業者の「ストライキ」が政治を動かす |
「みなさんが日頃から現場の声を聞いてこられていることに敬意を表します。私も地元の浜で漁師のみなさんの声を聞き、まったく同じ思いをもっています。限りなく直接補てんに近い形につながるように研究しています」。 燃油高騰対策をめぐる七月二十四日の北海道党の政府交渉での岩永浩美農林水産副大臣の答えです。 この間のイカ漁の一斉休漁、続く七月十五日の全国二十万隻の一斉休漁という、今までにない規模での漁業者の「ストライキ」によって政府を動かしつつあることのあらわれです。 「福祉灯油」の対策でも、それぞれの自治体で実行され、それが広がる中で国からの支援策を引き出した経緯がありますが、今回すでに、宮城県の気仙沼市が漁船漁業者に対して一キロリットル当たり一〇〇〇円の補助金(総額で三八〇〇万円)を期間をくぎって出すことを決めました。同じく宮城県石巻市でも、漁業だけでなく農業も対象に燃油代の一部補助の方針を明らかにしています。 この動きが全国に広がれば「福祉灯油」の時のように国からの支援策につながる可能性が出てきます。ただし、これは当面の緊急対策であり、根本的には、ここまで高騰をまねいた投機資金の流入にしっかりメスが入らなければなりません。いずれにしても、これからの運動にかかっています。 打開のために、党派を越えた運動に広げましょう! |
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2008年6月30日 国の農・漁業破壊と再生への共同 |
六月二十七日、佐賀地裁で「よみがえれ!有明訴訟」の画期的な勝利判決が下されました。福岡、佐賀、長崎、熊本の有明海沿岸の漁業者二五〇〇人が国の諫早干拓事業で、有明海の環境が変化し被害を受けたとして、国に潮受け堤防の撤去や南北排水門の常時開門を求めて起こしたものです。 判決は、漁業被害を認め、判決確定から三年以内に開門し、以後五年間にわたって開門を継続することを命じています。これまで漁民の訴えに耳を貸さず農水省は開門調査を拒み続けてきましたが、その姿勢について判決は「立証妨害」とまで言い切りました。ほとんどの新聞が、「農水省は重く受け止め、誠実に対応すべき」と指摘しています。農水省が控訴することは、断じて許されません。 二十九日は、党中央主催の「日本農業再生を考えるシンポジウム」が、岩見沢市で開催されました。一〇〇〇人もの参加者で、会場全体が一体となり熱気にあふれました。 岩見沢市の稲作農家笹木昭博さん、黄倉良二きたそらち農協前組合長、太田原高昭北海道大学名誉教授、市田忠義日本共産党書記局長の四人のパネラーの発言を受け、会場からは次々と手が上がり、質問や意見が出されました。 美唄市の桜井道夫市長も会場から発言し、「原油高騰による生産資材の高騰が農家をおそっている、額に汗する農家がまともに暮らせるように国が早急に手を打ってほしい、地方からも声を上げる」と訴えました。 真剣な討論に胸を打たれました。 |
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2008年6月2日 アイヌの先住民族認定を |
昨年の九月、国連総会において「先住民族の権利に関する国連宣言」が採択されました。 日本政府はこの宣言に留保つきで賛成したものの、国際的に「先住民族」の定義がないことを理由に、アイヌ民族を先住民族とはいまだ認めていません。国連宣言を生きた文書とし、政府自らが一日も早くアイヌ民族が先住民族であることを認めてほしいというウタリ協会の働きかけが北海道出身の各党議員にされ、三月に「アイヌ民族の権利確立を考える議員の会」が、つくられました。以来、勉強会を行いながら、七月の洞爺湖サミット開催に向け、今国会中に衆参で国会決議を上げさせようと取り組んできました。 北海道出身の共産党、自民党、公明党、民主党、新党大地に加え、社民党、国民新党、新党日本と、すべての政党が世話人に名前を連ね、決議文の確認をし、まもなく決議が上げられる見通しとなりました。 一九九七年に「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」が作られてから、アイヌの皆さんにとっても、先送りされてきた問題に踏み込み、前進させていくきっかけにしようとの熱い思いがわきあがっています。 問題は決議を上げた後です。これまでの基本的なスタンスを変ようとしていない政府に迫り、決議をもとに、有識者懇談会を設定し、アイヌ政策の総合的で本格的な議論を進めていけるように、力を尽くしていこうと決意しています。 |
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2008年5月5日 牛肉検査に問題あり |
四月二十三日、またしても危険部位の脊柱が入った米国産牛肉が見つかりました。昨年八月に輸入し、吉野家の冷凍倉庫で保管していたものを、加工する直前に箱を明けて見つかったのです。 さっそく二十四日農水委員会で質問しました。「二〇〇六年、当時の安倍首相の訪米の際に、厚労、農水両省が、米国との協議で検査のやり方を、全箱検査から抜き取り検査に緩和した。その結果、昨年八月の輸入時の検査で危険部位が入った牛肉を見落としたということ。政府は、当該施設のナショナルビーフ社(カルフォルニア工場)だけ輸入停止ですましているが、全面ストップをし、米国に対してずさんな検査体制を指摘して、事態の解明を求めるべき。国内の検査体制についても見直すべきではないか」と質問しました。 大臣は「遺憾なこと」といいながらも、「わが国の安全確保のシステムは、想定どおり機能を果たしている」と答弁。一瞬与野党の席から「それは、ないだろう!」とざわめきが起こりました。 検疫でとめられずに国民の口に入る前で、かろうじて見つかったということは、検査のシステム自体に問題があるということです。脊柱という、見てわかる危険部位でなかったら、見逃し、流通して国民の口に入っているかもしれません。 米国のいいなりに国内のチェック体制を後退させてきた自民・公明政府の責任は重大です。輸入を中止し、早急に検査体制を見直させるように、大きな声を上げていきましょう! |
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2008年4月7日 国会も選挙もまったなし |
札幌の大演説会を終えた翌日の五日、北見市と網走市の演説会に、宮内聡さん、渡辺ゆかりさんの両比例候補とともに参加しました。 宣伝カーの呼び込みを聞いて参加したという人や、今回はじめて共産党の話を聞くという人も数多く参加していました。どちらの会場でも、候補者の二人が道内を駆け回るなかで生まれている変化や「年令で高齢者の医療を差別する後期高齢者医療制度を廃止しましょう」との訴えにうなずいて聞いていました。「道民のみなさんの声をまっすぐ届ける日本共産党の議席を、今度こそ!」という訴えに、「よし、わかった」の掛け声がかかりました。 会場は熱気を帯びていましたが、国会もいよいよ、国会論戦が再開されました。選挙勝利にむけて、まったなしのたたかいです。 網走の演説会に向かう途中、流氷が接岸していました。「四月に入ってから流氷と遭遇できるなんて」と、しばし沿岸に浮かぶ流氷に見入りました。アムール川から風に流され、ここまでたどり着いたのかと思うと、思わず「遠路はるばるごくろうさん」といいたい気持ちになります。地球温暖化の影響が、この流氷にも異変を起こさせているといいます。 流氷は遠ざかると、オホーツクにも春がやってきます。宮内さん、渡辺さんと力をあわせて、政治の春を引き寄せるためがんばります。 |
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2008年3月10日 急いで夕張再建計画見直しを |
「積もった雪の重さに耐えきれず、落ちたプールの屋根は、今の夕張を象徴しているようだ・・計画の見直しを」との声が胸にささります。再建計画からちょうど一年、三月七日から宮内さとしさんとともに夕張に入りました。 熊谷桂子前市議の案内で、消防本部、再生市民会議を訪ね、住民のみなさん、人工透析の患者会のみなさんと懇談しました。「六十五歳以上の割合が四十二%をこえた夕張で、対策の中心にすべきは医療や介護。これまで夕張を支えてきた人たちが誇りを持ち安心して生きられるように、力を合わせないと」。「再建計画に人口流出を止める計画をぜひ入れるべきだ」と前に向かって頑張る市民の姿に、胸をうたれました。それだけに、借金だけは返させようとする計画の非情さが際だちます。 給与を三割も四割もカットされ「市民を不安にさせないように」と、二十四時間緊急出動に備えてきた消防本部では、「職場を去る職員が後をたたず、最低限の体制をやっと確保、どこまで持つのか」と苦しい胸の内が語られました。 人工透析の患者さんは、岩見沢市や千歳市、栗山町などに、一日がかりで通院しています。「診療所になっても人工透析はなくしません」と説明されていたにもかかわらず。 昨年、総務大臣は「弱者、お年寄り、子どもに配慮する」と発言していました。それならば、夕張の現実をこのまま見過ごすことは出来ないはずです。国会で取り上げて、計画見直しを迫りたい。 |
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2008年2月11日 今、日本農業・食料に大きな関心が |
九・十・十一日と三日連続の「食料と農業」をテーマにしたつどい、シンポジウムが行われ、日高の新冠町、十勝の音更町、北見の旧端野町と走り、多くの人たちと意見をかわすことができました。 日本の農業・食料は、このままでいいのかという強い危機感が、どこでも共通して出され、国民的な大きな関心の一つになっていることを痛感しました。新冠町では、飼料作物にとりくんでいますが、クマやシカの被害からどう作物を守るかを考え、悪戦苦闘の結果、電ぼくをはりめぐらせたことなど、自然とのたたかいに大きな力をさいていることが出されました。 翌日の十勝では、「バイオ燃料と食料を考える」とのテーマで、会場に二百五十人もの参加者が集まり、熱心に話しに耳をかたむけました。 いま何故バイオ燃料がブームになったのか、イラク戦争と中東情勢などの影響で石油価格が上昇している中で、再生可能なエネルギーとしてバイオ燃料が追求されている、あるいは地球温暖化対策のためなど指摘されている一方で、穀物価格の高騰に拍車をかけ、各国の経済にも大きな打撃となっているなど、様々な角度から深める良い機会となりました。 背景に米国のエネルギー戦略の変化、穀物メジャーやバイテク企業の動き、史上空前の利益を上げさらに利用を追求しようとしている多国籍企業の姿など、資本主義の構造的な問題にも注目しておかなければならないと思いました。 |
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2008年1月14日 見逃せない民主党の態度 |
「いよいよ今年は総選挙の年、必ず議席奪還を!」と宮内聡比例候補、伊藤りち子札幌市議とともに元旦の宣伝からスタートしました。仕事始めの街頭演説や新年交礼会、旗びらきと参加し上京。 八日、十日の参議院の外交防衛委員会には、早くも傍聴の人たちがつめかけていました。 そして一月十一日、問題の「新テロ特措法」をめぐり、午前中の参議院本会議では、「新イラク特措法」賛成一〇六対反対一三三と否決されたにもかかわらず、与党は両院協議会も開かず、これを衆議院に戻し、午後からの衆議院本会議において再可決を強行しました。「国民の理解と協力を得て」と言うのであれば、再可決はすべきではありません。世論調査でも反対が上回っていますが、福田総理は、前日の外交防衛委員会で、井上哲議員の質問に「だんだん賛成は広がっている」などと、根拠も示さず、ひらきなおりました。 それにしても見逃せないのは、民主党の態度です。土壇場で「継続審議」に変えたのです。結局民主党は、またしても、自民党に助け舟をだしたことになります。しかも、この重大な局面で、小沢代表が議場から退席し、採決に参加していなかったというのですから、議会軽視もはなはだしい。議員としての責任が問われます。しっかり記憶しておかなければなりません。 |
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2007年12月3日 365日働いても、借金だけが増える |
「毎年乳価が下がり続けてきたのに、エサ、燃料、資材は高騰、肥料も上がり、生活を切りつめても赤字だけが残る、モオー ガマンできないぞ!」と、乳価大幅引き上げを求め、酪農危機突破釧根集会が、標茶町開発センターで開かれました。 主催したのは、農民連釧根地区協議会。管内からおよそ百三十人もの酪農家が結集しました。標茶町長、標茶町議会議長、標茶町農協組合長、釧路管内議長会副会長も来賓として出席し、激励の挨拶を送りました。久しぶりの標茶町です。スカッとした青空のもと、身を切るような冷たい風が吹く道東の冬らしい日です。 集会後のデモ行進では、トラクター三台が先頭に立ち、牛の着ぐるみを着た青年がプラカードを持ち、力を込めて「再生産できる乳価にひきあげろー!」「酪農家をやめさせない対策をとれー」「メーカーの利益を農民に還元せよ!」などシュプレヒコールを響かせました。 NHKなど取材陣がつめかけ「このままなら、経営はもちこたえられないという、やむにやまれない行動です」とレポート。黒字の農家も含めて一戸あたりの赤字は平均五百万円に達するといいます。三百六十五日休まず働いても、借金だけが増えていくのは、なぜなのか?小麦も脱脂粉乳も、国産の価格よりも輸入品の方が上回るという逆転した状況にもなっています。 緊急対策を急がなければとの思いを強くし、釧路空港を後にしました。 |
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2007年11月5日 心燃える歴史のランナーとして |
「春の芽吹きの時季といい、また紅葉の秋といい、何がこのように人間を魅きつけるのであろうか。現実はきびしく重いが、私たちはみな心燃える歴史のランナーなのである。そんな夢と望みを抱いて、また深まりゆく秋に息づく」 教会の週報に書かれたエッセイのなかから、選定した文書を集めた「人生の岸辺にて」の中には、松田平太郎さんが出会った多くの書物や人々の生き方にふれながら、豊かな感性と愛情、平和への強いメッセージがちりばめられています。 北海道キリスト者平和の会、宗教者平和協議会の代表理事を勤められ、平和運動の指導者として大きな役割を果たしてこられたことは知っていましたが、残念ながら直接お話したことはありませんでした。その松田さんの告別式に参列し、存在の大きさを痛感しました。 北星学園新札幌高校の校長を勤められ、退職後は、東札幌協会の牧師として活動されてきました。二〇〇一年の米国同時多発テロ事件のときも、いち早く声明を出し、事件を利用し武力行使を行おうとする勢力に対し抗議。また自衛隊のイラク差し止め訴訟にも、いまは亡き箕輪登さんなどとともに原告団の一人として名前を連ねてたたかいました。日本と日本人のためにも、自衛隊員のためにも憲法が保障する「平和のうちに生存する権利」を守る立場で、公正な判決を求めました。 私も心燃える歴史のランナーの一人として、松田さんの遺志を受け継いでいきたいと思います。 |
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2007年10月8日 言葉では「真摯に受け止めて」というが・・・ |
臨時国会は、十月一日、福田新首相の所信表明演説を受けて、いよいよ本格論戦が始まりました。福田首相は冒頭、自民党の総裁選で国会運営に迷惑をかけたとお詫びし、参議院選挙の結果にふれて、国民から批判された格差社会の是正と野党との対話を強調しました。 ところが、格差を作り出した「構造改革路線」については「改革の方向は変えず」と述べ、テロ特措法に基づく自衛隊の米軍支援については「活動の継続」を強調しました。 「希望と安心の国づくり」といいながら中身は示さず。四日、五日、衆参の代表質問でも、つっこんだ質問になると、正面から答えません。 沖縄の集団自決をめぐる教科書検定意見の政府の責任についても触れず、「専門家の審議を経て検討・・」というだけ。非正規雇用の規制や社会保障の見直しについても「今後検討していく」というだけです。 五日の参議院本会議では、農業で品目横断的経営安定対策が実施され矛盾が噴出していることが指摘されると、「どうしたらいいのか考えている」というあきれた答弁です。言葉では「真摯に受け止め」というけれど、結局これまでの自民党路線を変更する気がないのです。 一方国会では諸団体の要請行動が勢いを増しています。とりわけ、九月二十九日の沖縄の十一万人をこえる集会は国会にも大きな衝撃を与え、即、「検定の見直し」を言わざるを得ないところに追いつめました。まさに国民が政治を動かす時代になっています。 |
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2007年9月10日 食料自給率の向上は急務 |
「絹の波」とは、麺に適した小麦の名前です。群馬県で力を入れて生産されてきたものです。もちもちした弾力のあるうどんになります。 この麦の生産者に渡る値段が下がっているというのです。群馬県の高崎市を訪問すると、そこには、市の農政部、県農業会議の会長、市認定農業者協会の会長、農民連の副会長などが、出席して実態を話してくださいました。高崎市では十八の集落営農組合と十三の認定農業者による、小麦の「品目横断的経営安定対策」が行われていますが、小麦一俵(六十キロ)あたりの生産者への農協の概算払いは五千四百円(昨年は七千円)。 まだ、最終的に助成される交付金の額は決まっていませんが、手数料千百円を引いて、農家の手元に渡るといいます。 「今までの基準は決して下がることはない」と説明されていたのに、これでは確実に下がる、というのです。しかも支払いは三段階に分けられ、十二月と来年三月、七月だという。これでは、来年に向けた種や肥料、作付け準備すらできません。 北海道でも同じように、生産者の価格から販売経費が引かれて、大幅に農家手取りが目減りすることになり、「このままなら赤字になり、やめる人が出てくるだろう」といいます。 農水省は、食料自給率がカロリーベースで四十%から三十九%に下がった事を明らかにしましたが必らず上がるといっていた事をどう説明するのでしょうか。緊急の対策が求められます。 |
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2007年8月20日 たたかいの火は大きな炎となって |
東京から直行し、第四十三回矢臼別平和盆踊り大会の会場に到着したのは、夜も遅い九時二十分をまわっていました。さすがに盆踊りは終っていましたが、キャンプファイヤーの残り火はまだ赤々と燃え、舞台では合唱団の熱い歌声がながれていました。 テントをまわって、「こんばんは、紙智子です」と挨拶すると、「あらっ、紙さん、おめでとう!」という声。川瀬氾二さんも、にこにこ笑って握手をしてくださいました。アレン・ネルソンさんがやってきたので、「こんばんは、アレンさんの本(「戦場で心が壊れて」)、読みましたよ」というと「ドウモ、アリガトウ」と流暢な日本語がかえってきました。 それにしても、よくぞ四十三回も続けてきたものだと思います。 政府、防衛施設局を相手に、一歩もひかず、「自ら開墾したこの土地に住み続けたい」と筋を通してきたのです。基地のど真ん中で、自分で家を建て、牛や馬を飼い、家族を育て、生き抜いてきたのです。「この土地を、戦争の準備のために渡すことはできない」という強い意志が、川瀬さんの周りに沢山の人の輪を広げてきました。今年も初めて参加した若者が「こういう事をもっと多くの人に知らせられないか?」と言いました。私もそう思います。 矢臼別の運動は、そこからはじまり、広がってきたのです。 憲法改悪が叫ばれているとき、矢臼別のたたかいの火は大きな炎となっていると感じました。 |
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2007年6月25日 侵略戦争美化する動きに厳しい批判を |
過去の侵略戦争を正当化する「靖国派」の動きが、さまざまな形で表に出ています。日本青年会議所が作成したDVD「誇り」も、日本の侵略戦争を賛美し歴史を歪曲する靖国神社の遊就館などの展示物と同じ内容のもので、文部科学省の委託事業で学校上映を計画していました。しかし、わが党石井郁子さんの質問をきっかけに、世論の批判を受けて、青年会議所は契約を辞退しました。 また沖縄戦における集団自決について、文部科学省が教科書検定で「軍の強制」はなかったと削除・修正させました。しかし沖縄県議会が、全会一致で、政府にその撤回を求める意見書を可決しました。 従軍慰安婦問題でも「強制連行はなかった」と、自民・民主議員など44人が、名を連ねて米国紙への意見広告を掲載しましたが、これに対する批判・怒りは世界中から起こり広がっていくでしょう。「靖国派」の動きに、選挙で日本共産党を伸ばして厳しい審判を! |
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2007年6月14日 自衛隊の違憲・違法な国民監視に抗議の声 |
「戦前のような圧力、脅かしは許せない!」6月14日に緊急に開かれた「自衛隊の違憲・違法な国民監視活動」抗議集会には、自衛隊のリストに載っていた人を含め、たくさんの人が会場につめかけ、次々と抗議の声を上げました。私は司会役をつとめました。映画「幸せの黄色いハンカチ」にちなんだイラク派兵を見送る運動について取材された、山田洋次監督が「描いたのは夫婦の愛情だから見当違い」と答えたことまで、反自衛隊活動の対象にされました。ピースウォークを監視された高校生、フリージャーナリスト、弁護士、宗教者など、次々に発言し、中止させる強い決意が語られました。何のために、自衛隊は盗み撮りなどやっていたのか?国民を弾圧するための地ならしではないのか。自衛隊の行動の異常さに怒りを禁じえません。国民のプライバシー、肖像権、表現の自由などの権利を侵害しているだけではありません、国民の平和に生きる生存権が侵害されているということを認識し、断じて許さないたたかいを広げましょう! |
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2007年6月11日 1回1回の訴えに心こめて |
参院選挙を来月に控えた6月は、連続的に大演説会が計画されています。3日の山形を皮切りに、茨城、岩手、秋田、北海道、この後、埼玉、栃木、宮城、福島、群馬、青森と続きます。一つの演説会を成功させるためには、たくさんの人の手がかかります。会場を確保し、ポスターやチラシなどの宣伝物をつくり、宣伝カーをまわし、お誘いをしてたくさんの人に会場に足を運んでもらう。当日の設備や受付など要員の組織・・。こうしたとりくみの積み重ねが、一つの演説会を成功させるために努力されているだけに、「一回一回の訴えに心を込めて」と、力が入ります。演説会の合間に、仙台の都市近郊農家をたずねました。「40年間やってきて、毎年毎年が一年生みたいなものだ。一度として同じ条件だったときはないし、そのつど真剣勝負」という農家のお母さんの言葉が印象に残りました。演説も同じだなと思いつつ、年金問題や自衛隊の国民監視など、次々に動く情勢に合わせて何を訴えうるか考え、勝利に向け全力をあげていきたい。 |
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2007年6月4日 魚食文化を守りたい |
お魚は食生活の大事な柱です。しかし、マグロの資源減少やカニ輸入禁止が報じられ、政府の「水産白書」では、水産物がよその国に「買い負け」して輸入もままならないとしています。国内では漁獲量は減り続け、生産者も高齢化し、漁船は古くなっても経営難で更新ができません。 一方、魚離れもすすんでいます。 でもこれは、お母さんたちは子どもに魚料理を食べさせたいと思って、手間暇かけられないとか価格の割高を感じるとかの経済、社会の状況が反映しているからです。 5月、私は農林水産委員会で漁業問題を3回質問をしました。乱獲を押さえ、資源が回復するとりくみに国の責任ある対策を求め、漁業経営安定対策や漁船更新の支援策が多くの人を対象にし、若者が漁業に参入できるようにと要求しました。生産と消費の両面から「魚食文化」を守るため努力したいと思います。 |
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2007年5月28日 研究者にもひろがる「貧困」 |
先日茨城県つくば市で開かれた、研究者の雇用と科学技術の将来をテーマにしたシンポジウムにパネラーとして出席しました。大学院の博士課程を出ても安定した研究職につけず、三年の短期雇用で当面をしのいでいる「ポストドクター」が増え、毎年1800人もの定職のない博士研究者が生み出されています。「結婚もできず、子どももつくれない」という実態の中で、若い研究者が研究への道を断念し、転職を余儀なくされています。短期雇用・非常勤研究職員が公務員住宅に入居できるよう、私が要求した農林水産委員会での質問を機に、住居問題は改善の方向に前進しました。私は、今国会の予算委員会で地球温暖化防止と食料の安全保障、食料自給率向上問題を質問しましたが、こうした課題の解決も研究者が安定した身分、条件でがんばれる体制が必要です。科学技術を担う研究者の間でも広がる「貧困」是正の問題にもひきつづきとりくんでいきます。 |
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